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2018年9月29日 (土)

屋久島に家と柑橘園を持ちたかった男。シンガポールに骨を埋めることに。

またまた大型台風が来るそうです。今度は24号だそうで現在沖縄に停滞しています。明日には四国をかすめて、大阪・関西を直撃して一気に北日本へ直上して消えて行くとの予報。知人のいる大阪は今年何度目なのか、当たり年のようですね。関空は前回のようなことはないと思います。こちら熱海は、小雨・曇りでまったく無風状態です。

それにしても、9月の朝ナマはこれまで以上に酷かったね。録画を再生して観たのだが、田原総一朗は最早、限界老人で喋りながらテーブルはバンバン叩くし、俺は安倍首相に意見を言ってやった。そしたら彼はそれに従ったとか、例の上から目線の自己宣伝。これらがますます酷くなった。誰も彼の番組進行の仕方を注意しないであーだこーだと。オイラ途中で再生をやめ、録画削除した次第。彼完全に認知症悪化だよ。テレ朝よ、いつまで脳を患っている田原を使い回すのか?

さて、9月24日夜に安積野のハマ坊から突然電話があり、彼の昔からの親友、シンガポール在住のフジ坊が「昨夜23日亡くなった」と彼の息子から知らせがあったと。死因は?どうもガンだったらしいとのことでした。オイラも彼とは個人的に付き合っていて、そもそも2011年に仲間とセーリングヨットで伊東港に来た時オイラが出迎えたのが最初の出会いでした。

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彼がシンガポール在住とのことで、当時またシンガポールに行きたいなあと思っていたこともあり、これは幸いだと特に親しくなりました。彼は若い頃、九州の南にある屋久島に、友人と一緒に買った土地に、老後の住まいとして家を建て、庭で柑橘栽培でもしながら、余生を送ろうという計画がありました。オイラが建築関係と柑橘栽培の専門家であることを知り、いろいろ学びたいと利害が一致しました。しかしこの土地には問題がありました・・・・・

農地の売買だったのです。農業委員会から認められた人しか農地は所有権を買い取れません。この場合は、不動産登記上、売買予約として仮登記し、彼がその土地を宅地にするべく、建築確認申請をして建物を建て、最早農地ではないという形態にして、農業委員会の認証を得て、それを持って登記所で地目を宅地にしてもらって、同時に所有権移転(本登記)が実現するという複雑なものでした(農地法5条許可申請)。

ところがこの売買予約登記は10年経つと消滅時効となり、それを停止させる裁判を起こさないと、この売買は無効となってしまいます。どうやら20数年経っていて、共同で購入した友人も亡くなってしまったとのこと。オイラこの関係は直接の専門ではないので、具体的な事務的なことをアドバイスが出来ないままでした。特に売買した時の証拠(領収書等)も無くなってしまっているとのことでお手上げでした。

そんなこんながあったのですが、2011年に一人でシンガポール漫遊の旅では、彼の車でシンガポールをいろいろ案内をしてもらいました。彼は数十年シンガポールで貿易関係の事業をしていました。その後も日本での彼のヨット仲間とのセーリングには参加して伊東や熱海に来る時は、何回も会いました。彼の奥さんは航空関係の仕事をしているので、家族パスで相当安くフライトを利用出来、それは国際線だけではなく、日本国内線でも利用できるという恵まれた状況でした。

このブログでも過去記事にしてありますが、昨年は、ウチの三女夫婦が夫の仕事上でシンガポール赴任ということになり、3月に夫の家族とウチら夫婦でシンガポールに行きました。フジ坊の奥さん息子さんと一緒に食事をしたり、イベント見学をしたりで大変お世話になりました。また三女の夫の父親が釣り大好き人間なので、フジ坊に頼んでボートフィッシングをアレンジしてもらい、シンガポールの沖合で一緒に釣りを楽しむことが出来ました。

その時、屋久島で先々柑橘栽培をしたいから、オイラの柑橘園で農業体験をしたいとの話になり、昨年の夏と収穫の12月にウチに1泊で農業体験をしました。その時忠告として、フジ坊の夢を破りたくないが、柑橘の苗木から成木になって多くの果実を成らせるようになるのには、10年以上掛るよと。彼はオイラより若いがそれでも60代後半だ。それと、家を建てて奥さんと暮らすというのは無理なんじゃない?と。まぁ彼は最初は、たまに奥さんに別荘替わりで来てもらうと言っていたが。シンガポールのような賑やかな大都会で暮らしている、日本人でない奥さんが、屋久島のような田舎で暮らしたいというのは無理があり過ぎると言ってやった。そりゃ、1、2回は来るだろうがと。そうかなーと彼は返したが。

それ以後数回LINEメール交信をして、6月12日にシンガポールで米朝首脳会談が行われることになり、8日と9日にそれらの件でLINEメール交信をした。その最後のメールで、近況を尋ねたのだが、返信がなかったままだった。そして今季はミカンの収穫体験に12月また来ないか?とメールをしようかなと思っていたところに、安曇野のハマ坊から、フジ坊の訃報を受け取った次第。あまりにも早い逝去だった。

シンガポールで健康診断はよくやるのか?という問に、「人間死ぬ時には死ぬから、あまりやりたいとは思わない」とか言っていたのを思い出す。推測するに、今年の春ごろから具合が悪くなって、その6月8・9日の交信の時には入院していたのかもしれない。安曇野のハマ坊は、あまりにも早かったのは膵ガンだったかも知れないねと。昨年の12月には元気にウチの段畑柑橘園を駆け巡っていたのに。信じられません。

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2011年のシンガポール滞在中、オイラが撮ったフジ坊の写真です。

男前に写っていたので、これ将来自分の遺影にしたらとバカ冗談のコメントを付けて当時送ってやったら、・・・・・・・・・まさかこんなに早くとは。・・・・・・・合掌

I pray for his soul

 

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