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2019年4月30日 (火)

昭和末期の頃の思い出。平成から令和へ、日本の時代の変換が始まった。

4月30日、今日は平成最後の日となる。ここ数日、テレビのワイドショーでは、平成最後という名目で、必要以上に盛り上がっている。多分今夜24時には令和へのカウントダウンでもやりかねない。まさに年末大晦日の”行く年来る年”の乗りのようで。古希超えのオイラから見ると、30年なんて思い起こすと、あっと言う間ですね。今でも記憶に残っているのは、1988年昭和63年当時、昭和天皇の体調が悪化して、Xデーはいつなのかが日常話題になっていた。陛下が下血をなされたなどとの話題が巷に溢れていた。

オイラ、ちょうど40歳になっていた。年末には熱海青年会議所の卒業の歓送迎会なども行われた。その頃、同青年会議所の仲間と月例の食事会を持っていて、その中にはOBや大手ホテルの女将もいて、その女将の雅号が「青陽」だったので、青陽会と言っていた。常会はそのホテルで会食のご厄介になって、月1万円の積立をして年に2回ぐらい旅行会をしていた。メンバーは計8名ぐらいだったか。その年12月の会の時には、新元号は何になるのかというのが話題だった。女将は衆院議員の筆頭秘書(弟)と懇意にしていて、そこから聞き出した候補名を挙げていたが、結局外れてしまっていた。

その頃の世相は、皇室関連で何か切羽詰まったような空気が流れていた。・・・・・・・・・・・・

その頃は、1980年代からバブルの症状が出てきて、オイラも年々建築設計の仕事が忙しくなってきた。当時増改築も含めて、旅館ホテルだけで7件もあり、昼は建築設計、夜は時々だが、営業としての飲食会などで、このままいったら死んでしまうかもしれないと思った時期もあった。また営業を目論見前提だが、青年会議所、ロータリークラブなどにも入っていて例会・委員会もあり、多くの体験をさせてもらったが、身は一つなので、てんてこ舞いだった。今のオイラの知見はそのころ養ったものが多い。

バブルの兆しを感じたのは、1984年ぐらいか。とある老舗旅館の社長から呼び出しが掛かり、いままで旅館の改造の融資を申し込んでいたが、ダメだった年代が続いたところ、急に銀行側から連絡が来て融資をしていいと。「あの渋銀がいくらでも出しますよ」だってよ。と大喜びだった。さあ、設計に取り掛かってくれと。そんなこんなで、日本中が土地金融バブルで盛り上がっていった。それに応じて建設・建築バブル。職人の日当も2~3万円という、今と比較すれば異常状態が続いた。根本は金融緩和の為せるワザなのだが。経営者達はやっと自分の力量を銀行が認めてくれたと錯覚だった。数億円、数十億円と85年~95年ぐらいまで、日本はバブル漬けとなり、プラットホームは土地担保融資。この熱海でも場所の良いところは、坪500万円なんて噂が飛び交っていた。それを頭に入れての融資計画だから、皆経営者は気が大きくなっていた。中には旅館経営者がゴルフ場開発やカナダのホテル買収なんていう猛者もいた。オイラもそのホテルに連れていってもらった。また株式バブルでもあって、カン坊などは、株売買で狂っていた。

その後、熱海の旅館経営者達は、返済が出来ない時代に入り、オナー一族は追出され、新しいホテルチェーンの経営に変わり、例えば、一泊二食で2万円前後が、食事はビュッフェスタイル、布団敷きっぱなしで1万円前後と廉価になって行った。今の熱海温泉旅館の再生は、これが一番の要因であることは確かだ。交通の便(新幹線)、駅が温泉地ど真ん中、海と山々に囲まれているロケーション。こんな地は日本中探してもも少ないだろう。また伊豆半島を含めて、温暖で更に歴史的に大天災の非常に少ない地の利がある。

結局この1988年・1989年はそのバブルの頂上付近だったのではと思います。1989年1月7日に昭和天皇のご崩御で昭和は強制的に終了し、翌8日に平成元年となった。天皇のご崩御により、いつごろまでか記憶がないが、テレビCMの自粛で、暗い日々が続いた

