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2019年1月16日 (水)

1月15日英国ブレグジット案は議会で否決された。鉄の女メイ首相頑張れ!

英国のメイ首相。彼女の苦戦をテレビで観ると、つい気の毒になってしまいます。まぁ確かに英国のこれからを決める重要な案件ですから、これだけ大騒ぎになるのは致し方がないとしてもだが。1月15日の英国議会でのEU離脱案採決は、事前の予想通り、賛成202票、反対432票の大差での否決となった。ダブルスコアーで否決された。

EU側とすれば、英国側(メイ首相側)の希望通りの離脱案で離脱を許すなんてことは絶対しない。簡単に離脱が出来れば、これに従う国が続出する。徹底的な不利な条件をつけて、国に持ち帰れと話しを付けたわけだ。日本の性力剤名のようなユンケル委員長、顔はにこやかなのだが、メイ首相を苛め抜いている。詳細を肌身で知らない我々日本人からすると、離脱はそんなに難しいことなのか?と訝ってしまうのだが。

英国は、過去の例がある。EUの前身EECの時だった。EECってなつかしい。EEC(欧州経済共同体)

英国は、1957年にEECを創設したローマ条約の当事国ではなかった。後に、イギリスは、1963年と1967年にEEC加盟を申請したが、いずれもフランス大統領シャルル・ド・ゴールにより拒否された。ド・ゴールがフランス大統領を辞任すると、イギリスは3度目の加盟申請を行い、ようやく認められた。1973年1月1日にイギリスはEECに加盟し、広く共通市場としてイギリスを開放した。

この時はやっとEECに入れてもらった。・・・・・・・・・

しかし、もともと大英帝国だった英国だ。加盟したあとも議会・国民でもぎくしゃくが続き、

1973年のエネルギー危機は、多くの西側諸国にとって経済問題の原因となった。 1975年に英国はEECに留まるべきかを問う国民投票を行った。1975年6月5日、有権者は「英国は欧州経済共同体(共通市場)に留まるべきと考えるか」という問題に賛成か反対か投票することを求められた。賛成67.2% 反対32.8%で投票結果に合わせてイギリスはEECに残留した。

その後、EECはマーストリヒト条約の結果EU(欧州連合)となった。その後様々な国家主権を侵されるような事項がこのEUの執行部によって行われ、特にシェンゲン協定による国境に何の制限もなく移動が出来ることにより、経済難民が流入してきた。

2012年・2013年に、フランス・ドイツ、そして英国に滞在したが、パリ、ロンドンなど以前1970年代に行った時と比べて、人種のルツボだった。正規白人は半分ぐらいの印象だった。特に東ヨーロッパから、北アフリカから、中東からの人々が定住しているように感じた。やはり旅行者から見れば、パリは白人のパリジェンヌが一杯であって欲しい。それでも英国はドーバー海峡で隔てられているので、陸続きの他のEU国のようなところまで行っていなかった。

それでも、英国は嘗て世界中の国々を植民地にした手前、それら被植民地国からの人々を受け入れざるを得なかったことはあった。

2013年1月、キャメロンは2015年に選出されれば再交渉する一括提案に関して2017年末までにEU加盟に関する国民投票を行うと発表した。 デーヴィッド・キャメロン率いる保守党は、2015年総選挙に勝利した。その後間もなくして国民投票を可能にする2015年欧州連合国民投票法が、議会に提案された。 

自身は改革された欧州連合への残留を支持しながらも、キャメロンは保守党の閣僚や議員が自身の良心によりEUに留まるか脱退するかを選択して選挙に臨めると発表した。 

キャメロン首相は「2016年6月23日付の国民投票(イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票)」を発表し「リスボン条約第50条」を引用しながら脱退する国民投票多数派となった場合に欧州連合から脱退する法的枠組みを設定した。 

イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票は2016年6月23日に実施され、 開票の結果、残留支持が16,141,241票(約48%)、離脱支持が17,410,742票(約52%)であり、離脱支持側の僅差での勝利となった。投票率は約72%であった。

そのキャメロンの後を引き継いだのが、現テリーザ・メイ首相で、そもそも彼女はポリス・ジョンソンのような、ごり押しの離脱派ではなく、どちらかと云えば残留しても良い派だった。まぁ、キャメロンの国民投票の結果の後始末役のような存在だ。それでも懸命になって交渉をしてきた。本心とすれば「冗談じゃないわよ!やってられないわ!」だろう。

大きな問題の一つとして、北アイルランドとアイルランドの国境問題の処理だろう。離脱すれば、今はなくなった国境線が復活し、イミグレーション・関税を復活させなければならない。シンガポールに滞在したとき、バスでマレーシアに渡ったが、シンガポールとの海峡近くにイミグレーションがあり、そこで手続きするのだが、行列で1時間以上掛かった。こんなことになると、北アイルランドは大混乱になる。だがこんなことは事前に2016年の頃、予想していなかったのか?と考える次第だ。

■否決後は

メイ首相が提案した「離脱協定案」を議会が否決したため、メイ首相は3日以内に、代替案を議会に提出することが求められています。 いくつかの案が考えられますが、見通しは不透明です。

▽再び議会で採決

まず考えられるのがEUと改めて協議をし、協定案に反対する議員の懸念を払拭できるような何らかの譲歩を得て再度、議会に諮ることです。 ただ、EU側から議員が納得するような譲歩を得られる可能性は低く、再び採決しても承認されるかどうかは不透明です。

▽EUと交渉やりなおし

EUと再び交渉を行い、抜本的な修正を求めるべきだという意見も出ています。交渉する時間を確保するため、3月に迫った離脱を延期するよう求める必要があるほか「現在、合意している離脱協定案が最良のものだ」という立場をとるEUが修正に応じるかどうか確証はありません。

▽2度目の国民投票

EUへの残留を求めている残留派は、議会で決められないのであれば国民に問うべきだとして再び、国民投票を行うよう主張していますが、実施に反対する離脱派を説き伏せるのは容易ではないとみられています。

▽合意なき離脱

こうした策がすべて尽きた場合、EUと何の取り決めのないまま離脱する「合意なき離脱」が現実のものとなり、経済や社会に混乱が広がることが予想されます。 ただ、大多数の議員は、「合意なき離脱」だけは避けるべきだとの立場で一致していて、ぎりぎりまでこれを回避する方策を模索するものとみられます。

▽内閣不信任と総選挙

政権側が代替案を模索する動きとは別に、協定案が大差で否決された場合には野党からメイ政権に対する不信任決議案が提出される可能性があります。 メイ政権への不信任決議案が可決されれば総選挙が実施される可能性が高まります。 ただ仮に新しい政権が誕生しても3月の離脱までにEUと交渉をやりなおす時間的な余裕はなく、離脱の延期を求めるなどの措置が必要となります。

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「プランB」がどのようなものか、分らないが、ユーロではなく伝統あるポンドの通貨を守ってきた英国。さらに大英帝国の遺産、英連邦王国のカナダ・豪州・ニュジーランド以下12か国を従えている英国(UK)だ。EUに甘えることをやめて新たな枠を作ることに専念するのも一つの方向かも知れません。日本とも日英同盟の復活、またTPPに加盟して新たな戦略を目指す方法もある。腐っても鯛であることを英国民は見せてほしい。

鉄の女テリーザ・メイ首相を目指してもらいたい。(一ファンより)

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