カテゴリー「交際」の25件の記事

2018年9月15日 (土)

9月前半のつぶやき、あれこれ。 今の人生十分に満足しています。

あの暑かった夏が、嘘のようになくなってしまいました毎日です。毎夜ガンガン掛けてたエアコンも数日前から、その必要はなくなりました。世界では米国東海岸のノースカロナイヤ州にはハリケーン(フローレンス)が直撃、多大な被害が出ている模様。太平洋も巨大台風22号が今まさにフィリピン北部を襲っています。数百万人が危険にさらされているとの報道です。

9日にこの地域の多賀小学校・多賀中学校の卒業生の同期会(多賀っ子会)が地元旅館で開かれました。オイラ達は団塊の世代で、当時学年で4クラス、1クラス50名でした。ウチの前の道路が通学路になっているので、帰りの小学生の女の子達に聞いたら、今は2クラス、1クラス30名だそうだ。「おじさんの頃はねえ・・・・」と話しをしたら、ニコニコ笑って聞いてくれた。オイラの時代には、隣町に網代小学校、網代中学校というのがあったが、その後少子化で廃校となり、ウチらの学校に吸収合併をされたのだが、それでもこの少なさだ。少し寂しいね。

参加者は、この地域に住んでいるのはもちろんだが、関東地域、御殿場、その他と遥々彼方からの参加で40名近くでした。皆、立派な古希を迎えたジジババでした。オイラは小学までで、中学からは東京新宿区でしたので、どうしても小学時代の仲間に限られましたが。

Cimg0378_r Cimg0381_r

10月21日には、都立青山高校の2年ごとの同期会があります。母校前、神宮野球場の傍のレストランで開催。出欠はがきには出席として出しましたが、1次会2次会含めて、午前11時から午後5時までと長丁場です。3次会もあるとして無事熱海まで帰れるかが心配です。なんたって呑兵衛ですから。

居間と寝室に置いてあるテレビにTVレコーダーをそれぞれ付けてあり、お気に入りの番組は、自動予約設定をしてあり、テレビはそれを観るのが仕事?です。特にこの頃鼻に付くのは、売らんが為のCMで、その数が物凄く増えてきているように思えます。なにかCMの間に番組があるように感じてしまいます。ライブで観る時は・・・・・・・・

続きを読む "9月前半のつぶやき、あれこれ。 今の人生十分に満足しています。"

| | コメント (0)

2018年3月15日 (木)

ひょんなことから、Facebookで大昔のカナダの旧友と再会が叶いました。

ウチのネーブル及び柑橘は在庫が終了し、販売は終了しました。

1994年から2003年頃、カナダドルの為替レートが安くなり、カナダから建材を輸入して、現場でそれらを使って建築をする、いわゆる輸入建築をしていた時期がありました。建築躯体はツーバイフォー工法で、具体的にはそれに合わせた設計になる。もちろんサッシ、ドアー、床材、屋根材、キッチン、家具等々も北米のサイズ(インチ、フィート)に合わせた設計となる。当時品質のグレードからいって、日本よりかなりその方が安かった。それらを1物件で一括して40フィートまたは20フィートのコンテナーに仕立てもらい、現場にトレー(運搬)して搬出し、建築をする。なんだかんだで、住宅、ペンションなど、十数件こなしたのだが、そのうちカナダドルの為替レートが上がり、あまり儲からなくなり、止めてしまいましたが、その間、カナダ側の混載貿易業者(コンソリデーター)の担当の人達と、多くの知り合いになりました。

彼らとは一期一会になった人が大半だが、バンクーバー郊外のメイプルリッジの業者ロイ坊(Lloyd Clefstad)とは相性があったのか特に仲良くなり、2003年にオイラが1か月ぐらいそちらに滞在して、北米建築を学びたいと告げたら、近くのフォートラングレーに自分の姉さんのレジデンスがあるから、そこで滞在したら?と来た。もちろんそれなりの宿泊費は払うのだが。さらに自分のピックアップカーFORDを勝手に使って良いと。・・・・・

Dscn1369_r

続きを読む "ひょんなことから、Facebookで大昔のカナダの旧友と再会が叶いました。"

| | コメント (0)

2018年2月28日 (水)

一期一会の人生。多くの人と知り合い、多くの人と自然に別れた。また会いたいという人は多いが。

人付き合いというのは、簡単なようで難しい。特に利害関係がある場合には、当初は上手くいくが、それから以後トラブルなぞがあると、一生付き合いを止めてしまうことさえある。また利害関係がない場合には、「一期一会(いちごいちえ)」の世界になりやすいです。これ茶道の世界の四文字熟語でして、

茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。 一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる。

その昔、トム・ハンクス主演の映画「フォレスト・ガンプ(一期一会)」というのを観たのだが。そもそも「一期一会」の欧米訳語は一切ない。調べてみると、フォレスト(Forrest )とは人の名前でこの映画の主人公名。ガンプ(Gump)はアラバマ州の方言で「うすのろ・間抜け・愚か者」の意味。原題を直訳すれば、「間抜けなフォレスト」ということになり、これじゃあ日本人観客が集まらない。日本の担当者は無い頭を振り絞って、「大雑把なストーリーとして、多くの人との出会いと、多くの別れがあったよね。だから一期一会にでもするか」とこの程度で邦題が決まったようだ。このようなパターンは無数にある内の一つ。・・・・・・・・・

続きを読む "一期一会の人生。多くの人と知り合い、多くの人と自然に別れた。また会いたいという人は多いが。"

| | コメント (0)

2017年12月12日 (火)

江藤 淳が亡くなったのはオイラが51歳の時だった。改めて「妻と私」の本を買って熟読しました。

前記事のように、オイラが青年期の親友が亡くなったりして少し沈鬱な日が続きました。死については、愛猫が死んだことについて記事にしたことがありました。

あまりにも私的な話。・・・・・・愛猫が死んだ。2010年1月11日 (月)

数日前、カミさんの姉と兄が、東京からウチのみかん狩りに来て、海鮮料理屋で遅い昼食をもてなしました。穫ったみかんは、電車で来たので宅急便で発送しました。姉・兄といっても、両者年子なので、さらにオイラとも歳は幾つも変わりません。お互いの伴侶の事、近況の事、昔話しの事、健康の事。それら話の中で、伴侶との別れの話題になって、オイラが「そう云えば、江藤淳の伴侶との別れが記憶に残っている。文藝春秋で掲載され当時有名になった『妻と私』が良かった」と言ったら、義姉が素早く手帳を出し、その題名を書き取っていた。きっと何処かで調達して読むのだろう。

と言っても、オイラはこの「妻と私」を詳細に読んだわけではなかった。ただ当時、彼と奥さんとのツーショットの写真が、全てを表しているかのようで、これからは、カミさんとのツーショット写真はなるたけ、このような笑顔にしなければと自分を戒めた思い出がある。・・・・・・

続きを読む "江藤 淳が亡くなったのはオイラが51歳の時だった。改めて「妻と私」の本を買って熟読しました。"

| | コメント (0)

2017年12月 5日 (火)

11月の下旬に、青年期に大変仲の良かった親友が突然亡くなった。

11月の下旬に、青年期に大変仲の良かった親友が突然亡くなった。オイラ30歳の時、東京からこの地に帰って来て、建築設計事務所を始めたのだが、なにせ父親以外の人脈がない。人の勧めで、(社)熱海青年会議所(JC)に入会した。期間は31歳から40歳までだが。この組織は40歳で卒業が規則だ。

その間様々な友人・知人が出来た。また仕事の為になる人脈も出来、時は建築バブルの時代、多いに助けられた。血気盛んな青年の集まりだ。彼はその中で、親友(ポン友)として付き合った数人の中の一人だった。JC時代彼が理事長の時、オイラが副理事長で彼をサポートした。JC卒業数年後、ロータリークラブに入会したが、ここは年齢制限はない。先輩達の面倒を見るような活動だった。まぁこれらを通して、至福な人生体験を得られたわけだが。

実態的には、この親友とは、JC卒業後それぞれ道が違うことになり、ほとんど交際・交遊がなくなった。いわゆる組織が違ったり、その組織から離れると、交際の世界が変わり、付き合う理由もなくなり、縁遠くなって行くものなのだ。これは誰でも経験することなのだ。・・・・・・

続きを読む "11月の下旬に、青年期に大変仲の良かった親友が突然亡くなった。"

| | コメント (0)

2017年10月 8日 (日)

