カテゴリー「柑橘栽培作業」の82件の記事

2022年8月27日 (土)

現在の混沌(カオス)について

欧米、そして中共も今夏は熱波に見舞われて、連日40℃以上熱波が続き、さらに干ばつで、あの長江も底が見えるようになったとかの報道が相次ぐ。例年の気圧配置が変わったらしい。長江では川底が見える程になり、大岩に掘った600年前の小さな仏像が現れたと。おいおい、600年前も温暖化していたの?工場も、自動車も、飛行機も、石油もない時代に、人為的CO2温暖化か?。で、日本はどうかというと、北日本は、豪雨が連日、南日本も雨天が多い。中日本(関東・東海等)は猛暑が続いてきた。オイラ老後の運動と趣味で柑橘栽培をしているので、ことさら天気には敏感だ。1週間前には、病害虫を防ぐための8月の防除をした。防除液を計350L用意し、各木々の葉を目掛け噴射した。午後からの作業で2日掛けた。うちら地方の今夏は天候的に最善だったと感じる。連日晴天の日射が豊富で、これが続き、そろそろ土が乾いて水遣りが必要かなと心配すると、しっかり雨が降ってくる。そしてまた晴天が続く。もう8月の下旬だ、柑橘栽培には理想的な今夏のお天気だった。柑橘類は、雨ばかり多い夏より、晴天で土が乾いている状態が長いほうが、甘い柑橘が出来るそうだ。秋も続けば満点らしい。

1つ目のカオス。ロシアのウクライナ侵略からもう半年過ぎた。

さて、今はロシアのウクライナ侵略から半年になり、悪党プーチンは未だに強気発言の詭弁連発だ。もうどうしようもないねこの男は。ウクライナの大統領は、2014年に掠め取られたクリミア半島の奪還に力を入れ始めている。・・・・・・・・

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2021年9月18日 (土)

孫がワクチン接種を終えた。 第100代自民党総裁選-考

今年の夏も、ウチらの地域では、大騒ぎするほどの暑さではなく、その間幾度も雨が降り、柑橘の栽培には理想的だったと思う。2014年だったか、あまりにも7月~8月に晴天が続き、熱波と水不足で木が傷むと、軽トラに400リットルのローリータンクを載せ、数回往復で柑橘圃場にエンジンポンプで水遣りをした。その頃も、人為的CO2に依る温暖化だと大騒ぎだった。実はこんな夏は、記憶を辿ればちょくちょくあるのだ。それに反してここ数年は、適度の期間で雨が降り、非温暖化というような夏が多い。今日、明日、明後日は三連休なのだが、台風14号が、上海を左に見て、北朝鮮を目指すのか?と思っていたが、何を考えたのか、九州近くで直角に曲がり、四国⇒関西⇒東海、そして明日には千葉沖を通って、太平洋に抜けていくようだ。まるで酔っ払いのような。東京五輪の時も、東京を避けた台風があった。コロナ感染者もここに来て毎日毎に減って来ている。3連休もこのように日本中天気が悪ければ、また人流が増え感染者が増えることはないでしょう。まさに「神がかり」を感じてしまいそう。

孫と時々LINEをしているのだが、熱海駅から長男は高2で東京目白に新幹線通学、次男は中1で横浜に新幹線通学。校内や通学で、コロナを拾うことが心配だったが、今月8日に兄弟で、2回目を終えたと連絡が。しかし、その日、翌日は、発熱、頭痛、吐き気が襲ったと。娘の心配顔が目に映る。もう回復しただろう。やはり、体が健康で若いと、ワクチンと免疫が頑張り過ぎて、このような副反応を起こすのだろう。オイラやカミさんは、倦怠感は感じたが、ケロッとしていた。

自民党総裁選-考

昨日17日、告示となり、総裁選候補が出揃った。投開票日は29日だ。岸田文雄、河野太郎、高市早苗、そして滑り込みで野田聖子。野田聖子は、推薦人20名が集まらず、二階の采配でやっと揃ったとの話だ。・・・・・・

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2021年5月27日 (木)

