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2018年8月15日 (水)

今回は雨の中のBBQ 戦災孤児の「ともこ」と「れいこ」の話と蜂の巣の子供たちの話

今日は終戦記念日とお盆の末日です。1945年8月15日に天皇陛下の玉音放送がなされ、日本の降伏が公表されたことで、この日を終戦(敗戦)記念日とした。お盆(13日~15日)の末日だったのは単なる偶然だったのか、それともお盆にちょうど重なって二重の亡者の慰霊に都合が良かったのか、まぁ未だに終戦記念日を15日にしたのかが分からない。

① 1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告 した日

② 1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日

③ 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日

④ 1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日

オイラとすれば、③の9月2日 か、④の4月28日が実質的な終戦日だと今も思っている。

12日には、高校時代のポン友、蘇州のイサ坊がお盆休暇で熱海のマンションに来ていて、恒例のウチの柑橘園でBBQをしました。午後2時ごろから6時ごろまで、喰ったり、呑んだりですごしました。途中で盛り上げようと・・・・・・・・

すぐ近くに自宅と柑橘園を持っているター坊に携帯をして、遊びに来ない?と誘ったら、ツマミと缶ビールを持って来てくれた。両者初対面なのだが、このター坊は話好きなので、場が盛り上がった。ところがやっている最中にスコールに2度見舞われ、傘を差しながらのBBQ集いとなりました。

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今年の異常気象らしくていいねと、このまま続行しました。

その後イサ坊を、熱海のマンションにカミさんの運転で送って、その夜寝ながらNHKスペシャル「“駅の子”の闘い ~語り始めた戦争孤児~」を観ました。

親を空襲で亡くしたり、親と離れ離れになったりして生まれた戦争孤児、その数は12万人にも及ぶ。孤児が駅で寝泊まりする姿は全国で目撃され「駅の子」とも呼ばれたが、子どもたちに何があったのか、その実態はよくわかっていない。 NHKでは、この3年間、孤児への聞き取りや、資料発掘を進めてきた。その結果、生々しい悲劇の実態が見えてきた。・・・・・・・・・・・・・・・・・

オイラが幼少の頃(1950年代)、東京に行くと駅前やガード下には、まだ浮浪児(戦争孤児)がいたのを記憶している。アコーディオンを演奏する負傷兵あがりが白衣を着て、お貰いさんをやっていた風景もだ。そして記憶は当時我が家にもあった出来事も。

「ともこ」と「れいこ」の話

多分オイラが10歳ぐらいまでだが、我が家に二人の姉妹が引き取られていました。この姉妹は戦災孤児だったそうで、歳はオイラより10歳ぐらい年上だったようだ。その当時、ウチは駄菓子屋を大昔からやっていて、併せて夏はアイスキャンデー製造販売、冬は今川焼き、蒸し饅頭などをやっていて、この姉妹は家事、店番、などの手伝いをしていた。また柑橘園の農作業の手伝いもしていた。

オイラは出身がどこなのかなど一切解らなかった。ただ親類が小田原の方にいたというのは、一緒に連れていってもらったので覚えている。この妹のれいこは、おし・聾唖者(聴覚障害者)で、身振り手振りでしか会話が成り立たなかった。今から思うと、彼女は発声は出来るのだが、多分聴覚に異常があったように思える。例えば爆弾の炸裂音で鼓膜が破れたとか。

きっかけは、親の関係筋から、戦災孤児なのだが、引き取ってくれないかと紹介され、ウチに住み込んだのだろう。ともこは正常だった。一つの部屋でこの姉妹は寝起きしていた。学校には行っていなかったような記憶だ。このようなパターンは、ウチのような家業をしているところは当時多かったらしい。

例えば、ウチの近郊の沼津や小田原なども、米軍の空襲があり、両親が亡くなって、戦災孤児になってしまった例はたくさんあったのだろう。オイラの幼少期、1950年代はまだこのような戦争の影響を引きずっていた時代だった。

オイラ物覚えがついたころから、この姉妹と同居していたので、この二人の境遇など興味もなかったし、好きとも嫌いとも思ったこともなかった。親が「ともこ」「れいこ」と呼び捨てだったので、オイラも妹も「ともこ」「れいこ」だった。今思えば両親を亡くした、可哀想な戦災孤児だったのだが。

今一生懸命この姉妹のことを、思い出そうとしているが、当時毎日一緒にいたのに、ただ断片的にしか思い出せない。どのような名前の漢字だったかも記憶にない。この「れいこ」が柑橘園の手伝いで偶然、野ウサギの子供を捕まえてきて、そのまま家で飼ったり、雉猫の子供を捕まえてきて、やはり家で飼ったりした。特にオイラが可愛がったが。

