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2021年2月 8日 (月)

長い長い男女の歴史の中で、男の得て不得手、女の得て不得手は本能の中に組み込まれている。役割の違いを利用した理想社会を作ることが必要

人類の歴史のなかで、男と女の役割というのは自然発生的出来てきたのだろう。男は筋肉・体力が女よりはるかに勝り、獲物を獲って帰ってきたり、他の部族との争いを静めたり、男特有な知見を働かせて、家屋をつくったり、修理したり。これらが男特有の役割りだ。女はその体力で出来る範囲の収穫、料理 出産と子育てなどだ。これらが女特有の役割。近代になって一人の男と一人の女がペアーを組み、夫婦として助け合って生きて行くのが最良という時代になった。そして夫は妻並びに子供を守ることが当然の認識だ。もちろんイスラム教下の中では、今でも余裕のある男は妻を4人まで持っていいということになっているが、これは長い争いの時代、戦死などで極端に男の数が減り、それを補う知恵からそのようになったと。まぁ太古の時代は本能むき出しで、一人の男が数十人の女を自分の配下においた時代も最近まであったが。自分の子孫を増やしたいという動物的本能からだが。

文明の発達した現代では、上記のような男女差は必要としない時代となって来た。しかし過去の本能を引きずっているわけで、男の発想、男の処理の仕方、片や、女の発想、女の処理の仕方というのは今も生きていると思う。男は立ち小便、女がしゃがみ小便がいつまでも変わらないように。そんな中19世紀から20世紀前半まで起こった第1波フェミニズム運動、その後1970年以降起こった第2波フェミニズム運動と経緯した。記憶しているのは、ウーマン・リブ運動だ。こちらは1960年後半から1970年前半で、舞台は欧米や日本。「女性も男性と同じ仕事が出来る」「女性は男の奴隷ではない」と。日本ではピンクのヘルメットを被って活動した。中にはフランスあたりでは女性が、男と同じ様に胸当て(ブラジャー)を捨て、男と同じような服装をするんだと。中身はブラブラおっぱいで街を闊歩していた。オイラ確か1975年頃、カミさんとパリの街を歩いたのだが、パリジェンヌの何人かは、ノーブラだったのを覚えている。結婚式で観た花嫁衣装もノーブラだった。カミさんには秘密で楽しまさせてもらった。・・・・・

その翌年だったか、やはりカミさんとデンマークとスウェーデンに行ったが、ルンドという学生の街でそこの海岸に行くと、ヌーディスト海岸のように、若い子たちは胸当てをしていない光景を散々見さしてもらった。もちろんカミさんには秘密で楽しませてもらった。以外にアッケラカンとしていた印象だった。これもウーマンリブ運動の一貫だったのか解らない。

やがて、それがジェンダーフリー運動となって今日に至っているようだ。

ジェンダーフリーとは、「従来の固定的な性別による役割分担にとらわれず、男女が平等に、自らの能力を生かして自由に行動・生活できること」と定義される。

それがもっと発展して、同性愛をオープンに運動、LGBT運動だ。

LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、それぞれの英語の頭文字からとったセクシャルマイノリティの総称です。昨今、生まれながらの性別にとらわれない性別のあり方が見直され、世界中で同性間の結婚や、結婚と同様の権利を認める動きが活発化してきています。

日本では、大昔から同性愛者には穏便で、見てみぬふりの社会だったが、キリスト教・イスラム教社会では、戒律で禁断。場合によっては死刑だったこともあった。まぁそのような社会だったので、欧米での運動は多少理解できるが、日本でも同性の婚姻まで行くと、婚姻の趣旨から外れオイラは賛同しない。カナダ・バンクーバーのイングリッシュベイの海岸に行くと、ハゲオヤジ二人が手をつないで歩いていた。あまり好きな光景ではないと感じた。

出羽守(・・・ではあー意見)の人々は日本は遅れていると大騒ぎしてきたが、トランプ選挙で負けたヒラリー・クリントは、「ガラスの天井をぶち破る」と女性であることへの障害の実態を白状していた。日本だけじゃない世界中に男女差はあって、それは差別ではなく、男、女の役割の違いが出自となってきたとオイラは思う。区別差別と言って大騒ぎをする。なぜこんな話しになったのかというと、昼食時のワイドショーで、森会長の失言問題をだいだい的に取り上げ大騒ぎをしてたからだが。

マスコミが一斉に大上段に構え振り下ろす「正義」は、うさんくさく危うい

「森叩き」の根底にある「無言のコンセンサス」と「いじめの構造」

たしかに、オリンピックは世界的な大会なのだが、その背景での発言で、一部人によっては、女性蔑視と思えば思われる発言をしたが、全体をテキスト化したのを読むと、それほど世界中で大騒ぎする程のものかと思う。もちろん男だって長々と主旨の違う発言をしているのもいるし、女も同様。男の場合には、まわりの男が裏で注意をしやすいが、女の場合は下手に注意すると涙(女の武器)を出して反撃してくる場合があるので、その女を虐めていると見られるから注意しにくい背景がある。森はそのような経験が多かったのでつい・・。だったのでは。

まぁ、コロナ禍で皆ストレスが溜まっている中で、集団ヒステリーに陥ったかのようだ。議員も取締役の男女の数の違いも、適材適所が理想で、始めから男と女を同数にするなんてことは、ナンセンスだと思う。すぐ欧州では議会の男と女の比率は~と出羽守が始まる。今日観たワイドショーは、「ひるおび」だったが、出演がMCが恵俊彰 八代英輝 他ゲスト男2人、そしてゲスト女1人。男4人と女1人。この番組のプロデュサーよ、マシンガントークのMCの恵俊彰よ!なぜ男2人、女3人にしないのだ。他のワイドショーも似たりよったりの人選だね。大体テレビ局の取締役の男女比を言ってみろ。その理由の告白を言ってもらおうじゃないか。こういうのを「頭隠して、尻隠さず」と昔の人は言ったものだ。

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