当時の空気

・TV局5局が申し合わせて、「天皇崩御の記者会見」から2日間CMを抜きにした。

・歌番組、ドラマ、クイズ番組はすべて姿を消した。

・テレビを見ても何もやらなので、レンタル・ビデオ店が大繁盛した。(普段の4~5倍の貸し出し)

・ご容態が悪化して以降、プロ野球で日本一になっても祝勝会でビール掛けが中止になるなどした

・昭和の末期 毎日、天皇陛下の 体温、脈拍、吐血量が報道され 世間は自粛ムードだった

・昭和末期の自粛ムードがどういうもんかというと、テレビの編成がバラエティ激減とかだけじゃなくて、昭和63年の忘年会、昭和64年〜平成元年の新年会が9割方行われない、とか国民生活全体の消費行動が激減して大変だったんだよ!

・昭和から平成に変わったときのことを覚えてない世代に説明しておくと、崩御して1週間くらいはTVCMがなくなり、種々の行事(お祭りとか)自粛されました。確かドラゴンズの優勝パレードも無くなったはず。東日本大震災の直後を思い出していただければいいかと。

・お若い方にはピンと来ないかもしれないけれど、昭和が終わる時の自粛という名の不謹慎厨の跋扈具合は凄まじかったんだよ…… 飲食店の予約は軒並みキャンセル、宴会とかもってのほか、楽曲を流すのは不謹慎、祝賀行事は全て中止しろ等々……

・いやほんとに、昭和天皇崩御前後の自粛ムードって、ただごとではなかったぞ。ただ、あのときはまだ今よりはるかに日本は元気で、むしろ過熱気味じゃないかくらいの勢いあったから大丈夫だっただけで。なにしろバブル崩壊前で、二つの大震災もまだなかったときなんだから。

・東京五輪とご自身の崩御が重なる可能性を憂慮されているのかもしれないと言うツイートを読んでハッとなった。 たしかに五輪の年に自粛ムードだと日本にとっては良くないよねえ。

・昭和天皇が入院されてから亡くなられるまで、そして亡くなられた後も、大層な自粛圧力があった。 デパートや観光地がガラガラになり、行事やお祭りが中止になり。外出するときは服の色まで気を使った。 そやってみんなが右往左往したの憶えてる自分。ツイッター民の中ではかなり年寄りなのだな。

・昭和天皇陛下の時の自粛ムードで印象に残ってるのが日産A31セフィーロのCM。井上陽水が走るセフィーロの助手席で窓を開けて「皆さんお元気ですか」と喋るシーン、陛下が病気を公表されてからは音声が消され、井上陽水が口をパクパクさせるだけの奇っ怪なCMになったという。

・昭和天皇が受けたような過剰な延命治療と詳細な容態報道による人権蹂躙、莫大な国家予算を投じて行われた大喪の礼や、自粛ムードによりもたらされた社会の異常な状況を、回避したい、という「お気持ち」でしたね

その後、不良債権を抱えた企業、証券会社、銀行などが相次いで潰れ、離合集散を繰り返し、バランスシート不況を乗り越え、失われた20年をリセットしたところで、この平成が終わり、令和の時代を迎えることになった。

4月1日にスキーに行く為、孫の家(次女の家)でテレビを観ていた。11時半に菅官房長官が新しい元号を発表すると。最初「新しい元号は”れいな”です」と聞こえた。全身鳥肌が立った。なんと次女の名前は「れいな」なのです。すると横にいた孫が「ジージ!”れいな”じゃなくて”れいわ”だよ!」と。一瞬我に返ったのだが。まったく親バカの喜劇が起こりました。本人がその場にいなくてよかった。

明日は、令和元年5月1日となり、平成31年4月30日で平成は終わります。よほどのことがない限り、オイラは令和から次の元号に変わるころには、この世にはいないことでしょう。それがなんとなく寂しいですね。オイラの仲間達もいないことでしょう。まぁ一人ぐらいはいるかもしれませんが。今の若い人達に次の時代を託します。家族・家庭を守り、子供を育て、孫に命を引き継ぐ、これ人間男女、千年万年と繰り返してきた普通なことなのですが、これこそが素晴らしいことですよ。至福とはこのことでしょう。

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