オイラが代表幹事の「すみえ会」盛大?に開催しました。池田 学と言う画家、これ世界に打って出る、偉大な画家となりえるよ。

6日金曜日は午後3時から、高校時代の担任の先生の名を取ったクラス会(すみえ会)を開催しました。これ2年ごとに開催します。オイラがこれの常任代表幹事をしています。担当実行幹事のエノ坊と事前に開催に至るまでの準備をしてきました。担当実行幹事は回ごとに変わります。やはり皆老いて来て、また環境が変わったり、大病をしたりで、不参加や消息不明も多くなり、今回は参加17名でした。1次会・2次会を済ませ散会は午後8時半。夕方から雨が激しくなり、移動は雨降りの中でした。

古希を迎えたのや、これから古希だという時期の会でした。皆で古希を祝い乾杯をしました。衆院選挙を控えてその真っ只中、話が政治問題に発展すると終始が付かなくなる恐れもあり、エノ坊が各自のスピーチに項目を付け、その方向には行かないようにしました。もっとも、この仲間のほとんどはノンポリ育ちでしたから、危惧する必要はありませんでした。ただ2次会になって、政治関連は話題にしないようにしようねとオイラは念押しをしました。

女性が1人物故者となりました。オイラとは2年間同じクラスでした。前々回の不参加の時のコメントで、前年に旦那さんが逝去し、落ち込んでいる時に検査したらガンの発症が分り、手術をしたそうだ。そして前回の不参加通知のコメントには、「体の調子が良くないので欠席します」と。相手が女性なので、また、そこまで親しくはなかったので、連絡はしませんでした。結局それから1年後昨年9月に逝去されたことを、彼女と仲の良かった女性メンバーから聞きました。ガンが原発から肺、肝臓に転移をしていたそうです。オイラがその内情を話し、皆で哀悼の黙祷をしました。・・・・・

続きを読む "オイラが代表幹事の「すみえ会」盛大?に開催しました。池田 学と言う画家、これ世界に打って出る、偉大な画家となりえるよ。"

| | コメント (0)

2017年8月30日 (水)

今年の8月は久しぶりに忙しかった。娘孝行です。あなたのところにもスパムメールが来ていませんか?

8月に入ってから、このブログの更新が滞っていました。NZのダニーデンにお住まいの”でんこ”さんから、ご心配のメールが来たりしたのですが、至って元気です。前記事のごとく、熱海駅の近くにある次女の嫁ぎ先の屋敷の改修工事に専念していて、疲れ果て、とてもブログを更新する余裕がなかったのです。新築から35年の屋敷ですが、先代が今の家族構成を考えないで造ったので、様々要望が出てその度にオイラの出番なのです。もちろんカネはしっかり取りますが。今回は6帖半ぐらいの広さの空間が物入れ+洋服室+ウォーキングクロゼット室に分かれていたのを、一つの空間にして、続きの子供室に繋げ改修するというものです。昨日でほとんどの改修と修理工事が終わり、あとは照明器具を取り付けるだけになりました。

25日間かけてオイラ1人で工事をしました。改修工事に当たっての調査⇒内装下地の解体工事⇒床フローリング張り工事⇒電気配線とコンセントボックス取り付け⇒腰壁PB張り工事⇒見切り縁、巾木などモールディング取り付け工事⇒腰壁PBのドライウォール工法施工⇒塗装用養生施工⇒既存クロス張りも含めて専用塗料でローラー塗り2回塗装⇒養生剥がしと清掃⇒既存建具の調整修理⇒他室の修理工事⇒昨日。

もともとオイラは建築設計と監理がメインでしたが、・・・・・・・・

続きを読む "今年の8月は久しぶりに忙しかった。娘孝行です。あなたのところにもスパムメールが来ていませんか?"

| | コメント (0)

2017年3月27日 (月)

シンガポールからマラッカに娘同伴で行ってきました。マラッカは発展の途中です。 3

ホテルの客室では、タブレットにWI-FIのパスワードをセットして、日本のネット情報を見ていました。ところでテレビなのですが、シンガポールでは、まず一般のテレビチャンネルで国内ニュースとCNNやBBCをみることができました。チャンネルをどんどん進めて行くとFM放送に変わり音だけになりました。

CH10だったか、NHKのニュース特集番組をやっていて、昨年までブラタモリに出ていた、桑子真帆と男性がキャスターをしていました。この番組は日本にはなく、海外用かも知れません。

