高校時代の大先輩が逝去した。
柳家小三治師匠が逝去された。オイラが都立青山高校時代の大先輩だった。
柳家小三治さん 夕食とり入浴後に自室で急死…妻・和世さん発見「本人も全く死ぬつもりはなかったと思います」
柳家 小三治(やなぎや・こさんじ)1939年12月17日、東京都新宿区生まれ。都立青山高校卒業後、59年3月に5代目・柳家小さんさんに入門。前座名「小たけ」で初高座。63年に二ツ目に昇進し「さん治」と改名。69年に17人抜きで真打ち昇進。10代目・柳家小三治を襲名。10年6月から14年6月まで落語協会会長。2005年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章受章、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
前記事にあるように、オイラは、高校時代から新宿十二社(じゅうにそう)にあった親父の木賃アパート(光和荘)で管理人兼で一人暮らしだった。ここから、徒歩で新宿駅⇒信濃町駅⇒神宮外苑を通って通学した。最初はラグビー部に入ったが、放課後の練習でクタクタになって、夕食を摂るのも辛かった。それで部を変え落語研究会に入った。中学時代には中落合の祖父母の家にいて、そこには静岡県吉原からの下宿人も同居で、彼は早大生だった。早稲田祭は毎年秋にあるが、そこに連れて行ってもらった。中学一年生だったが、様々な催しに初めての感動をした。これが病みつきになり、今度は一人で通った。学生食堂でのカレーライス、焼きリンゴなど、安くて大変美味しかった。その中で、落語研究会の催しが気に入り、なんて落語って面白いんだろうと感じた。それ以外にも軽音楽サークルでは、ステレオで当時流行った米国のポピュラー曲を流していて、これもお気に入りだった。・・・・・・・・・
そんな下地もあって、1年生の5月ごろ、この落語研究会に入部した。先輩から、ウチの落語研究会は全国でも早くに出来たものでと誇らしげに言っていた。放課後、まず高座での話し方、発声方法などなど教えてもらった。誰もいない教室で発声したとして、声は通るが、そこに大勢がいると、声が人々に吸収されてしまい、倍の声量にしないと、聞こえないとか、そのためには基本腹式呼吸で発声することだとか、必要なく早口ではやらないこととか、話の間の取り方が重要だとか。よく政治家になろうとする人も落語を勉強すると。
放課後そんなことを練習していると、ニコニコしながら先輩がやってくる。この人が柳家小三治だった。前年に二ツ目昇進になった「さん治」さんだった。オイラ部員をからかったりで茶目っ気があった。いろいろ基礎を教えてくれた。さらに、発表会が近づくと、高田馬場にあった自宅に招いてくれ、一人ひとり出し物を語らせ、調教してくれた。彼の父親は学校の校長だと聞いていた。
ウチの高校に落語研究会が出来たのも、彼が卒業後協力したのではと考える。彼高校時代から個人的に素人寄せに参加で、優秀な評価だったらしい。大学は諦め、そのまま落語家になっていったとある。オイラより9歳先輩だ。
触れ合いは、その後オイラが40歳ごろか、熱海で見番寄席という催しがあり、これ数年しか続かなかったが、その出演で来たことがあった。林家木久蔵もいた。主催者側ではなかったが、一緒に歓迎の会食会があり、そこで再会した。もちろん相手はオイラのことなぞ覚えていない。そこで、都立青山高校の落語研究会でお世話になりましたと挨拶したら、茶目っ気で卒倒しそうに驚いてくれた。この時はTVでも取材があった。
そうそう、高校当時オイラの芸名は「訴婦家老恋(ソフィアローレン)」当時日本でも有名だったイタリヤの女優の名前。もっとトンチンカンな芸名にしておけばと今も思っている。通学中に話をブツブツ言いながら憶えていった。持ちネタは「千早振る」「三人旅」「日和違い」「湯屋番」「百川」など。未成年禁止話(バレ噺)は「蛙茶番」「宮戸川」などに触れた。
後年になって、大勢の前でのスピーチには、大変役立った。色々な組織での会議や、講演でも、この高校時代に身に着けた技は、アガることなく堂々と、ときには笑いを誘ったりの話術は大変役立った。最近クラス会で母校にいったのだが、いつごろか知らないが、この落語研究会は廃部となっていたことを知って寂しくなった。
小三治師匠の芸風は、
面白くもなんともなさそうな顔のまま、面白いことを話す。飄々とした表情のまま、ぶっきら棒にしゃべる。
柳家の伝統通り滑稽噺を主なレパートリーとするが、師と同じく、「あざとい形では笑わせない芸」を目標としている。落語(滑稽噺)は本来が面白いものなのできちんとやれば笑うはずであり、本来の芸とは無理に笑わせるものではなく「客が思わず笑ってしまうもの」だとの信念を抱いているからである。
師匠の柳家小さんもそうだった。よく無理やり観客を笑わそうとパフォーマンスをする噺家・お笑い芸人は、オイラも嫌いだ。例えば、明石家さんまなどは、聞いていて疲れる。林家三平も好きではなかった。これ、欧米の喜劇でも共通で、通じていると感じた。
だらだらと暑さが続いた今年の残暑と初秋。ここに来て庭の金木犀が咲き、良い匂いを漂わせています。甘柿はあと1週間後には収穫ごろ。いい時期に先輩小三治師匠は、幕を閉じました。多分本人も気が付かない内に。 合掌
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