柑橘栽培 PC用LINEがログインできなくなってしまった5月27日

5月の柑橘栽培と種まき

今日は5月末頃としては、冷たい雨が降っています。2週間前にウチ用の野菜の種を撒きました。前年使った畝に化成肥料と苦土石灰を撒き耕して、九条ネギ、モロヘイヤ、白カブ、茶枝豆を穴空きマルチの穴に3~5粒程蒔き、整備を終わりました。なんたって消費するのは、夫婦2人ですから、種の袋の半分程度としました。半月~1ヶ月後に、別の畝に残り半分を蒔こうとの作戦です。数日前に見にいったら、発芽していて、一つの穴に複数芽を出していて、1芽だけ残してあとは抜いて捨てるのですが、小さすぎでやりにくい。もう少し成長してからにしようとしました。今日たっぷり雨が降っているので、これの為の水遣りはしなくてよくなりました。ラッキーです。それより、その圃場にあるビワの木1本。今年は表年のようで、タワワに実っていました。その中で、見事黄色に色づいた房を7束ぐらい収穫して、ウチの食後のデザートにしました。たっぷりあり、甘夏みかんとビワの往復ビンタの毎日です。ビワはまだまだ沢山実っています。6月初旬には6月の防除の予定です。

PC用LINEがログインできなくなってしまった。

まさに、青天の霹靂というか、今日午前中、今ノりに乗っているLINEのグループアカウントを開いていたら、どこか弄ったのだが突然ログアウトになってしまった。・・・・・・・・・・

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2021年5月11日 (火)

柑橘の防除について  グループLINEについて 武漢コロナ

柑橘栽培

5月に入り、柑橘園の柑橘の木は一斉に花を咲き始めた。一番早かったのは、ネーブル、次は寿太郎みかん、黄金柑など。遅いのは青島みかんや他の雑種柑橘だった。満開の木の下は、まさに桜の花片のように真っ白になっていた。今年は雑草の伸びが早かったように感じ、4月中旬に除草剤を噴霧した。枯れるまでに2週間前後掛かるが、すでに完全に枯れていた。5月の始めに4月の防除をした。本来4月下旬なのだが、雨が降ったり、野暮用があったり、面倒くさかったりで遅れていた。メインはマシン油(商品名アタックオイル)100倍希釈で、他には時期に応じた殺虫剤1000倍希釈混合。なぜオイル?これは害虫の気門をオイルで膜を作り、窒息死させる為です。害虫は気門で呼吸をしている為、そこに狙いを定める。

この考え方は江戸時代からあって、・・・・・・・・

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2021年3月21日 (日)

柑橘栽培 父の命日 LINE問題

柑橘栽培

今日は一日中雨降りです。柑橘園での作業は、午後3時間前後ですが、9日間連続で続けた柑橘の枝葉の間引き剪定が、昨日やっと終わりました。柑橘栽培というと、一般には収穫作業の場面を思い浮かべるでしょうが、この間引き剪定が一番手間を喰う作業です。1本の成年木には作業に30分以上掛かり、切り落とした枝の処理にも時間が掛かります。ほとんど半割ドラム缶で焼却しますが。

裾成りといって低い位置に長く伸びた太枝の撤去と切り口を雑菌から守るトップジンなどの塗り殺菌剤処理。枝葉が混み合っている処の間引き、樹形の中心の方に伸びている枝葉の切断、すぐ近く平行に走っている枝のどちらかの撤去、曲がりくねったひねくれた枝葉の撤去。先々他の枝葉の邪魔になりそうな枝の撤去、そして前期夏・秋に急速に成長した夏秋梢(かしゅうしょう)の枝元撤去。5月に花が咲き、実が成るのですが、春梢(春枝)に成るのです。夏秋梢には実は成りませんが、ぐんぐん伸びて他の重要な枝葉に日陰をつくります。また風通しも悪くします。この後、春肥撒き、除草剤噴霧、マシン油防除、かいよう病防除、4月の防除が続きます。

