沖縄返還から50年 沖永良部島の思い出 敗北感のあるロシアから過去世話になった国は逃げるのに忙しい。
沖縄返還から5月15日に50年経ったと記念式典が行われた。1972年だね。オイラ1973年に結婚したから来年50年の金婚となる。返還数年前に、当時の仲間5人と大学の春休みに、スキューバーダイビングに行こうと計画したが、当時沖縄は返還前だったので、パスポートがいるとのことで、その手前の沖永良部島に行った。確か名古屋港から沖縄行きの船に乗って、途中で、艀(はしけ)で島の港に下船した。宿は港の傍で、そこを拠点に、昼2ダイブ、夜1ダイブをした。夜は水中ライトをつかって潜る。日帰りで隣の与論島にも行った。海ってこんなに美しいのかと驚いたものだった。OKガン(水中ゴム銃)で1m級の平アジ(ローニンアジ)や、あずきハタ、アオブダイ、バラクーダーなどなど、本土では見かけない獲物を追いかけた。ゴム銃のシャフトにライフルの玉を付け、サメを仕留めたこともあった(ポップガン)。当時ライフルの玉は結構自由に手に入った。夜はイセエビ狙い。水中ライトに寄ってくるところを岩の間に追い詰めて、銃で一発か、素手で捕まえた。サザエに似たその数倍大きい夜光貝や、パイプウニ、イモ貝など今も我が家の庭に飾ってある。またエラブウナギというのがいて、これは蒸して漢方薬になると。それらが人懐こく寄ってくる。それも数匹がだ。ウナギというが、これは正真正銘のウミヘビなのだ。さらに毒蛇なのだ。ただ口が小さいので、普通にしていれば噛まれることはない。陸にいるヤマカガシのような蛇なのだ。2回ぐらいシュモクザメの群れに囲まれたことがあったが、難なく逃れた。獲物は島の市場に持っていき、売りさばくことが出来た。旅費・経費は結構賄うことが出来た。この島の頂上付近に米軍のレーダー基地があり、タクシーで行くのだが、運転手が円をドルに換えてくれ、そこの食堂に行くと、分厚いステーキと本場のコカコーラを飲むことが出来た。最高だった。島には米軍兵もうろうろしていて、仲良くなったりした。
沖縄に初めて行ったのは、返還後数年経ってからだった。那覇の当時あったJALのホテルにカミさんと泊まった。名護にも行った。名護にいってウナギ料理の店で食べたうな重が大変美味しかったのを覚えている。・・・・・
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