2020年は正月から混沌が始まった。
少し遅くなりましたが、「皆さん!新年おめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。」
昨年の前記事にて、今年はますます国際的に混沌としてくるとしましたが、まさに正月から立て続けに起こりました。カルロス・ゴーンのレバノンへの違法脱出と彼の詭弁会見、米国がイラクにてイランの革命防衛隊司令官ソレイマニ狙い撃ち、イラン国民数十万人の抗議・追悼デモで数十人将棋倒しで死亡、イランの報復ミサイルがイラクの米軍駐留地に飛来、ただし人的被害無し、イランがブルって、ウクライナ航空の旅客機をミサイル誤射で墜落176人死亡、そして11日の台湾総統選挙。ネットやテレビでそれらを追う事が面白くて、ついつい記事の更新が滞ってしまいました。
カルロス・ゴーンが逃げ去った!
2020年は、昨年暮れ29日に起こった、あのカルロス・ゴーンの逃亡劇を受けて、除夜の鐘の「ゴーン」とともに新年となりました。まったく厚顔無恥なこの男。ルノーでヘッドハンティングされ、コストカッターとしての力量を買われ、提携先の日産に1999年6月に最高執行責任者(COO)として入社、翌年2000年6月に取締役、さらに2001年6月に最高経営責任者(CEO)に選出されました。彼は早速不採算部門の工場や施設を切り売りして、飛ぶ鳥の勢いで日産を立て起こし、
その結果、1998年には約2兆円あった有利子負債を、2003年6月には全額返済(社債を発行して、銀行からの借入金を全部返済している)。1999年度には1.4%であったマージンは2003年度には11.1%へと増加させる成果をあげ、12%前後まで落ちた国内シェアを20%近くまで回復させた。
しかし同時に、2002年にゴーン氏が打ち立てた3か年経営計画「日産180」(全世界での売上台数を100万台増加させ、8%の営業利益率を達成し、自動車関連の実質有利子負債をなくす)における販売台数目標達成のために、計画終了(2005年9月30日)前に集中して新型車投入を行ったことによる、計画終了以降の国内販売台数の深刻な低迷や、「ゴーン以前」に入社した居残り組と、「ゴーン後」に入社した中途採用組の社内闘争など、深刻な問題を残したままの親会社への復帰に疑問の声も上がっている。
ちょうど、2002年にオイラが卒業した新宿区立落合中学校の同期会があって、久しぶりに旧友と再会した。その時の旧友が確か東大を出て、日産に入社していて、彼とこのカルロス・ゴーンの話になった記憶がある。彼の評価としては、「まぁまぁ大した男だ」という答えしか得られなかった。今年も年賀状のやり取りをしているのだが、もはや退職組、悠々自適な生活で人生を楽しんでいるそうだ。
日産は、当時から、特に労働組合が強いというのが評判で、それをまるで運慶の仁王像のような恐ろしい顔で、日産の従来からの積弊を切りまくり、コストカットをしまくることにより、立て直したことは事実だろう。・・・・・・・・・・・・
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