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2021年12月 8日 (水)

日本大学であの忌まわしい日大紛争から52年、また起こった上層部の不正。いつの間にか上層部は体育会系のバカの集まりになっていた。

オイラの大学時代は、大学生としての良い思い出はない。日大理工学部建築科の1年生だったか2年生だったか、例の日大紛争(闘争)に巻き込まれ、教室はロックアウト状態。授業料は払っていても、まともな授業もなく、暇ばかり。暇がもったいないし、カネもほしいで、アルバイトばかりに精を出していた。紛争の原因さえ、興味がなかった。たまに様子伺いで御茶ノ水にいくと、学生が沢山集まっていて、あとから名前が分かったが、秋田明大がリーダーで、演説をぶっていた。そもそも、目指した大学が、早稲田大学理工学部建築科、横浜国立大学だったが、みごと不合格で、そもそもやる気がなかった。熱海にいる父親も、どちらかというと、オイラの自主性に任せる方で、いちいち細かいことは聞かなかった。ただ東京にいるオイラの生活費、授業料などは、きちんとしてくれてはいたが。様々なアルバイトをした。デパートのお中元の整理のアルバイトしていたら、同朋があんた運転免許をもっているなら、市ヶ谷だったか目黒だったか、日本運転手組合というのがあって、各企業の運転手が欠員したとき派遣されるところがある。その日に日当を貰えるし、こんなところでやるより、もっと高い日当だぞと。そこですかさず、その門を叩き、そこの組合員?となり、様々な業種の運転手をやった。運送業、清掃車、ミキサー車、認知症の人の付添運転、夜逃げの運転、解体業の運転、エアコン取り付け業の運転と助手などなど、まだまだあった。翌年あたりにはこの日大紛争も静かになったが、今度は、70年安保闘争に移っていった。親戚の経営の関係で、高級クラブのマネージャー、バンドを背景に歌手、鎌倉由比ヶ浜で海の家の経営(1夏のみ)日大紛争が収まっても、大学は安定しなかった

この日大紛争とは、      日大紛争

1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて続いた日本大学(日大)における大学紛争である。ただし「紛争」との呼称は批判的ニュアンスのものであり、学生運動の立場からは日大闘争と呼ぶ。

理工学部教授が裏口入学斡旋で受領した謝礼を脱税していたことに加え、1968年に莫大な使途不明金が明るみに出たことで、日大生の怒りが爆発したことに端を発する、大規模な大学紛争である。秋田明大を議長とする日大全共闘は、教職員組合や父兄会をも巻き込み、全学的な広がりをみせた。・・・・・・・・・・・・・・・・

 

学内に警視庁機動隊が投入され、警察官1名が殉職したほか、双方に多くの負傷者を出した。同年9月には学生側が古田重二良会頭を筆頭とする大学当局に経理の全面公開や全理事の退陣を一時約束させたものの覆され、運動は退潮していった。

開始時期の早さやバリケード・ストライキの長期的維持、万単位の学生を動員して理事者との文字通りの「大衆団交」を実現したことなど、東大紛争と並んで全国の大学紛争に大きな影響を与えた。東大紛争と比べて要求項目が明確であり、当初は大学民主化の色彩が濃かった。

当時は現在より貧しく、大学の授業料やその他経費も親が懸命になって出してくれた時代だ。今より厳しい時代だった。学生達が教授を吊し上げていたことを記憶している。この当時は流行病のように、各大学で問題が発覚して、あっちこっちの大学で紛争(闘争)が起こった時代だった。各学生も他の大学に負けまいと、どうでも良いことまで紛争の種にした。この流れが70年安保、ベトナム反戦闘争に繋がっていった。新宿駅に学生がなだれ込み、騒乱があったのを見た。羽田事件、沖縄闘争、浅間山荘事件等々、武装闘争に繋がっていった。我々いわゆる団塊の世代の大学生活は、まったく4年間落ち着かない空気の中で、勉学をしなければならなかった。まぁ、オイラの場合は、結局トコロテン式の卒業出来、卒業証書と課せられた2年間以上の建築設計実務経験を経て、一級建築士試験に受かったが。左翼活動家小田実の影響か、この時代「何でも見てやろう」の本を読んで、大学を中退して、世界放浪の旅に出て、中途半端になってしまった高校同級生もいた。この小田実は当時、受験生のための予備校、代々木ゼミナールの英語科の講師をしていて、影響力もあった。

