長い長い男女の歴史の中で、男の得て不得手、女の得て不得手は本能の中に組み込まれている。役割の違いを利用した理想社会を作ることが必要
人類の歴史のなかで、男と女の役割というのは自然発生的出来てきたのだろう。男は筋肉・体力が女よりはるかに勝り、獲物を獲って帰ってきたり、他の部族との争いを静めたり、男特有な知見を働かせて、家屋をつくったり、修理したり。これらが男特有の役割りだ。女はその体力で出来る範囲の収穫、料理 出産と子育てなどだ。これらが女特有の役割。近代になって一人の男と一人の女がペアーを組み、夫婦として助け合って生きて行くのが最良という時代になった。そして夫は妻並びに子供を守ることが当然の認識だ。もちろんイスラム教下の中では、今でも余裕のある男は妻を4人まで持っていいということになっているが、これは長い争いの時代、戦死などで極端に男の数が減り、それを補う知恵からそのようになったと。まぁ太古の時代は本能むき出しで、一人の男が数十人の女を自分の配下においた時代も最近まであったが。自分の子孫を増やしたいという動物的本能からだが。
文明の発達した現代では、上記のような男女差は必要としない時代となって来た。しかし過去の本能を引きずっているわけで、男の発想、男の処理の仕方、片や、女の発想、女の処理の仕方というのは今も生きていると思う。男は立ち小便、女がしゃがみ小便がいつまでも変わらないように。そんな中19世紀から20世紀前半まで起こった第1波フェミニズム運動、その後1970年以降起こった第2波フェミニズム運動と経緯した。記憶しているのは、ウーマン・リブ運動だ。こちらは1960年後半から1970年前半で、舞台は欧米や日本。「女性も男性と同じ仕事が出来る」「女性は男の奴隷ではない」と。日本ではピンクのヘルメットを被って活動した。中にはフランスあたりでは女性が、男と同じ様に胸当て(ブラジャー)を捨て、男と同じような服装をするんだと。中身はブラブラおっぱいで街を闊歩していた。オイラ確か1975年頃、カミさんとパリの街を歩いたのだが、パリジェンヌの何人かは、ノーブラだったのを覚えている。結婚式で観た花嫁衣装もノーブラだった。カミさんには秘密で楽しまさせてもらった。・・・・・
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