父の命日

今日21日が、19回目の父の命日です。18日に墓掃除と墓参り、菩提寺への付け届けを済ませました。・・・・・

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2021年3月12日 (金)

柑橘栽培カネのためならやっていられない。 1ミリシーベルトの呪縛

柑橘栽培

今日の午前中、ネーブルのJAへの出荷をしてきました。これも亡き父が、約35年頃前に4本の苗木を植えたものです。正確には、森田ネーブルオレンジです。父親は嫁と孫達に食べさせたいとバラエティーを増やしました。隔年結果で、1本が表年、3本が裏年で、昨年より収穫量は減りました。収穫しても約3割は、枝擦れ、病害跡、形崩れもあり、出荷したのは約50キロです。JAから来る、これの代金は労務者の1日分の賃金にも満たいでしょう。まぁ、亡き祖父・父への供養と運動と趣味でやっていますので、カネのことは考えないことにしています。カネのことを考えたら、バカらしくてやっていられません。柑橘全てで、経費を引いたら赤字すれすれなのです。自分の人件費などありません。

ウチの規模の5倍の柑橘栽培をしたとしても、経費を引いたら日本のサラリーマンの平均年収の半分ぐらいでしょう。ですから続けられる人は、年金収入や不動産収入など不労所得のある人しか出来ません。若い現役の人は、とてもそんな時間は取れない。だから農業従事者は高齢者ばかりというのは当たり前なのです。面白い話しですが、JA(農業共同組合)の正組合員は年間60日以上3000㎡以上の農地で、農業に従事すると書かれています。経費込での人件費だと、2万円/日で計算して、60☓2で120万円/年の売上。実態は12~24万円/年が現実です。アホらしい。

林業も輸入材木に押され、採算的に手入れさえ出来ない状態です。平地の少ない地方の農業は、どんどん縮小していき、将来の可能性を考えれば、南側斜面に太陽光パネルを敷きつめ、太陽光発電に移行していくのは、自然の流れかもしれません。不動産バブルの頃は、山を削り道路を造り、別荘住宅街の開発も多くありましたが、当分あの頃のブームは起きないでしょう。さらに人口が減るなかです。そもそも別荘というのも、その必要性はなくなりました。掃除をしに行くような別荘という負債資産を抱えるより、自由に国内・海外に行ったほうが良い時代です。柑橘栽培はオイラで終わりと考えています。しかし、柑橘類の木枝と果実と、毎回戯れることは、自分の人生を豊かにしてくれます。

東日本大震災から10年 1ミリシーベルトの呪縛

昨日午後、ウチの柑橘園で柑橘の木の枝の剪定をしていましたら、午後2時過ぎにサイレンが鳴り響きました。ちょうどあの東日本大震が起こった時の慰霊のサイレンだったのでしょう。・・・・・・・・・

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2021年3月 8日 (月)

紅甘夏収穫の開始 ポストコロナ禍

柑橘栽培紅甘夏の収穫

昨日は紅甘夏の収穫を午後から3時間掛けて行いました。約5コンテナーで100キロ程度。亡き父親が約35年頃前に植えた木で、毎年たわわに紅甘夏の実を成らせます。この木は、2019年10月の台風19号で強風に煽られ、斜め横倒しとなっているのを、台風後発見し、仲間のケン坊の助けを借りて復旧させました。以後順調に回復して、今季も沢山の実を付けました。4月・5月まで成らせておける(木成り)のですが、その間に大風が吹くと、揺れて枝擦れが実の表面に付いたり、ポロっと落ちてしまったり、害虫の被害が出たりで、ちょうどこの頃収穫をします。そして予措をしてその後貯蔵庫に貯蔵保管をしておきます。この間に熟成が増します。以下は、この木が倒れ、復旧させた時(後半)の記事です。