日大紛争などは別として、以後の武装闘争などは、日本共産党や日本社会党が後ろで糸を引いていることは、周知の事実だったが、マスゴミは一切追求はしなかった。いわばグルだった。

そうした歴史のなかで、また日本大学は上層部の金銭に関する不正が起こった。今度は金額的には当時よりもっと大きいし、悪質のような。

日大・田中英寿前理事長の逮捕で “ドンの宿敵” が権力闘争宣言!「彼は最低の人間。一派は学内から一掃する」12/7(火)

日大板橋病院の建て替え工事をめぐり、日大に4億2000万円の損害を与えたとして、元理事の井ノ口忠男被告(64)、医療法人「錦秀会」前理事長・籔本雅巳被告(61)が10月7日に背任容疑で逮捕されたのを皮切りに、ついに11月29日、理事長の田中英寿容疑者(75)が1億2000万円のリベート収入を申告しなかったとして所得税法違反容疑で逮捕された。

この田中英寿は当時日大相撲部の主将で、52年前の日大紛争のことは、十分記憶に残っているはずなのに、同じようなことをしでかしていた。当時は体育会系は大学側で、闘争学生から体を掛けて守っていた側だった。体育会系は頭はバカと言われていたが、本当にバカだったわけで。日本大学はあまりにもマンモス化してしまい。現在の日大生は、50数年前の紛争をまた起こす気力もないだろう。また、当時紛争に熱心だった連中のその後の人生の事を考えると、バカになれないのだろう。

オイラも知らなかったが、いつの間にか、日本大学は、体育会系のバカどもに、中枢を占められていた。コンプライアンス(法令遵守)なんて、頭のどこにもなかったということだ。

今から思うと、親が支払ってくれた当時の大学授業料と、失った大学生活を返してもらいたいくらいだ。さらに大学でほとんど授業らしきものを受けなかったというコンプレックスもある。でも、時々考えるのです。そうした大学時代だったから、日大だったからアルバイトに明け暮れしていたオイラでも無事卒業でき(トコロテン式でも)、やがて一級建築士の資格も取り、30代から熱海を起点で建築設計事務所を経営し、大温泉ホテル、マンション、ラブホテル、数々の街ビル、数々の住宅などなど設計監理をこなすことが出来た顛末は、このルーズだった日本大学のお陰かもしれないと。35歳で自宅を自分で建て、家族と海外旅行に何度も経験したり、3人の娘を4年制の大学に行かせたり、欲を張れば切りがない人生だが、今は古希超えとなり、自分の人生を振り返り十分満足をしています。これ、日大のお陰かも。

恒例の武漢コロナ 各国の成績表です。

COVID-19 CORONAVIRUS PANDEMIC の日替わりトップページからの引用です。

12月7日の成績です。

今回は新規死者new deathsをクリックして、多い順に上から並べ替えをしました。

クリックで拡大

128

米国は未だ、新規感染者、新規死者も多いですね、。オミクロン株は感染力がデルタ株より強いが、重症化率、死者率は、現在の統計では非常に低いらしいと言われています。そうなれば、普通の風邪のような範疇になるのではと、期待しているのですが。今の所、不思議なくらい、日本では全てに渡って患者は低くなっています。やはり国民性の違いからか?近所で、軽トラで一人運転していても、マスクをしているのを見かけます。野良仕事でもマスク着用という国民性なのです。欧州は未だ新規感染者は爆発し続けています。

 

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