2泊3日で前立腺検査の検査入院をしてきました。特に熟年以上のご同輩に参考として体験談を捧げます。
21日・22日・23日と近くの病院で、入院生活をしました。これ前立腺検査入院です。実は数年前頃から、真夜中1・2回尿意で起こされ、排尿をするようになりました。これ最初の頃は、冬場に多く、夏場はあまりありませんでした。しかし日常でも、なんとなく小便の量が少なく感じるようになりました。それと同時にその回数が増えてきました。また時には残尿感がなんとなくあり、すっきりした気持ちになるのが少なくなってきました。もちろんネットを通じて医学知識を高め、自分の体を客観的に見てきました。男性は熟年を超えると、そのようになる確率が大変高いそうです。地元の仲間と一杯飲んでいると、排尿の回数が皆多くなり、自虐的に「前立腺肥大友の会」なぞと言い合って、「関東の連れ小便」をします。この場合の熟年の定義は60歳以上、特に70歳以上です。オイラの場合、失禁まではいきませんが、たまにチョビルこともありました。まぁ、これはモノを仕舞うときですが。
2014年の5年前に、市の健康診断として、市内病院で前立腺の検査をしました。これ血液検査でその日の内に結果がでます。PSA検査といわれます。結果は、PSA4.032ng/mlという結果で、担当の医師が、経過を見たいから1ヶ月後に再度検査をしろと。数値がこれより上がっていたら、生体検査をしたほうが良いと。調べるとこの生体検査というのは、前立腺がんの検査で、前立腺に特殊針を刺し、それに付いた肉片を検査してがんが発生しているかどうかを調べる検査だ。もちろんその場合、入院しなくてはならない。多少の怖さと医師が病院の売上を伸ばそうとしているかもしれないとの疑惑を感じ、そのままだった。地元の仲間ケン坊(薬剤師)が今年尿が全く出なくなるという現象が発生し、「塗炭の苦しみ」を味わい、近くにある同じ病院に駆け込み処置をしてもらったと。診断の結果はこの前立腺肥大で、その中を通っている膀胱からの尿管が圧迫され、それで尿管が絞められ尿が一時的に出なくなったとのことだった。因みに、この前立腺クルミ大なのですが、肥大化すると玉子大・みかん大の大きさになるそうです。結局手術で膀胱に管を入れ、尿を排出して、その後再度手術で、前立腺を削って小さくしたと。これ1週間の入院だったと。あとは薬服用で今は全快、小便の出も回復したらしい。また検査でガンの疑いもなかったと。
いままで寒い頃だけ気にしていたが、特に今夏になっても、夜尿、頻尿、回数過多が続いているように感じ、ケン坊の話しも影響して、決断しました。7月30日に初診で、血液検査・尻穴からの触診・エコー検査を経て、8月13日に再診で、医師面談して、今回の検査入院になった次第。PSAが今回は10.・・・ng/mlになっていた。さらに残尿エコー検査では60%ぐらい残っていたと。今日の記事はこの検査入院の体験談を自分の備忘録として、また熟年ご同輩の皆様にも体験談として、参考になるかもしれないと提起したものです。ネットで医学書を読んでも、本人体験記はあまりないので参考にして下さい。・・・・・・・・・・
まず、21日のAM10時にカミさんに送ってもらい病院に着き(といっても車で5分)、入院の手続きをしました。保証金5万円でした。古希超えのオイラの場合には2割医療負担で済みます。この病院は比較的新しいので、設計も良く設備が整っています。20代後半、務めていた建築設計事務所(オイラの叔父が経営)が、八王子の病院2物件をやっていて、その担当でしたからこの病院を詳細に内部を観察しました。まぁだいたいパターンは同じです。自分のベッド回りの物入れに衣服など整理して収納しました。有料テレビが各ベッドに付いていますので、視聴カードを買ってきてセットし、イヤホーンもセットしました。4人部屋でしたが、他の患者は1人、但し寝たきりでそろそろという重病でした。痰が絡むのか、数時間ごとにそれを吸い取る音が聞こえます。なるべく聞かないようにしていました。総じてどこもそうなのでしょうが、入院患者はほとんどがジジババで古希(70)・傘寿(80)・卒寿(90)超え、女性看護師から見れば、オイラは未だピチピチボーイに見えたでしょう。
