孫とのスキー旅行、珍道中が沢山あり、孫孝行が出来ました。未だに腰に鈍痛が。
4月1日~4日まで、白馬五竜スキー場に行ってきました。行く前のことを前々記事にしてあります。スキーは1998年、今から20年前が最後でしたが、初孫が昨年初めて体験したらしく、行きたくてしょうがない。孫孝行のつもりで、3月中旬にホテルを決め、スケジュールを立てました。白馬は春スキーで有名らしいが、それでも、4月1日からは、予約したホテルの傍にある「いいもりゲレンデ」は閉鎖となり、近くとしては「とおみゲレンデ」まで行かなくてはならないことを後から知った。
ホテルはウチら客しか泊まっていない。これbooking.comで予約のときには、空室5室となっていて、急いで予約したのだが、騙されました。さらに3月下旬になって、朝食付きがナシになったとメール連絡。もちろん、その分安くなったのだが。さらに夕食もホテルのレストランがあるとのことだったが、閉鎖ですと。キャンセル不可の方を予約だったので、他のホテルに変えることも出来ず、鉄道と高速バスで辿りついたので、こちらでの交通の便を考えると、どうしたら良いかの作戦が必要でした。最初このホテルの予約時は、中国系のようなので、さぞや中国からや外国人がわんさかいると想像したのですが、客は孫と二人だけでした。また飲食店などがある地域とを繋ぐシャトルバスも4月1日からは運休でした。まぁ、往復ビンタを喰らったようでした。
それでも強気でいられたのは、この白馬五竜と白馬八方尾根との中間にある別荘地に住んでいて、さらに白馬八方尾根でスキーのインストラクターをやっている高校時代の同級生のタカ坊がいるからでした。・・・・・・
過去のスキーウェアーは孫にあげ、レンタルしました。もちろんスキーの板と靴もです。20年の歳月で、板も靴も変わり、板は先が丸みがあり短め、靴も変化していて、履き方が昔と違うので戸惑ってしまいました。リフトやゴンドラに乗るのも、昔のように腕に腕章のように付けて、見せるのではなく、カードを買い左側のポケットにそれを入れて通過するだけで、検問が開くという進んだ方式になっていました。
1日の夕方、タカ坊が車で迎えに来てくれ、夕食を一緒にしました。当初彼は、インストラクターの仕事があるので、一緒には滑れないでしたが、それを休んでくれたのか、暇が出来たのか、「明日一緒に、孫のレッスンをしてあげる」と。天気予報では、次の日は、吹雪になりそうで、ここのスキー場は広大で、リフトの数も多く、またゴンドラも複数あるので、迷走してしまう可能性があり、それの心配で付き添ってくれたようだ。孫のレッスンはタカ坊に任せ、オイラはその後ろを滑りました。20年スキーについての空白は、思い知らされました。
まずそのころと比べ体重が10キロ近く増えたことで、動きが鈍くなっているようでした。なんたって古希超えですからね。一番驚いたのは、転倒して起き上がるとき、起き上がれないのです。足の腿とストックを持つ上腕に力が入らない。こんな簡単なことが出来ない。また新雪の中滑ったのですが、ゴンドラから降りて滑り始めると、思うように滑れない。調べると板の裏に氷がへばりついている。それがブレーキになっているらしい。タカ坊に手伝ってもらってそれを除去したのだが、タカ坊曰く、レンタルの板はワックスが掛かっていないのが多いと。急いでゴンドラで降りて、ワックスを買い、板にワックス掛けをしました。孫の板も同時に。
その日は終了して、次の日はホテルの管理人、趙(?)さんに送り迎えをしてもらいました。客はウチらだけですので、サービスをしてもらいました。それにしてもゲレンデ近くには数多くレストランはあるのですが、ほとんどが4月1日から休業のようで、電話で問い合わせしても誰もいませんでした。ただゲレンデはすいていてリフト・ゴンドラの待ち行列は皆無でした。さらに、2日・3日と新雪に恵まれました。
彼は日本に来て十数年で、本拠は東京。もともと鍼灸が専門だとか。子供はインターナショナルスクールに通わせていて、教育費が高くてとぼやいていました。中国では上海の郊外の出身だとか。チェックアウトの時まで送り迎えをしてくれました。オイラも2000年に上海に仕事で3ヶ月いたので親しみを感じました。