シンガポールのテレビ事情

シンガポールでテレビのチャンネルをひねると、英語有り、中国語有り、マレー語有り、と様々な言語が耳に飛び込んできます。シンガポールならではの多言語放送の世界です。 とはいえ、日本に比べると非常にお堅いお国柄。暴力的なシーンやヌードなどの性に絡んだシーンは、すべて国が事前に検閲してカットしています。 ちなみに、シンガポールのテレビの受信方式は、日本のNTSC方式とは異なるPAL方式です。 シンガポールのテレビ放送は、合計7チャンネルありますが、場所によっては、シンガポールに隣接するマレーシアのテレビ放送(TV Satu、TV Dua、TV Tiga)も受信できます。

フジ坊の話では、特別契約をすれば、もっと日本のTV番組を観ることが出来るらしいです。NHK地上やBSなのですが。またマラッカはもっと見れるチャンネルは少なく、テレビで例の金正男の暗殺事件についての情報は少なかったのではと思いました。もちろん新聞がありますからね。

最後の3日間は、シンガポールからリムジンバスで、国境(入江)を超えて、マレーシアのマラッカに行きました。・・・・・・・・

続きを読む "シンガポールからマラッカに娘同伴で行ってきました。マラッカは発展の途中です。 3"

| | コメント (0)

2017年3月25日 (土)

シンガポールで前回なかった見学と体験です。 2

シンガポールの続きです。

シンガポールには、国民の74%が華人(中華系)、マレー系が14%、インド系(印僑)が7.9%、その他が1.4%だそうだ。華人を今の中共系と解釈しがちだが、ご先祖は数百年に渡って中国本土の様々な地域から集まってきた混在民族で、言語も福建語、客家語など、いわゆる閩語(びんご)が入り混じっていると。

閩語(びんご)とは、シナ・チベット語族、シナ語派の言語の一つあるいは一群である。 中華人民共和国の福建省、広東省東部及び西南部、海南省、浙江省南部、中華民国、シンガポール共和国、マレーシア、タイ及び各国の華僑・華人の一部の間で使用される。

勿論正式な中国標準語(北京語)を習っている人もいるだろうが、一般的ではない。中共本土でさえ、方言を通り越して、別の言語と云える言語が入り混じっている。使用される漢字なのだが、簡体字(中共)と繁体字(台湾・香港)に分けられるが、現在シンガポールでは簡体字が使われていました。まぁ中共からの観光客が圧倒的に多いですからね。

20150411100514 まさに今やこのシンガポールも中共からの観光客で占められていました。なんたって14億人の人口でビザが緩和ですからね。日本語の案内広告なんて存在していません。まさに世界中の観光客は中共に占められています・・・・・・・・

続きを読む "シンガポールで前回なかった見学と体験です。 2"

| | コメント (0)

2017年3月22日 (水)

ウチの娘がシンガポール在住となってしまった。娘訪ねてシンガポールの旅 1 

シンガポール&マラッカから帰ってきました。シンガポールは、1989年に家族旅行でマレーシアのペナン島の次に寄りました。2泊ぐらいだったか。まだ超高層ビルが少なかった時代で、その超高層のホテル(スイソテル・ザ・スタンフォード)に宿泊した。窓から眼下に見える街並は旧市街地で、今回行ったマラッカのホテルから眺めた街並みとよく似ていました。暗闇の中、一つポツンと「KONICA」のネオンサインが目に入りました。次に行ったのは、セーリング・ヨットのクルーの仲間のフジ坊と仲良くなり、彼はシンガポール女性と所帯を持ち、二人の子供を持ち、シンガポールを本拠地としてる。友達の友達はオイラの友達という図々しさで、2011年11月に1人で彼を頼って5日間ほどシンガポールに滞在しました。以下その時の記事です・

23年ぶりのシンガポール。建設バブルを思わせる発展ぶりに驚きました。 2011年11月30日 (水)

シンガポールでの食卓事情と自動車と教育について。グルメのオイラにはたまらない国だ。 2011年12月 2日 (金)

旧市街地と開発地域とのアンバランスなシンガポール。それだけに面白いことが満載な国なのだ。 2011年12月 3日 (土)

今回オイラの末娘夫婦の夫(義理の息子)が、会社の赴任命令で数年このシンガポールを本拠地とした生活になり、彼の父親と長男、オイラ夫婦と合同でシンガポールに行こうということになり、楽しんできました。シンガポールは2011年の6年前よりさらに建設バブルで、公共施設もさらにグレードアップされていました。東京の銀座さえ超えた未来都市の様相でした。・・・・・・

続きを読む "ウチの娘がシンガポール在住となってしまった。娘訪ねてシンガポールの旅 1 "

| | コメント (0)

より以前の記事一覧