台風19号の爪あとが、半端ではなかった。オイラの柑橘園でも起こっていた。

まだこの木に半分ぐらい実が残っているのですが、本日雨降りだとは気が付かず、現場に収穫したのをコンテナーに入れたままにして引き上げました。害獣が食べに来ないか心配なのですが、昨年1年掛けてボツボツでしたが、害獣防止の柵砦も完了して、「アリの一穴」でもない限り大丈夫なはずと思っていたら、昨日この木の近くで、なんと鹿らしい糞を2ヶ所見つけました。まだ新しい糞です。近くを点検すると、柵にしているトタンの合わせ目が少し開いている。子鹿だったら、なんとかすり抜けることが可能だ。そこで早速針金で補強しました。他にもありそうなので、改めて総点検をしなくてはならない。イノシシは太枝まで折り、鹿は低い枝の若芽若葉を食い尽くす。これをやられると、数年その枝の葉は新葉再起が出来ません。紅甘夏はこの木以外、若木1本と接ぎ木1本があります。・・・・・・・・・

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2021年1月23日 (土)

不動産登記簿に残された残滓(ざんし)・残渣(ざんさ)。オイラの爺様と時空を超えて触れ合ってきました。

今日は久しぶりに雨の一日となりました。これから夕方・夜、そして明日に掛けて雨はさらに強くなると。今日昼のテレビBSで、オイラの嫌いな二人が、あの2・26事件について特集をしていました。そう昭和11年(1936年)2月26日に起こった軍事クーデター未遂事件の起こった日についてです。これ中・高でも近現代史で習いました。まぁ昭和23年生まれのオイラにとって、幻のように遠い昔なのですが。ただこの昭和11年には最近オイラにとってある「思い」があるのです。

不動産登記法の残滓と残渣

父親から18年前に相続した土地についてなのですが、その土地は、オイラの住んでいる地域の里山にあります。不動産登記簿の甲区によると父の時代にその土地(1728㎡)、昭和48年(1973年)にある企業により売買予約がされ、「所有権移転請求権仮登記」が設定され、そのまま今日に至っています。地目は畑です。相続数年後、どんな土地かと調べようとしたのですが、あまりの急峻な土地であり、雑木林となっていましたので億劫になり実行しませんでした。いわゆる耕作放棄地というやつで。聞いたところによると、当時その企業が、大分譲地開発、またはゴルフ場開発を目論んで、所有者から買収するために活動したのですが、地目が畑だったので、農地法5条の許可を得なくてはならず売買予約の仮登記をして、事業を進めていきました。しかし、計画全ての土地を獲得出来ず、またその開発計画も行き詰まり、ずっとそのままになって来たようでした。

当時は土地バブルの初っ端なのか、この土地に乙区欄には、その仮登記の債権に対して極度額32億円の根抵当権設定仮登記がなされていました。今では考えられないことが、当時は、普通に行われていた時代だったのでしょう。それ以後日本中が土地神話に基づき、土地バブルに狂っていきました。やがて、1990年から株式バブルが崩壊していき、バブルによって土地の価格がとても庶民には手が届かない価格になり、それに暗躍する地面師や暴力団の買い占めなども跋扈し、社会問題化した時代でした。1980年代後半には、東京都の土地の価格の合計で、米国全土の土地が買えると、まるで信じられないような話が飛び交っていました。1990年代になって、政府は土地の総量規制に打って出て、銀行筋には、土地購買に対する融資規制に乗り出しました。もちろん根抵当権にもメスが入りました。最近、次に相続させる子孫に、こんな土地のまま継がせるには忍びないと、この件について本格的に調査に入りました。・・・・・・・

 

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2021年1月10日 (日)

どんどん焼き?どんど焼き? ますます勢力を拡大の武漢コロナ

小正月の風習、「どんどん焼き」と「どんど焼き」とは

昨日、2つある玄関の正月お飾りも外しました。毎年正月には海岸でこれらお飾りなどを持ち寄り、「どんどん焼き」をするのですが、未だその詳細な知らせが来ません。どんどん焼きも中止になるのか?と思って海岸に行ったら、町内会の各組長が総出で「どんどん焼き」の準備をしていました。来週の日曜日にこれに火を付け「どんどん焼き」とします。それまでに正月のお飾りを各自ここに持って行ってくくり付けます。そして来週17日の日曜日の早朝に火を付け、団子を火で炙り、これら食しながら無病息災を祈ります。

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この風習はいつから始まったのか誰も知らないようです。調べて見ますと、市内では古くから「どんどん焼き」と言い伝えられていますが、全国的には「どんど焼き」が正解なようです。

どんど焼きの意味と歴史。名前の由来は?地域別の呼び名は?

