コロナ禍で期限1ヶ月遅れの所得税確定申告を完了した。オイラに関係の二人の脚本家の死
所得税確定申告を完了しました。
コロナ禍で、1ヶ月提出期限が伸びた今年の確定申告、昨日午前に税務署に行き、提出し納税もしてきました。毎年「excel確定申告」をダウンロードして、シェアーソフトなので、ライセンスキーをネット購入して、前年度のデーターの中で毎年変わらない項目は転移させ、項目の一部はコピーで、本年度分のデーターを入力です。不動産所得用、農業所得用はこれがあるので、少なくても1日分は助かります。農業所得は当然赤字です。特に昨年は防除用のエンジンをとうとう買い替えました。ヤフオクで中古品ですが、元気に稼働します。また防獣用の様々な用具も購入し、例年よりさらに赤字が膨らみました。それにより、所得計算での控除額が増へ、全体として節税の働きをします。ソフトの入力、プリントアウト編集・提出などで、今年も通算4日程掛かりました。次は法人確定申告が待っていますが、こちらはより簡単です。毎年赤字ですから。eタックスでネットアプリで作成と送信が出来るのですが、前年度のデーターをどの程度利用できるのか解らないことと、毎年すでに慣れているので、新しいやり方に慣れるのに面倒くさい。また、税務署に出向くというアナログを大事したいという思いもあります。税務署内の雰囲気を体で感じることも良いものです。
有名脚本家二人の死
橋田壽賀子が本年4月4日午前9時ごろ、自宅で逝去した、95歳で。合掌!
彼女は熱海市民ならほとんど馴染みがある。オイラと彼女は会ったことはないが、思い出がある。1986年ごろだったか、ウチの地区の隣に上多賀という地区があり、そこに山の上半分を宅地造成された熱海自然郷という別荘地がある。そこに建築開始の建物があり、市内の建築業者で懇意にしている現場監督が、「先生は、確か北米のツーバイフォー工法に詳しいですよね。知り合いの業者が自然郷で現場をやっていて、それがその工法なのだが、現場を案内しますので、アドバイスしてください」と。それが後から聞いたら、橋田壽賀子の自宅だった。・・・・・・・
木造の建築には、大きく分けると軸組工法と枠組み壁工法というのがある。軸組工法は、柱を建て、主なる荷重はその柱が担う。枠組み壁工法は、まず2”☓6”・8”・10”・12”等のサイズ(2”とは2インチのことで38mm)を根太にして張り、その上に厚12.5mmの構造用合板を張り、そこを次の作業台(プラットフォーム)にして、その床上で、壁となる枠組みを作成する。2”☓4”を連続間柱として組み立て、そこに構造用合板を貼り付ける。そしてそれを立ち上げ固定していく。壁パネルともいう。さらにその上に根太を組み、構造用合板を打ち付け、次の階のプラットフォームとして、その要領で最後屋根まで築造していく。これは北米で、はるか昔から行われている工法で、北米の標準工法となっている。遅れて日本では、1974年前後に建築基準法施工令で、この工法が認められた。オイラこの頃、講習会に行き、「カナダ大使館館員住宅」の施工図面集(本)を教材として講習を受けた。以後この工法では30件ぐらい設計・監理をした。今のハウスメーカーの施工のパネル工法は、この工法を基本とした応用工法だ。
話しが逸れたが、そんなこんなで、この橋田壽賀子邸の現場には、数回通った。橋田本人とは会ったことはなかったが。改めてネット検索で分かったのだが、当時彼女には、1966年に結婚したTBSプロデューサーの岩崎氏というのが存命で、夫婦で住む為の屋敷だった。多分竣工した時(多分1987年前後か)には、外界・下界に山々とウチの前の海と海岸が見渡せる景観を毎日楽しんだことだろう。1989年に肺腺がんで旦那が逝去して、以後一人になってしまったとある。以後も数々大ヒットのドラマの脚本を仕上げていった。さらに熱海市民との交流も積極的だったようだ。新宿区立落合中学校の同級生で、彼の知り合いの娘が、「渡る世間に・・・」のドラマの子役出演で、彼に橋田邸について話したら、熱海に遊びに来たいと。その娘の母親と共に来て、橋田邸を案内し(橋田は留守)、ちょうどみかんの季節だったので、柑橘園を案内した。その子役の娘とウチの3人の娘と一緒に写真を撮ったりした。
