GOTOトラベルで、カミさんと秋の三島スカイウォークと箱根関所と淡島ホテルに行ってきました。淡島ホテルは懐かしかった。
しばらく記事の更新が滞っていました。11月の初旬は自宅別棟の台所と半地下収納室の改修を毎午後からちんたらやっていましたが、JAから正月用のダイダイの出荷日の通知が来て、急遽ダイダイの収穫と選別に時間を取られ、その間16日には、カミさんが予約していたGOTOトラベルを使っての1泊旅行に行ってきました。まず、三島市の国道1号線を箱根に行く途中に最近出来た 三島スカイウォーク 。全長400mの歩行専用の大吊橋で、前から1回は行かねばと思っていました。様々なアクティビティーな施設があり、子供を連れてきたら、子供大興奮といったところか。歳相応に見るだけにした。吊橋も含めて、富士山が真正面に見えるところが取り柄だ。この地域の住民とすれば、富士山の見える場所は多く、富士山と共に暮らしているようなもので、大きな感動はないが、初めて見る人々にとっては大興奮だろう、三女は県立韮山高校だったので、学校から富士山は丸見えで、いわば富士山は空気のようなものだと言っていた。
次に国道1号線を更に上り、箱根の芦ノ湖へ。箱根は熱海から近いので、幼少のころから通算数十回行っている。ところが肝心の箱根の関所は1回も行ったことがなかった。そこでホテルのチェックインまで十分時間があるので、昼食を兼ね行きました。
歴史的背景や、様々最新の資料が展示されていて、面白かったです。またこの箱根に限らず,様々なヶ所に関所というのがあって、その場所が示されていました。当時日本は各藩に分けれていて、関所というのは謂わば国境のようなもの。厳重だったらしい。
箱根関所の検問
箱根関所の通過の際、検問するに事柄は、『諸国御関所覚書』に示され、時間は明け6つから暮れ6つまでと規定されて、夜間通行は原則禁止された。関西方面から江戸へ向かう者は特に検閲がなかった。逆に、江戸から上方へ向かう婦女子や乱心者、手負者、囚人、首、死骸等の反乱の原因になりうるものは、留守居の証文、夜間通行には老中証文や宿場問屋の断書が必要であった。道中奉行支配下の街道にあった新居関所、気賀関所、碓氷関所、福島関所などの関所の通過には、箱根関所同様に一定の証文が必要であった。
月曜日だったのだが、お客の入りは、コロナ禍の最中とはいえ、極普通に賑わっていた。もちろん外国人は見かけなかった。日本人だけ。特に犬連れや幼児連れが多かったようだ。秋空の晴天で土日には大混雑となっていると思う。もちろん外国人は、ほとんどいないコロナ禍だからね。
次に国道1号線を降りて、駿河湾の内浦方面に向かった。・・・・・・・・・・・
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