どんど焼きという名前の由来については諸説あるのですが、「尊(とうと)や尊(とうと)」と囃しながら櫓で火を燃やしたのが、

後に訛って「どんど」に変わったという説と、どんどんと燃える様子から名付けられた説(どんどん焼き)の二つが有力な由来です。

どんど焼きの呼び方は地域によって違います。代表的なものを紹介しましょう。

東北や、四国や九州の西日本の幅広い地域では「どんど焼き」「とんど焼き」、主に京都や北陸、中部などでは「左義長」と呼ぶことが多いようです。

山形や神奈川では、「道祖土焼(さいとやき)」

長野では道祖神を統括した神主の名前から「三九郎(さんくろう)」と呼ばれています。

これらは、ほんの一例で、同じ県の中であっても名称が違うこともあります。

よくあるのですが、最初に、このような村の行事をやってみようというリーダー達がいて、つい用語を間違って広めてしまうことがよくあります。「どんど焼き」を「どんどん焼き」(たしかにどんどんと燃えるので説得力あり)で広めてしまう。祭りで縄に付ける半紙を稲妻形にしたもの「おしだ」をここの地域では「おしめ」と言っています。しめ飾りの「しめ」からそうなってしまったようです。調べてみますと、ここの地域以外でも「どんどん焼き」で通しているところもあるようです。しかしオリジンとしますと「どんど焼き」が正解なようです。なぜかといいますと「どんどん焼き」とは「水に溶いた小麦粉を主体とする日本の鉄板焼き料理である。」になってしまうからです。

衰えるどころか、ますます勢力拡大の武漢コロナ

NZのデンコさんに、コロナについてNZではどうなっているのかeメールをしました。まだ返事は来ないですが。先程朝食時に観たTVにNZの年越しの模様が出てきて、北島のオークランドでは、花火を打ち上げ、数万人が広場に集まりカウントダウンをしたとか。それも大半がマスクなしでワイワイ、ガヤガヤとか・・・・

 

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2021年1月 4日 (月)

新年おめでとうございます。元旦は年長孫とポンカン狩り、2日は正月BBQ このコロナ禍で怖いもの知らずに。

新年おめでとうございます。このブログに訪れてくださいまして、心より感謝致します。

昨年は2月から始まった武漢コロナの影響で、日本のみならず世界中がひっくり返った1年でした。いままで、調子の悪い時しか、体温を計ったことはなかったのですが、コロナの影響で自宅・事務所にいる時は、数時間おきに計ることが癖となりました。全てセーフですが。生活面で我が家でも娘3家族との往来も途絶え、ビデオ通話でしか、対面会話は出来ませんでした。ジージ、バーバは高齢なので、もしコロナを伝染させたら、大変なことになると。ジージ・バーバが死んじゃうよと。それでも市内にいる次女家族の決死隊として、年長孫が2ヶ月に1回ぐらい、連絡係で訪問したぐらいでした。彼も新幹線通学で目白とを往復していますので、コロナにはオニママの司令で十分気を付けているようです。元旦には弟の分を含めて、お年玉の回収に訪れました。午後天気が最高良かったので二人でイベントとして、柑橘園で2本のポンカンの若木を収穫しようと、協力しあって済ませました。彼今や高1なのですが、身長はオイラを超え、足のサイズも27。2011年、たった10年前に大井川鉄道の二人旅を1泊かけてしたのですが。

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後ろの2本の若木がポンカンの木です。彼、腕力も一人前になっていました。まったく月日は早く早く流れていますね。

正月2日には、蘇州のイサ坊と三島の馬敬礼トシ坊と3人で恒例の正月BBQを、このコロナ禍の中、決行しました。・・・・・・・

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