昔からオイラはTVドラマをあまり観ないが、そんなこともあってこの「渡る世間に・・・」は数回観たことがある。当時オイラは、熱海JCの会員で、そこで熱海再開発構想(アイラブ・アタミプラン)という画本を活動として出版し、内外に問いかけた。これは伝聞だが、橋田邸に出入りしているJCの仲間(家具屋)が、その件でオイラについて話しを橋田にし、オイラをモチーフにして、作ったTVドラマがあった。そのビデオはとってあったが、どこかに行ってしまった。題名も忘れてしまったが、故郷にUターンして、そこでその地域の開発構想を作り上げるという筋かきだった。ドラマ製作者が市内にあったオイラの事務所にドラマに使うと、その開発構想のA0サイズの絵を借りに来た。そのドラマの主演者名も今や忘れてしまっている。そんな経緯から、橋田壽賀子は身近に感じていた。火葬は4日逝去の5日に行なわれたと。熱海の背後にある山の中腹にある火葬場だろうが、こんなに早く火葬にしてしまったのは、コロナ禍で知らせを聞いた人々が殺到するのを防ぐためだったのだろう。
もう一人の脚本家は 脚本家:小松君郎の作品集
小松君郎(きみお)氏で、70年代に大ヒットした「時間ですよ」等の映画・TVドラマの脚本家。彼は1973年赤プリでのオイラの結婚式の媒酌人を夫婦でやってくれた。ウチの地域の出身で本宅はウチから歩いて5分ぐらいの近さだ。オイラの親父が若い時4歳上の先輩で、後輩としての付き合いだった関係で引き受けてくれた。もっともその前に、親父の結婚式にも、この小松氏が媒酌人だったこともあった。親父・息子が同一の媒酌人ってわけ。そもそもこの小松家は、食料油関係の会社創立で富を成し、先祖代々この地域の大資産家だった。
今でも巷での屋号は「あぶらや」。君郎氏は当時としては珍しく、慶応大学を出ている。オイラ結婚後、数年新宿に居たので、六本木付近にあった彼の自宅ビルに、数回お礼と挨拶を兼ねて訪問して交流をした。大変話題が豊富で、話しがさすが面白かった。ドラマのモチーフにしたいと、建築設計事務所内を見せてくれとの要望があり、当時オイラが勤務していた新宿にあった叔父の建築設計事務所に招待した。身になったかどうか解らないが。また当時俳優やスタッフらとオーストラリアに取材旅行をした体験談が面白かった。今にも落ちそうなボロ旅客機で、さらに現地のアボリジニ人と酒を飲んで懇親した話しなど盛りだくさんだった。その後、自宅を池袋の方に移してから、交流はなくなった。オイラも30歳で地元にUターンしたし。
やがて彼は2003年4月16日に84歳で亡くなったとある。オイラの親父が亡くなった次の年だった。葬儀の連絡が無かったので、風の便りで知った次第。小松氏はほとんど地元には帰らなかったと聞く。本家は長女夫婦が継いでいる。大変腰の低い、愛嬌のある人物であった。奥さん曰く「酒の呑みすぎで黄疸が出たのよ!」なんて苦情を言っていた。奥さんは、当時芸能界でのメーキャプ・アーチストだった。彼、84歳とは大往生の部類だろう。 合掌!
恒例の武漢コロナ各国の成績表です。
COVID-19 CORONAVIRUS PANDEMIC 日替わりトップページからの引用です。
4月7日の感染者累計から回復者累計を引いた、現在の実際の感染者Active casesをクリックして上から順番に並べ替えをしてあります。
(クリックで拡大)
日本は上から57位、24,915人です。米国は相変わらず1位で6,857,855人、フランスが2位で4,442,287人で更に酷くなって来ています。英国はワクチン普及のせいか、10位で307,587人です。ワクチンが一番普及しているイスラエルはもはや99位で4,790人です。
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