植民地時代の宗主国の贖罪に今も悩まされている今の国々と今の子孫。過去の贖罪から解き放たれる日は来るのか?差別が逆差別を生むループは続く。
未だに、米国では例の「Black Lives Matter」運動が続いています。デモの様子をTVで見ると、約半分は国内の白人が参加しています。武漢コロナの新感染者はこれにより益々増え続けています。多民族国家ではない日本人から見ると、その黒人差別の日常というのは、ぼんやりとしか分りません。ただ大航海時代、欧州の国々は先を争って、アメリカ大陸、南アメリカ大陸、東南アジア、オセアニアを植民地化して、そこから莫大な富を自国にもたらし発展してきたわけです。こんにちまでの発展のプラットフォームはそこにあります。
オイラも過去からいろいろな国に観光し滞在して漫遊をしてきました。1975年前後27歳前後だったか、25歳で結婚してカミさんが当時JAL勤務だったので、航空券の割引券が容易に手に入り、ハワイ(新婚旅行)、香港、ギリシャ、フランス、デンマークとスウェーデン、イタリア、スイス、タイ等々、新宿で伯父の経営する建築設計事務所の所員だったのですが無理をいって、休業扱いで年に数度の海外旅行漬けでした。1旅1週間ぐらいだったが。イタリアのバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂とその広場に行った時、そのボリュームとグレードに感嘆し畏怖を感じました。そのころまだまだ歴史知識も低かったのですが、世界各地の国々を植民地にして、これだけの富を築き上げた欧州にまさしく感嘆し畏怖を感じた次第です。
その後、過去の備忘録を見ると、こんにちまでに、マレーシア2回、ベトナム、シンガポール3回、カナダ7回、米国4回、スペイン、イギリス、ドイツ、トルコ、豪州、NZ、グァム島3回、サイパン島、中国5回と仕事で上海3カ月滞在、台湾3回、韓国2回、タイ2回、フィリピン2回、ハワイ3回等々で、数が多かったカナダには仕事の関係(輸入建築)で、バンクーバーに最長滞在1カ月した。その都度帰りの土産は活きたダンジョネスクラブでした。南米にはまだ行っていませんが、もはや歳なので行きたい気持ちはそんなにありません。オイラの亡き父親も海外旅行好きで、南米には行っていますが。通りすがりでしたが、各国の人々と対面し、通りすがりの懇親、街の空気など吸ってきました。オイラ建築家として、やはり建築物・都市計画には大変興味があり、それがまた勉強でした。その中でもロンドン、パリにあれほど黒人系が多くいたのに驚きました。しかし、カナダのバンクーバーには黒人は非常に少なかった。トルコのイスタンブルでは黒人はほとんどいませんでした。NZも同じようでした。スペインの各都市も黒人を見たことはありませんでした。バンクーバーで、なぜ米国とこんなに近いのに、黒人が少ないの?と聞いたら、多分黒人の移民は制限しているのではとの答えだった。まぁ、黒人といってもエチオピア系とコンゴ系は大きく違います。正真正銘の黒人は、肌が限りなく黒く、骨太で筋肉質、体格も大きく、格闘したら絶対負ける程です。比重が大きいので、水泳には不向きと、カナダの友人パットが言っていました。彼は水泳の指導員を大学時代アルバイトでしていました。・・・・・・・・・・・・
あの大航海時代、奴隷商人がいて、アフリカ中・南部で現地黒人を銃で脅し、大型帆船の船内に夥しい数の黒人を閉じ込め、アフリカからアメリカ大陸に送った。もっともこの奴隷貿易は、古代ギリシャ時代からローマ時代、当時は普通の出来ごとだったと。南北アメリカ大陸では先進国の欧州国が植民地化するのに、必要なのは、人力の労働者だったわけで、先住民族が戦いや、白人の持ち込んだ疫病(天然痘など)で半減してしまい、莫大な人手不足を解消するため、昔からあった奴隷貿易で解消するためだったと。正確には、大西洋奴隷貿易 と云われている。
