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2018年1月24日 (水)

あの西部邁が自ら命を絶った。マスコミは驚き大騒ぎになりました。

昨日22日、昼から夜半に掛けて、関東地方は大雪となりました。朝のニュースでは、東京都内は大雪で大混乱となったようです。世田谷に住んでいる長女家族が、特に孫が小学1年生で下校時はどうだったのか心配しましたが、まぁ連絡がなかったのでなんとかなったのでしょう。

その点ウチの地域は、毎回ですがスレスレで、午後から雪ではなく雨の一日でした。背後にある山々にも雪の形跡はありませんでした。南熱海は周囲で雪が降っても、ここだけは雨、これ数十年続いています。この地で、大雪が降ったというのは記憶にありません。まぁたまに山々に降ることはありますが。ただ雪の予報が出ていたので、この前日21日に柑橘園のレモンとユズ全部を収穫してしまいました。雪で果実に影響が出ることがあるからです。土曜日には、ネーブルオレンジと甘夏みかんを全部収穫するつもりです。1~2週間予措をして、貯蔵庫で1~2か月熟成させます。

この21日にとんでもないことが起こりました。ヘタヘタと座り込むようなことが・・・・

21日午前6時40分ごろ、東京都大田区田園調布5の多摩川河川敷にいた男性から「河原から川に人が飛び込んだようだ」と110番があった。駆け付けた警視庁田園調布署員が、近くの岸から数メートルの川の中を流されている男性を発見。男性は病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。

同署によると、亡くなったのは世田谷区の評論家、西部邁さん(78)。110番したのは西部さんの家族で、西部さんが自宅からいなくなったため、同日未明に警視庁に捜索願を出すとともに、行方を捜していたという。身元は家族が確認した。  西部さんに目立った外傷はなく、現場付近には遺書とみられるメモが残されていたことなどから、自殺とみて調べている。

田園調布5丁目の多摩川河川敷には、各種の運動場がいくつもあり、広大な運動エリアだ。多分自宅から数分の距離だっただろう。飛び込んだのが午前6時前後とすると、まだ暗く薄明かり状態だ。翌日22日には大雪になる予報を彼は掴んでいたに違いない。

嘘か誠か、昨年10月に命を絶つ予定だと公言していたが、総選挙となってしまい、延期したと言われている。まぁ周りは困ったジジイだと、狼老人ぐらいに思っていたらしい。彼は体の、手の異常に困惑されていたことは事実だろう。しかし、実際に自決するとは、誰も思わなかっただろう。

オイラ、やはり、彼ならやりかねないと妙に納得してしまいました。毎回録画して再生視聴しているBSフジの”プライムニュース”によく出演(15回)していて、西部節で激を飛ばしていたが、昨年頃からか、何故か毎回手袋をしているのが気になっていました。その件に放送でも触れたことがなかったので、ただ疑問に思っていただけでしたが。

調べて見ると、「掌蹠膿疱症と言う病気で手の皮が剥け・爪が侵される為 毎日薬を塗ってて包帯の代わりに手袋をしてる」というのを見つけました。こりゃ痛そうですね。しかしテレビを見ている限りですが、頭の冴えは相変わらずで、毎回よくぞ言ってくれたという発言が続いていました。

この西部邁に惚れたのは、例の「朝まで生テレビ」の初期の頃から出演していて、彼の発言は他にない際立ったものがありました。なんというか、薄っぺらな批判でもなく、人間のもっている性(サガ)の根源から立脚したり、日本の延々と続いてきた伝統から立脚せよとか。オイラ当時あの江藤淳のファンでもあったのですが、とにかくケミストリーが非常に合いました。まぁ時々クドイと感じることもありましたが。