オイラ担当の若い女性看護師がいろいろ、血圧、体温、他の様々な検査、をしてくれ、こまめに頻繁に面倒を見てくれました。とにかくベッドは狭いので、寝る以外は様々体型を変えて、持っていった月間雑誌や、テレビで時を過ごしました。昼食、夕食はやはり病院食なので、我慢して食べました。対応している以外はテレビが多かったのですが、こんなに続けてテレビを視聴したのは、初めてというか久しぶりです。オイラ、家のテレビは、ほとんど見たい番組は、自動録画のCM飛ばしで見ているのですが、今回はそんなわけにはいかない。まぁ、商品を売らんがためとは言え、バカ踊ったり、バカ叫んだり、詐話師的なCMにずっと付き合わされました。また芸の無さそうなタレントが鈴なりの番組で。嫌気が指すと、月刊WiLLの熟読で過ごしました。初日はこんな感じで消灯が9時。寝る前に下剤を飲まされました。これは明日の手術のためで、溜まった便を出させるため、手術中に便がこんにちわは、お互い嫌ですからね。翌日朝は浣腸をしますと告げられました。
22日は朝からまる1日食事なしで点滴です。担当の看護師は経験不足か、点滴の針が上手く刺さらない。別の看護師が来て点滴針刺し成功です。これ単に栄養を取るためでなく、抗生物質などの液も体内に入ります。手術するカ所が、玉袋の根本と肛門の間なので、その間の毛を若い女性看護師がシェーバーで剃ってくれ、さらにトイレでオイラの尻から浣腸をやってくれました。さらに便が出たあと、確実に出たかどうかの確認をしてくれました。その後、2時になるまで、ベッドで待機。その間も血圧・体温・その他の検査を繰り返ししてくれました。やがて2時過ぎに館内の手術室に入りました。担当医師が3人でいろいろ説明を受け、手術用ベッドに横たわり、座る姿勢で背骨の脊髄に麻酔注射をしてもらいました。痛さは点滴針を入れるときと同じで、大した痛さではありませんでした。それから仰向けに横たわり、お産のときと同じように、両足を挙げた姿勢になりました。だいたい5分ぐらいで麻酔が効いてきます。まったく両足の感覚がなくなってしまいました。
鏡がないので作業状況は見えませんが、その玉袋の根本と肛門の間に、それ用の特殊針を刺し、引き出した小さな肉片を用紙に張り、小さなケースに収めそれを東京に送って、ガン細胞があるかどうかを検査してもらうと。針刺しはこの間に8カ所したらしい。麻酔が効いているので一切感覚がなく、痛くも痒くもありませんでした。また同時に麻酔に依り、下半身が数時間麻痺しているので、歩くことができないので、膀胱から尿道を通ってチンコの尿口まで直径5ミリほどのチューブを入れ、その先の小便袋に達するように処置がされました。この処置もほとんど感覚がありませんでした。これで膀胱に尿が来れば、溜まらないで、小便袋に集められます。以上手術時間は約1時間でした。病室のベッドには、ストレッチャーに載せられ、病室のベッドまで運ばれました。ベッドには3人の女性看護師に引張り挙げられ移動させられました。
とにかく、ベッドでは、両足の感覚なし、点滴の管、小便袋への管、そしてテレビからのイヤホーンと4重苦のなかでした。担当看護師に足をツネってみてくれと頼み、ツネってもらっても未だ感覚なしでしたが、麻酔注射後、約3時間(ベッドに戻って約2時間)後にだんだん足の指が動くなるようになり、やがて正常になりました。夕食が出たのですが、まだ座ることが出来ず、旨いとは言えない病院食を寝ながら横向きで食べました。本当はその女性看護師に食べさせてもらいたかったのですが、そこまではしてくれませんでした。やがて夜10時過ぎには眠りに就きました。その間看護師や医師が見守りに来たようでした。
23日の朝、朝食後、小便用のチューブを医師に抜いてもらいました。尿道から抜くのですから、一瞬少し痛かったです。これで自由を勝ち得た小鳩のような気分となりました。その後、担当医師と面談。状況説明と1週間後に検査結果が出るとのこと。彼いわく、前立腺がんの方が、肥大より治療がしやすいとのことでした。それは、転移がなければ、前立腺ガンはおとなしいガンなので、初期ならばホルモン療法で楽に治癒できるとのこと。ちょうどお昼の12時過ぎに処置薬をもらって、退院となり、迎えに来たカミさんの車で我が家に着きました。
熟年以降、この前立腺ガンは多くの人に発症しているのですが、おとなしいガンなので、やがての死ぬときまで気が付かずが、やたら多いそうです。またガンではない肥大症も多く、これも処置なしで死んで行くパターンも多いと。江藤淳の「妻と私」の中で、妻の看病や死後、「突然小便が出なくなり」という場面がありましたが、これは前立腺肥大症かガンだったようです。
以下がこれらのネットでの解説です。
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