輸送された奴隷たちの中には、いくさの中で捕虜になった者や、村にいるところを襲撃されてつかまったり、誘拐されたりした者がいた。奴隷に罰を与えるため、あるいは債務を支払うために、アフリカ人が奴隷を売ることもあった。奴隷たちは手かせで互いにつながれて、内陸から何週間もかけて(場合によっては月単位かかることもあった)歩いて海岸までたどり着いた。奴隷は海岸に到着すると、ヨーロッパ人が購入するまで砦の中に押し込められた。新大陸に渡ったアフリカ人の推計は、1200万人から1300万人ほどというのが歴史学における通説である。
三角貿易において、アフリカ人奴隷の取引に携わったヨーロッパの国としてはイギリス、オランダ、フランス、スペイン、ポルトガルがある。新大陸では鉱山における採鉱やプランテーションにおけるサトウキビ栽培のために多数の労働力が必要とされており、アフリカ人奴隷はそのために輸入された。奴隷制自体は古代から多くの社会において存在した。
デンマークを中心として、この大西洋奴隷貿易を廃止する運動が起こり、やがて1800年代の後半にこの大西洋奴隷貿易は終わったと。しかしその結果、相手国では世代交代や、混血世代が延々と受け継いで来ている。オイラが中学生のころミッキー安川が若いころ米国に渡米して、いろいろな体験談の著作「ふうらい坊留学記」を読んで、おおいに刺激されたものだった。1950年代、まだ米国では黒人は差別されていて、バスも区分けされ、店でさえ黒人は入れないところもあったとか。黒人だけではなく、日本人を含む有色人種もそれなりに差別されていた。1950年から1960年にかけて、アフリカ系米国人公民権運動が起こり、キング牧師らの活躍のなかで、1964年7月に差別を撤廃する公民権法(Civil Rights Act)が制定され、ここに長年アメリカで続いてきた法の上での人種差別は終わりを告げることになったと。1964年と云えば、オイラ高校1年生で、今の初孫と同じ歳だ。小中学生のころから、偉大なる黒人歌手のナット・キング・コールやサミーデイビス・ジュニア等大好きで、一部の成功した黒人以外がそこまで米国では差別されていたとは知らなかった。
今もその国に他人種として、多くの黒人系が存在しているということは、歴史的に過去奴隷制度が関係していることになるが、遠い過去の歴史には、光と影が付きまとい、それを口実に現代に於いて糾弾しても、さらに混乱や混沌を招くだけであろう。このコロナ禍のなかで、あれだけのデモが盛り上がったのは、裏に混乱を起こそうとする組織の煽りがあったと思う。これがさらに過激化すれば、ますます白人と黒人との対立が激化していくしかない。
さて、恒例の武漢コロナ、各国の成績表です。
COVID-19 CORONAVIRUS PANDEMIC のトップページ(その日の統計です)
7月5日分のスクリーンショットです。
(クリックで拡大)
米国のデモの余韻なのか、1日の感染者数45,182人、1日の死者数254人、ブラジルは、1日の感染者数35,035人、1日の死者数1,111人、ロシアは、1日の感染者数6,632人、1日の死者数168人と現在も増加は衰えていません。4位インドも猛烈に追い上げています。
その中、56位の日本は、1日の感染者数214人、1日の死者数1人。まぁ、これで大騒ぎですが数字をみれば可愛いものです。22位の中国は、今もって正確な数字を上げていません。完全に隠しているようです。
今日は、都知事選の投票日。好きではないが、小池百合子が圧勝でしょう。他はカスばかりですからね。まぁしいて言えば、いちゃもんのみ野党の応援、宇都宮健児がどこまで票を伸ばすか、完全に活動家組織になっている日本弁護士会は好きではありません。
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