この「れいこ」は一時期、聾唖学校に行ったこともあった。ウチで行かせたのだろう。「ともこ」にやがて恋人が出来、彼がウチに遊びに来たことは覚えている。自衛隊員だった。また彼の親がウチに来て、大房のバナナを持ってきてくれたことも。

そして、やがていつの間にか、この姉妹はウチを出ていった。すべて大人の世界での話なので、子供のオイラには詳しい話はなかった。

「蜂の巣の子供たち」清水宏の話

戦災孤児の映画といえば、映画監督 清水宏の「蜂の巣の子供たち」だ。

清水 宏(しみず ひろし、1903年3月28日 - 1966年6月23日)は、大正・昭和期の映画監督。作為的な物語、セリフ、演技、演出を極力排除する実写的精神を大事にし、「役者なんかものをいう小道具」という言葉を残している。

戦後は松竹を辞め、一時は隠遁したと噂されたが、戦災孤児たちを引き取り育てながら、1948年に自らの独立プロ「蜂の巣映画」を立ち上げ、彼らを主人公に『蜂の巣の子供たち』(1948年)をはじめとする「蜂の巣3部作」を作った。『蜂の巣の子供たち』(1948年)は、戦後の独立プロの嚆矢でも知られている。・・・・・最後の仕事は、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)の連続テレビドラマ『良寛さまと子供たち』(1959年)の監修である。

戦後のプライベートな面では、1949年に買い取った伊豆の農場(現在の熱海市下多賀)に移り住んで、戦災孤児たちと共同生活を送ったことが有名である。また、陶芸にも凝り、小説家の志賀直哉、画家の須田剋太などの文化人とも交流した。 晩年は心臓病の養生をかねて、1965年に京都市の北嵯峨に大邸宅を構えて悠々自適に過ごした。・・・・・・

この「伊豆の農場」というのが、南熱海(下多賀)にある別荘で、現在は所有者は変わり「ホテル松風苑」の敷地となっている。ウチから山側に直線で700mの距離にある。小学時代にこの別荘敷地の庭の芝生に、仲間と勝手に遊びに行って、小太りのオヤジに怒鳴られた記憶がある。多分この小太りのオヤジは清水宏だったと思う。当時清水宏はここから東京などに往復していて、親とも知り合いだったのか、熱海駅に行くバスを親と待っていたら、もはやそれら孤児達は青年となっており、その彼の運転する当時まったく珍しかったフランス車、シトロエンに乗せてもらったことを覚えている。

U00018_001l1950年代のシトロエン

その後孤児達は成長してそれぞれ自活の為この地を離れていった。この土地は売り払い、転々として現在の所有者となっているのだろう。NHKスペシャルの「駅の子の闘い・・」の話に戻るが、生き残りの証言で当時の社会に対して恨み辛みを延々とやっていたが、当時は仕方がなかったのではと思うことしばしば。戦後の混乱で社会は異常な状態だったし、ボランティア組織なんて発想自体もなかった時代だ。

それでも、当時ウチのように戦災孤児を引き取って、満足とは言えないにしても、命を守ってやった、名も知れない家業の人々が多くいたことも、反面として入れて欲しかった。そろそろNHKも「日本は悪かったの自虐史観」から一歩引いた番組を作って欲しい。

そして、現在でも、内戦のシリア、イエメン、北アフリカの国々、イラクなどなど戦災孤児の問題は、悲劇の規模が大きすぎて焦点にさえなっていない。数千年前から人間社会は常に戦乱を繰り返してきて、この悲劇は永遠に続く。人間が人間でなくならない限り続いていく。それに巻き込まれなかった時代や地域の人々のみが、幸運にも平和を享受できるというのが現実の世界なのだろう。オイラは偶然にも良い時代、良い地域で生きて来られた幸せ者と感じる。

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コメント

私と同じ世代ですね。このころは学校で映画鑑賞会が何回もありましたね。映画館にぞろぞろ行く場合もあれば、講堂・体育館でという場合もあったでしょう。思い出してみれば、「二十四の瞳」とか外国映画「分かれ道」とか、この「蜂の巣の子供たち」シリーズ3作とか、「喜びも悲しみも幾歳月」とか、そうそう清水監督の「しいの実学園」とか。今でも校友達と一緒に観たこれら文学作品は心に残っていますよ。
今の学童達はこのような共通の感動を共有できているのか、疑問です。

投稿: | 2018年8月17日 (金) 10時09分

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