東大在籍中に全学連の幹部として、60年安保闘争を主導したが、後談として「実は、あの頃自分も含めて、安保改定の中身について熟読したこともなく、無知のなかで行動していた」と。以後も左翼として論陣を張っていたが、密かにに予想していたとおり、連合赤軍の集団リンチ事件を見て、以後左翼思想は捨て、30歳までは博徒としてサイコロ博打にのめり込み、合理的には考えられない世界を体験したと。そして保守派思想に転向し、批評家として出世していった経歴だ。ただし、彼はいわゆる右翼思想ではなかった。

ふと考えてしまうのは、西部邁の奥方(満智子)は2014年(4年前)に亡くなられたそうで、8年間看病していたそうだ。妻に先立たれ、気の抜けた4年間を過ごしてきて、総括として自ら死を選んだのだろう。江藤淳は妻の死後翌年「妻と私」を仕上げて、「幼年時代」の執筆中に浴槽でカミソリで手首を切り帰らぬ人となった。

江藤 淳が亡くなったのはオイラが51歳の時だった。改めて「妻と私」の本を買って熟読しました。2017年12月12日 (火)

江藤淳が1932年生まれ、西部邁は1939年生まれ。7歳の差があるのだが、オイラ目から見ると、この二人のケミストリーは非常に似ていると今思うと感じる。もちろん活躍時代にズレがあり、江藤淳は西部のようにテレビ界での寵児(人気者)ではなかったが。今やYoutubeに西部の出演したビデオが数沢山残っている。この中の一つでも視聴をお薦めします。

Youtube 西部邁

同じく保守論客だった、渡辺昇一は1930年生まれ、昨年2017年4月17日に心不全で逝去した。渡辺昇一・江藤淳は親米保守だったが、西部邁はとりあえず反米保守で一貫していたが、昨年からトランプ大統領には惚れたらしく、時々やるあのお馬鹿さえなければ、もっと支持するようなことを言っていた。面白いことに、渡辺昇一や江藤淳と喧々諤々の討論をしている場面は観たことがなかった。保守同士でやっても、なんも面白くないと思っていたのかもしれない。

西部は、反日左派論客との論談を好んでいたようで、佐高信、大谷昭宏、宮台真司、田原総一朗、辛淑玉・・・・・・・・・などなど良きカモとしてなで斬りをしてきた。彼が特にこだわったのは、言葉や語彙の正確な使い方、特に各カタカナ語の語源について、その正確な意味と正確な使い方だ。さらにそれが発展して歴史や伝統に遡って行く。

彼は衰え行く自分の体を見て、病院や自宅でただ衰弱して死んでいくことに、耐えられなかったのだろう。三島由紀夫の死に方に対して良き評価をしていた。なんでも昨年10月22日に自決を決行しようと、拳銃を探していて、結局手に入れることが出来ず、また当日が総選挙日となってしまい、延期したとの話も出ている。また10月22日には台風で多摩川は氾濫するかのような状態で、飛び込んだら遺体がどこに行くかわからず、海に流れて行方不明になって何のために入水したのかわからなくなってしまうと危惧したという話も(まるで喜劇のような)。真偽のほどは解らないが。

また宗教についても、客観的な解釈の立場で、ほとんどの宗教が禁止する自殺なんてのも、屁の河童だったようだ。とにかく西部邁、生まれたからには、最後の死は自分で実行したいというのが自論だったようだ。主宰していた発言者では愛娘が懸命に手伝っていたそうで、さぞや残された息子・娘共に悲しみに暮れていることでしょう。

彼が、これまで執筆した本や論談が中心のYoutube動画が、いつまでも「知の巨人」として後世に残り、何らかの影響を与えて行くだろう。但し、反面教師的存在にもなり得る彼の主張も多くある。

遺言で葬儀をしないようにと指示したのは、自殺によって形而上の空間で生きていくことを選んだからだろう。反面教師としても。

そう、西部邁は今でも生きているのです。  合掌   

後記

実は、二人の知り合いに自殺を手伝ってもらっていたと。

西部邁さん自殺幇助の疑い MX子会社社員ら2人逮捕 警視庁2018.4.6 01:00

 

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