ホテルの客室のテレビは、つけて5分もすると「通信レベルが下がっています」と視聴できなくなり、これをずっと繰り返していました。これじゃあお客は怒ると思うのだが。タカ坊に聞いたら、ウチはケーブルテレビなのでそのようなことはないと。幸い部屋でWI-FI受信が可能で、孫は家からのと、オイラのと、タブレット2台並べて見放題。ゲラゲラ笑い続けていました。何がそんなに可笑しいのか理解できませんでした。孫はまさに中2病真っ最中なのです。何度か叱る(軽く)ことも多かったです。この時期は、好奇心で自分勝手なことをする時期なので、まぁ自分でも覚えがあります。
3日はタカ坊はいないので、二人で滑りましたが、午後終盤で事が起こりました。ゴンドラは午後4時で終了、リフトは4時半で終了なのですが、頂上で、彼自分勝手に先に行き、その結果はぐれてしまい、オイラはゴンドラで降りて、孫が先に下りていないか探したのですが見つからない。どうしようと。そこでこの「とおみスキー場」の拠点プラザの受付に行き、広報を頼みました。受付の女性はすばやく広報を掛けてくれました。孫は孫で、やはりはぐれてしまったことに気づき、彼はパトロール隊の詰め所に行き、やはり広報を頼んだようです。つまり同じ時間に双方から同じ名前が飛び交っていたという喜劇が起こりました。まぁ、結局孫がプラザの受付に来て、事なきを得ました。少し叱りました。
4日は午前中滑って、上がりましたが、孫も慣れたようでしたので、一人で勝手にと解放しました。オイラはプラザの傍のリフトで滑っては休みを繰り返していたのですが、腰掛けて休みの最中、色々な外人と話をしました。オッサンが腰掛けていたので、近寄るとタバコを勧めます。アーこれ中国人だなと。中国のタバコ吸いは、親睦のきっかけに自分のタバコを勧めるのが習慣です。まぁ、オイラ4年前にタバコとは縁を切ったので、「ノン・スモーキング サンキュウ」と断ったが。何でも香港から来て、スキー場には一人できたと。数年前ニセコでカミさんと一緒だったが、彼曰くリフトから落っこちて、腕の骨を折り、それ以後スキー恐怖症になって東京で待っていると。
さらに別人になるのだが、若い男女。話をすると同じように香港からだと。結婚はしていないと。オイラも香港は行ったことがあり、アバディーンの海上レストランの話などした。当時タイガーバームガーデンに行ったのだが、大昔閉鎖になったのでこの二人は知らなかった。日常香港では広東語で話をし、マンダリン語(北京語・標準語)では会話はしないそうだ。もちろん学校では必修科目だが。あと英語が主だと。広東語・英語・マンダリン語が飛び交っていると。
中国内は、各地域喋る言葉が違う。上海語、青島語、蘇州語、南京語、海南語・・・・・・・・・・日本での方言なんていう違いではなく、完全に別の言葉だと云われる。まぁ、日本でも沖縄の琉球語は方言を超えているが。蘇州に滞在したことがあるので、「ソシュウ」と言ったのだが、どうも発音が違うらしく通じなかった。水路を女性が小さな小舟を漕ぐフリをしたらやっと通じた。
スキー場を、見渡してみると約2割ぐらいが、外国から来たお客のようだった。イカツイ体格の男性7人がテーブル挟んでビールを飲んでいた。数人の首にはタトゥーがあった。あーこれはNZ人だなと思って聞いたら、やはりNZから来たと。オイラ3年前に行ったことがあるので、会話が盛り上がった。3年前、南島2000㌔、北島1000㌔をレンタカーで走った話など会話に花が咲いた。一人はクライストチャーチからだと。オイラ、ダニーデンに知り合いがいるよと。更にサム・ニール(映画俳優)を知っているか?と。皆全員頷く。彼はオイラの従妹の旦那だよと言ったら、驚いていた。スノボー専門で来たらしい。
その他、同じように孫の子守で来た、大昔のスキーヤーとも会話し、話が合いました。また結構一人でスキーに来た人も多かったです。
4日の午後、白馬五竜のバス停から高速バスで長野駅に行き、新幹線で熱海に無事帰りました。鈍痛の腰はまだ全快していません。今回のスキーは人生最後のスキーになるかも知れません。
最後に孫の勇姿を陳列しておきます。向こうに見えるのが、白馬八方尾根スキー場の山々です。
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