台風19号の爪あとが、半端ではなかった。オイラの柑橘園でも起こっていた。
10月22日、23日に襲った台風19号、テレビ報道では未だに災害地の悲惨さを、いろいろな角度から報道をしています。オイラの地域を中心に状況を前前回に記事にしましたが。12日PM8時ごろ、台風の目が通り過ぎましたが、今回のは中心付近はそれほどの暴風雨はなく、進行前方の地域が広範囲で酷く被害を受けました。それも強風ではなく、記録的な雨量が、夥しい河川を氾濫させ、堤防決壊をもたらせました。関東一帯、静岡、長野、茨木、福島等々、未だに氾濫した河川による、泥水の清掃作業が続いています。民主党が政権を奪う前、麻生首相が、ここのところ、日本に上陸した台風なんて聞かないと言っていたように、そのころ一次的なのか、数年間上陸した台風は少なかったのです。温暖化に依る気候変動は、その原因は人為的CO2の増加だという国際的な風潮ですが、台風の発生は海水温の上昇に関係するにしても、太平洋の海水温の分布の精密な解析ができるようになったのは、近年になってからで、50年前、100年前には聞いたことがありませんでした。
あの海水温が移動する、エルニーニョ現象、ラニーニャ現象なども、30年前にはほとんど知られていませんでした。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が主導する人為的CO2が犯人説にはさて置きますが、今回の被害は、河川堤防の老朽化や、堤防建設反対運動で、最適な築造が進まなかった場所、もともと設計や施工が悪かったなどの原因で被害が大きくなったように思えます。2000年に長野県知事になった田中康夫の「脱ダム宣言」の流れ、そして2009年からの民主党政権での「コンクリートから人へ」の流れ、スーパー堤防の事業仕分け(蓮舫)、八ッ場ダム建設中止(前原)、などなどの流れが、担当する役人達のやる気を削いできたことは、間違いないでしょう。ここ100年をとって見ても、大きな台風が来なかった年が続いたり、連続で大きな台風に見舞われたりの繰り返しだったというのが事実です。年別台風記事一覧
100年間、400年間、1000年間にも夥しい数の台風が来ているのですが、被害の詳細な歴史資料がないのです。大昔は報道も今と比べたいして発達していなく、また人権意識も低かったので、それほど大騒ぎができるような時代ではなかった。また建物も今と比べれば非常に少なく、人的被害も少なかった。川と土地は一体でした。洪水で山から恵みの肥料がやってきた状態もあったでしょう。タイの田園・畑のように。ですからCO2による温暖化が原因という言説は未だに信じることが出来ません。地球上の陸地が常に動いて、様々な現象を起こしているのと同様に、気候変動(偏西風の動き)も常に動いていると思います。毎年、事務所の前の小さな庭にキンモクセイの木があり、9月下旬には良い香りの花を咲かすのですが、今年は今、10月下旬に咲きました。1ヶ月遅れです。これは残暑が長かったことが原因なのか、キンモクセイに聞いてみたいところです。
お盆に菩提寺の住職が読経に来るのですが、・・・・・・・・
寺の歴史が残っていて、100年ぐらい前には、その寺はウチの地域の山裾にあったのですが、山津波(土石流)にあって壊滅し、隣の区域に寺を移したそうです。その辺と思われる場所の近くに、ウチの土地(約1300㎡)があって、登記地目は農地ですが、耕作放棄地で課税地目は雑種地扱いで、毎年数十万円の固定資産税を納めることから逃れるために、みかんの苗木を植えたのですが、65年ほど前まで水田だったそうで、水捌けが悪いように思い、知り合いの建設会社にユンボで60センチ程、全面土を掘り返し耕作してもらったら、土石流の残骸がボロボロ出てきました。大きな石、小さな石、見事でした。ごろた石の販売をしようかと思った程です。
今回の台風では、ウチら地域は特筆するほどの被害はなかったのですが、熱海駅のある中心街区の山側では、断水が続きました。この地区は、背後の山の裏側、函南町からの柿田川湧水を本管で市内に運んでいて、それが函南町側で土砂崩れがあり、その本管が破断したのが、原因でした。一時停電もしたそうです。ウチらの地域は、まったく別のルートで地下水を浄水して配給していて、なにも問題はありませんでした。
さて、台風が過ぎ去ったあと、ウチの柑橘園の見回りをしたのですが、その時は問題は発見しなかったのですが、20日になって、再度今度は園の段畑の上の方に上がりましたら、なんと樹齢多分30年の紅甘夏の木が、実を沢山つけて横倒しになっているのを発見。翌日午前に支えにするべく古い脚立をもって修復に行ったのですが、太枝を肩に掛け、持ち上げようとしたのですが、とてもじゃないが無理でした。そこで、頭に電球が点き、そうだトラックのジャッキでアップしようとトラックから持ってきて、ジャッキアップしたのですが、途中までで、そこから先には進むのが無理でした。
ふと眼下を見渡すと、なんと仲間のケン坊の柑橘園に軽トラが止まっているのを発見。
早速携帯で助けてくれ!と。モノラックで下に降りて迎えに行き、現場で対策を練りました。ケン坊曰く、ウチの倉庫にチェーンホイストがあるから、これを使って引っ張り上げようと、これを持ってきてくれ、かなり上にある太い檜にロープを巻きつけ、中間にチェーンホイスト、そして甘夏の太枝にからませて、少しずつチェーンを引っ張り、揚げて行きました。
元の角度に直ったところで、支保の脚立を縛り付け、更に鉄パイプの長いのを寸又に掛け、しっかり縛り付けました。まだ青かった実は、3割り程度摘果しました。
根本の土を均し、これで終了です。ありがとう、ケン坊。
それにつけても、大雨になると、どこからかイノシシ、ハクビシンなどが、まだ甘くなっていなくても、実を荒らしに来ます。多分大雨で、数日の食料がないからなのでしょう。実だけならまだしも、枝に登ったり引っ張ったりで、枝を折ってしまい、これが一番悩みの種です。
これ、興津早生のみかんの木で、最近まで多くの実を付け、枝葉も茂っていたのですが、今回の台風のあと、食い荒らされたようです。果樹栽培の悩みの一番はこれらなのです。背の低い若木は、これにやられることが多いです。憎き害獣め!今年も檻わなを仕掛けて、大小のイノシシを5頭ぐらい駆除したのですが。部農会でケン坊がこの係りですが、まだまだ多くいるようです。
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