お正月の準備が整いました。暮れから正月にかけて3册の単行本を読まなくてはならない。
もうすぐお正月ですね。今日午後カミさんと一緒に近くにあるご先祖の墓地に墓掃除とお参りをしてきました。ウチの柑橘園に仏花のシキビ(シキミ)があちらこちらに生えていますので、カゴ一杯採ってそれを供えます。このシキビは種子が有毒で、劇物指定です。食用とすると死ぬ可能性もあります。大昔は土葬だったので、野獣からその死体を守る為に、供える花としたようです。まぁ常緑の枝葉ですが。夏のお盆の墓参り以外の彼岸と正月はそれに加え、小菊などの生花も一緒に供えます。夏のお盆は生花がすぐ枯れてしまい、汚くなるのでシキビのみです。
年中継続して入手できるため、日本では、俗古来よりこの枝葉を仏前墓前に供えている。古くから、シキミの枝を墓前に挿すと、オオカミ等の獣が(土葬の)墓を暴くのを防ぐと信じられていた。
茎、葉、果実は共に一種の香気があり、日本特有の香木として自生するシキミを用いている。葉を乾燥させ粉末にして抹香・線香・丸香としても使用する。シキミには毒気があるが、その香気で悪しきを浄めると言われている。
墓を後にして菩提寺に行き、”上”と書いた封筒にお金を入れ、お布施とします。まぁ先祖の管理料といったところか。墓には嘗ての愛猫の墓もあります。これは約10年前、トシ坊が石材店なので、黒御影石をもらい、彼の工場で電動彫刻刀を借りて自分で文字を彫りました。彼にはお礼にミカンを贈呈。
欧米ではクリスマスと誕生日会が家族の一大イベントですが、日本ではやはりお正月。日本では今年を見ていても、年々クリスマスに関してテレビでも大騒ぎしなくなりました。忘れてしまったかのように。キリスト教の欧米ではこのクリスマスが家族として1年での最大イベントです。家族・親類が一緒にこの日を迎えるのを楽しみにしています。ただこの頃は、クリスマスカードの交換は下火になって来ているとか。SNSの発達でこちらで済まそうと。費用も掛かりませんし、手軽だし。またプレゼントの交換も物が溢れている昨今、欲しくないものだと、下取りやネットオークションに出すとか。しかし彼らにとって、このクリスマスをたった一人で過ごすことは、大変つらいことには変わりがないようです。誰しも子供の頃からの家族・親族イベントで多くの楽しい思い出の中、その年のクリスマスは一人で過ごすということは心情的に大変寂しいそうです。家族・親族・友人を大切に思うこころを、キリスト教はしっかり掴んでいるのです。・・・・・・・・
誕生日会にしても彼らは大切なイベントのようです。オイラの人生を振り返って見ると、若いころから呼んだり、呼ばれたりがあまりなかったようです。この頃は若い子達の間ではよくやるようですが、大半は子供対象のイベントです。3人の娘達には、この誕生日会は毎回やってあげましたが、娘達がオイラの、カミさんの誕生日会を開いてくれたなんてのは、皆無のような。まぁ、いつまでも若くで有りたいオイラとしても、あまり歳を意識させるこの誕生日会はあまり歓迎ではありません。オイラの仲間同士でも誕生日会をやったなんてことは記憶にありません。どうも日本では誕生日会は子供の為の限定の扱いのようです。しかし欧米では歳を取るほど、自分の誕生日会を歓迎するようです。国民性・文化性の違いかもしれません。
正月用の準備はオイラの方は完了しました。墓参り・柑橘園内の整理・年賀状・4人の孫へのお年玉を仏壇へ。各お年玉は千円札を10枚で統一、子供は1万円札1枚より、千円札10枚のほうが豊かになったような気がするものです。仏壇に置くのは、ご先祖様からという体裁です。日本文化は先祖崇拝が特徴ですが、これ結構、万国共通なようです。イタリアの地方の村の紹介で、ご先祖様(直近のジージ・バーバ)が天から見ていて、守ってくれる、さらにプレゼントもしてくれるとまさにサンタクロースのノリで行事が行われているそうです。嘘話のサンタクロースより、可愛がってくれた亡きジージ・バーバからのほうが、子供にとって現実感があります。さらにプレゼントをもらった日には、ご先祖様のお墓に生花を供えるそうです。
真の愛の一つは、その人(過去の人)の存在を忘れないことです。ところが人間は過去のことはすぐ忘れてしまい勝ちになります。ですから何かにつけて行事を行い、思い出し、再び思い続けることが必要なのです。そう、何かに付けてその亡き人の話題を話すことです。今は画像やビデオで簡単に残すことが出来るようになりました。また観ることも簡単な時代となりました。ありすぎて困る程に。しかし話題にして話すことの方が、数倍説得力があります。
未だ読んでいない本が
未だ読んでいない単行本が3册溜まっています。この20年PCのモニターで文章を読むのがほとんどで、紙媒体の本はどうしても遠ざかってしまいます。それでも、これではいけないと、毎月送られてくる月刊WILLは飛ばし読みをしています。以下を正月にかけて読破しようとしています。
城山三郎について
以前、江藤淳の「妻と私」と一緒にネット購入したのですが、ついこの城山三郎の著作はそのまま読まずに置いて置きました。城山三郎を知ったのは、ちょうど29歳の時、オジキの建築設計事務所を退所したとき「毎日が日曜日」という題名が気に入って買いました。退所したのは、当時東京で世帯をもって暮らしていたのですが、当時熱海で一人暮らしの父親のもとにUターンする準備の為でした。一旦東京で一級建築士事務所を開設し、30歳で熱海に帰りました。まぁ父親も熱海で建築士事務所・土地家屋調査士・行政書士事務所をやっていましたから、その事務所に移設しました。同居でした。葉山で住宅2件の設計と現場をしていた時、彼の著作『打出小槌町一番地』(1977年、新潮社/1981年、新潮文庫)を購入して宿で読みました。
