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2021年10月の3件の記事

2021年10月22日 (金)

温室効果ガス阻止詐欺のCOP26  中国バブル崩壊?その前震か?

温室効果ガス阻止のCOP26が11月に英国で始まる

昨日から急激に冷えてきました。北海道の中山峠では吹雪になったとか。CO2人為的温暖化と、噺がますます大きくなって来ていますが、オイラ未だに国際的なプロパガンダではと訝っています。COP26も、もうすぐ英国で開かれるそうです。世は完全にIPCCの戦略に嵌ったようです。だいたいにおいて、過去から比べて平均気温が0.5℃上がったとか、1℃上がったとか。そもそも世界の平均気温を精密に測れるようになったのは最近のことで、そんな300年、1000年前と比較するにしても、精密に測れる気温計はその世にはなかった。太古の気温は木の年輪などを根拠にして算出していますが、そんなことで果たして精密な温度差なんて得られるのでしょうか?まともな気温計が国際的に普及したのは、早くて1900年代で、そんな0.5℃、1℃が重要な精密な世界平均気温を収録できるようになったのは、せいぜい50年前頃からだろう。それが人為的に排出する温暖化ガスがどんどん増えて、世界的に温暖化、気候変動が起きたとは、あまりに主張に無理があると考えています。何か別に世界的な思惑に載せられている印象です。牛のゲップのメタン、人為的化石燃料CO2などが温室効果ガスとされているようですが。1.温度計の歴史

米国人に帰化した眞鍋 淑郎(まなべ しゅくろう)が今年、CO2と温暖化の関係を解析した功績で、ノーベル物理学賞を受賞しましたが、これは国際的プロパガンダの一貫で、彼に受賞させたことは、あまりにも政治的な受賞では?と訝っています。アフリカのサハラ砂漠は太古の時代に緑が生い茂っていた大地だったそうですが(遺跡から)そんな数千・数万年前に温室効果ガスの影響で砂漠になってしまったのか?・・・・・・

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2021年10月12日 (火)

高校時代の大先輩が逝去した。

柳家小三治師匠が逝去された。オイラが都立青山高校時代の大先輩だった。

柳家小三治さん 夕食とり入浴後に自室で急死…妻・和世さん発見「本人も全く死ぬつもりはなかったと思います」

柳家 小三治(やなぎや・こさんじ)1939年12月17日、東京都新宿区生まれ。都立青山高校卒業後、59年3月に5代目・柳家小さんさんに入門。前座名「小たけ」で初高座。63年に二ツ目に昇進し「さん治」と改名。69年に17人抜きで真打ち昇進。10代目・柳家小三治を襲名。10年6月から14年6月まで落語協会会長。2005年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章受章、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。

前記事にあるように、オイラは、高校時代から新宿十二社(じゅうにそう)にあった親父の木賃アパート(光和荘)で管理人兼で一人暮らしだった。ここから、徒歩で新宿駅⇒信濃町駅⇒神宮外苑を通って通学した。最初はラグビー部に入ったが、放課後の練習でクタクタになって、夕食を摂るのも辛かった。それで部を変え落語研究会に入った。中学時代には中落合の祖父母の家にいて、そこには静岡県吉原からの下宿人も同居で、彼は早大生だった。早稲田祭は毎年秋にあるが、そこに連れて行ってもらった。中学一年生だったが、様々な催しに初めての感動をした。これが病みつきになり、今度は一人で通った。学生食堂でのカレーライス、焼きリンゴなど、安くて大変美味しかった。その中で、落語研究会の催しが気に入り、なんて落語って面白いんだろうと感じた。それ以外にも軽音楽サークルでは、ステレオで当時流行った米国のポピュラー曲を流していて、これもお気に入りだった。・・・・・・・・・

 

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2021年10月 4日 (月)

初めて千葉県市川に行って来ました。ついでにオイラの古巣の新宿に!15年ぶりに再度の記憶の上書きをしてきました。

市川に初めて行きました。

昨日3日の日曜日は、市川市に初めて行きました。三女一家がシンガポールから帰国後、市川の賃貸マンションにいるのだが、カミさんとのやり取りで、日曜日に夫婦同時に二回目ワクチンを打つことになり、副反応が心配だと。まして二歳の男の子がいる。個人差はあるが、発熱、吐き気、倦怠感にもし襲われてもいいように、カミさんがそのサポートをすることになった。保育園の送り迎えもある。ついでにオイラも市川は初めてだし、娘の住むマンションを見てみたい、さらにシンガポールから連れてきた猫も見てみたいということで、関東は二年ぶりの夫婦外出だった。孫の誕生の時は、カミさんはそのサポート役で、一ヶ月半シンガポールに滞在、結構楽しんで来た。その間オイラは、自炊生活だった。まぁ、これも、もしも先々カミさんの方が先に逝った場合の予行練習とした。

接種を終えた夫婦と孫とは、昼前に市川駅改札口で待ち合わせ、その後ステーションビル内の食堂通りで、寿司の昼食。孫は納豆巻が大好きで、たいらげた。その後タクシーで、マンションへ。オイラが大学時代はこの辺一帯は工業地帯で殺伐としていたらしい。当時あった運転手組合に登録し、各企業で運転手が欠席して、その臨時の運転手を手配する組織だった。日当はその日に貰えるという良いアルバイトだった。当時は日大紛争で教室はロックアウトで、通学は出来なかった時代だった。運転の日当は1万円前後で良いアルバイトだった。様々な職種の運転手をしたが、多分この市川周辺にも運転手として1度か2度は行ったと思う。一部風景にその匂いが残っていた。

娘夫婦のマンションは、江戸川べりで、江戸川に沿って遊歩道やサイクルロードがあり、大変良い環境だった。2LDKに幼児と猫と一緒の生活だ。ただ買い物は駅のビルとなり、徒歩15分前後。タクシーで600円という距離だった。・・・・・・

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