『そうか、もう君はいないのか』は、城山三郎の遺稿を編集したエッセイ。妻の容子との結婚後、2000年2月24日の別れまでの日々について記されている。2008年、新潮社刊。2009年には、TBS系列でテレビドラマ化された。
2007年3月22日、著者の城山三郎没後に、次女の井上紀子と新潮社編集部の手で、遺されたメモや原稿を再編集して出版したもの。それらの遺稿には、「ё」という印しが付されていた。「ё」は、ロシア語で「ヨウ」と読み、妻の容子に関する原稿類である事を表していた。(あとがき「父が遺してくれたもの」(井上紀子)による)
帯に”50億の中でただ一人「おい」と呼べる妻へー” 愛惜の回想記とある。その頃の世界人口は50億と言われていたような。今じゃ70億超えているらしい。オイラ、カミさんに「おい!」なんて呼んだら次の日までチクチクとやられる。しかし夫婦とはそのようなものなのです。オイラ追憶すると、カミさんとは高校時代の同級生で、卒業の際、下駄箱エリアで、一瞬二人だけになったのを見計らかって、「将来結婚適齢期になって、まだ結婚していなかったら、結婚を申し込むよ!」と言い放って別れた。人間何でも勇気を出して言ってみるものです。その言葉が彼女の脳裏に深く焼き付いたのか、先々クラス会で会って、そこから大人の交際が始まり、スムースに結婚に至りました。(そんなことはどうでも良い 😵) 夫婦は一心同体になるので、彼としては「容子」と書くことが、こっぱ恥ずかしかったのかもしれないね。だから「ё」としたのかもしれない。その気持分かります。この単行本はなにか身に詰まるような思いがして、そのままでした。
夜 と 霧
1946年に出版されたヴィクトール・フランクルのナチスの強制収容所経験に基づいた書籍作品である。
原文のドイツ語タイトルは …trotzdem Ja zum Leben sagen:Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager (Kösel-Verlag, München 1977) 、日本語訳すると『それでも人生に然りと言う:ある心理学者、強制収容所を体験する』となる。
1956年に刊行された日本語題の『夜と霧』は、1941年の「夜と霧」(法律)に由来する。アーノルド・ワイス=リューテルの書籍(1952年)やアラン・レネの映画(1955年)の題名とされていることを認識したうえで名づけられた。
1959年に刊行された英語版では当初『From Death-Camp to Existentialism』(死のキャンプから実存主義へ)という題名が付けられたが、1962年に『Man’s Search For Meaning』(生きる意味を探す)という題名に付け替えられた。フランス語版もこの英語版の題名がベースになっている。
これはあまりにも有名な作品です。オイラ小学3年か4年の頃だったか、母親がこれを買ってきて、家に置いてあった。まだ学力的にこの本を読む力はなく、ただ挿入されている数々のおどろおどろしい写真を、まるで怖いもの見たさで、夥しい数見ていました。5年生ごろ母親が一部を読んでくれました。幼気な少年、全裸にされ走らされた数人の女性、大量の犠牲者をブルトーザーで埋めているところ、山のように集めた犠牲者メガネ、人間の皮で作った装飾品、いまでも写真だけは鮮明に覚えている。もちろん以後の人生でも、何度もそれらの写真を見てきたからだろうが。
ところが、考えてみると、この本は独力で一切読んだことはなかったことに気がついた。母親が一部読んでくれたことしか記憶がない。そこでネットで急遽購入した。将来死ぬ前に読んでおこうと。よく日本軍のやったことを、おバカなタレント記者や学者が、ホロコースト(大虐殺)として同一視した発言があるが、そんなものじゃない。量は質を変える。ドイツ・ポーランド以外各国の犠牲者を含めた累計数は600万人を超えると言われている。因みに英語では、”The Holocaust”としたら、ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った大虐殺、単に”Holocaust”としたら信じられない程の大量な大虐殺を意味するとあった。さらにこの語源はユダヤ教の宗教用語から来ているとある。
榎本博康著「走り読み文学探訪」
今年10月に高校時代の2クラス会の「すみえ会」、2年毎の開催をしましたが、前前会の担当幹事エノ坊が、実は10年前に本を出したと、その単行本を皆に披露し、紅一点で参加したマドンナに贈呈した。そんなことがあるなら、なぜもっと早く言わなかったのだと冗談で攻めたのだが。すみえ会の名前の由来の担任教師だった亡き宮崎寿美枝先生が現代国語・古文の先生で、彼は先生から可愛がられていたそうで、この本が完成し、佐賀県唐津にお住まいだった先生に贈ったら、たいそう褒められたそうだ。先生はその数年後に逝去されたと。それで当日の会に参加した人だけに贈呈するということになり、オイラは送料は会の繰越金から出費するから、サイン入で送れと要望した。そしたら数日前に届きました。彼は大手企業を定年退職して、今は技術士として個人営業中で、それでも暇が出来たので、第2作目に取り掛かっているそうです。趣味はマラソン・合唱・ヘビーメタル演奏とか。真面目そうで、オイラのようなヨタ話はしません。
暮れから正月はこの3册の本を読まなくてはならないので忙しくなりそうです。
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