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2017年11月23日 (木)

ダイダイの収穫期 北朝鮮兵の脱北と亡命事件 いつの間にか消えたその兵士の寄生虫騒ぎ

毎年この時期になると、ダイダイの出荷となります。ウチの柑橘園には7mを超すダイダイの木が2本あり、毎年大量の数のダイダイが成ります。これ地元のJAが引き取るので、収穫に精を出します。まず根本周辺地表にブルーシートを敷き、木の外周に2段梯子を掛けそれを登り、枝ハサミでバンバン切り落とす。次に木の内部に登り、ダイダイを切り落とす。子供の頃遊んだ木登りと同じ。これは一人でゆっくり1日半あれば完了だ。体が老化してきているので、少しプレッシャーが掛かる。まぁ、落ちても頭を保護できるようにバイク用ヘルメットを被ってやります。

JA側の条件は、正月お飾り用で無瑕疵で、枝は5センチ以上且つ葉が一枚以上付いているもの。そしてそうでないものは、生食用と絞ってぽん酢用として引き取る(坊主とも言う)。時間が掛かるのが、この枝切り加工と2種に分ける作業で、最初の切り落としの2~3倍の時間が掛かる。今回は近所の農作業好きのサト坊が最初の危険な切り落としを手伝ってくれたので、これは二人で午前中に完了してしまいました。

彼はこの地から豊洲にあるIHI本社に通っていて、土日しか手伝えない。お礼に昼食と柑橘類を土嚢袋満杯差し上げました。昨日,それら成果物を出荷しました。お飾り用が214㌔、坊主が182㌔(自宅用40㌔は倉庫で保管)の結果でした。ケン坊のところでは、規模が大きく毎年両方で1000㌔前後だと。なんでも今回切り落とし時、脚立から落ちて腰を痛めたらしい。

今テレビの報道番組では、連日モンゴル系力士の飲み会暴力沙汰について延々とやっている。日馬富士と貴ノ岩と貴乃花親方の問題だが・・・・・・

オイラ、相撲には全然興味がない(小学校までは興味があったが)ので、もういい加減に見たくもない。チャンネルを変えるとそこでもやっている。別でもやっている。やはりこのような番組は、噂の泉放送制作が一手に仕切っているので、手を変え品を変えで使いまわしているからなのだろうか?まぁ一律で番組制作が作られている印象が強い。取材と制作にはカネと時間が掛かるので、一旦入り込むと元を取ろうと延々放映時間稼ぎに使うのだろう。

北朝鮮兵の脱北亡命

これも今テレビでは延々連日テーマとなっている。昨日か、国連軍が監視カメラの映像を公開した。この兵士が4輪駆動車で、板門店敷地に乗り込み、あとチョットで国境線突破のところで排水路に車輪を落とし、動けなくなり、車外に出てダッシュ逃避中に北側兵士から銃弾を浴び倒れ、45分後国連軍兵士に助けられ、病院に収容された映像がほとんどどのチャンネルで流されていた。この事件は11月13日に起こったことなのだが、当初話題になったのは、

【脱北兵銃撃】臓器に大量の寄生虫…執刀医が証言「数千、数万いるかも」 劣悪な衛生環境浮き彫りに2017.11.16 20:17

【ソウル=名村隆寛】朝鮮半島の南北軍事境界線がある板門店で韓国側へ越境しようとし、銃撃を受けた北朝鮮兵士の臓器から、大量の寄生虫が見つかったことが執刀医の証言で判明。北朝鮮の衛生環境や栄養状態の劣悪さが浮き彫りとなった。  兵士は13日に銃撃され、15日に2回目の手術を受けた。 

医師は韓国紙中央日報のインタビューに対し「初日に目にした寄生虫だけでも50匹採った。小腸の中に数千、数万匹の寄生虫がいるかもしれない」と証言。また、「小腸7カ所を縫ったが、寄生虫がそこから出てくるかもしれない。そうなれば傷が裂け、(命は)終わりだ」と語った。韓国では見られない寄生虫も見つかったという。・・・ 

・・・・・・・北朝鮮の金(キム)正恩(ジョンウン)政権は巨額の金を核・ミサイル開発につぎ込んでいる。その一方、軍人でさえ最悪の衛生、栄養状態に置かれていることを意識不明状態の兵士が体で示した。  朝鮮日報(電子版)によれば、この兵士は20代半ばの下士官級という。

またこの記事にないが、胃袋にはトウモロコシしかなかったと。だけどそんな栄養失調なのに、動画では体に銃弾を浴びながら、あんな全速力で走れるものなのかとちょい疑問を感じた。弾丸は腸や胃袋をも貫通していたというのだが。

カミさんと食事中にこれを観て、この寄生虫って多分回虫だなと言ったら、食事中にそんなこと言わないで!と怒られた。だからか、それ以後この件は一切報道からなくなったようだ。韓国筋からのフェイクなのか、または事実なのだが不愉快な念を感じさせるからなのか、言及しなくなった。

回虫の話

今の若い人は経験がないかもしれないが、オイラには忘れられない思い出がある。戦後生まれだが、オイラが”ご幼少の頃”回虫や蟯虫なんて身近だった時代だ。例えば記憶にあるのは、すぐ前の海岸で遊んでいた時、急に尻の穴がムズムズしてきた。ズボンを脱いで、しゃがんて力んだら、なんと5センチ前後のミミズのようなものが、数匹も図々しく尻穴から出てきた。自慢げに家へ帰って親に話したら、虫下しのお陰だよと言われた。その後蟯虫についても体験をした。

当時の野菜畑の肥料は人糞尿が主体で、畑の傍には規模は違うとしても、肥溜めがあり、それをすくって畑に撒いて、野菜の成長を促していた。だから当時の畑は、なんとも糞尿に匂いで溢れていた。これ日本国中そうだった。料理の時これら野菜を十分に洗い流さないと、当然寄生虫の卵も一緒に食べてしまうことになり、それが胃腸で繁殖し、やがて体に異常をきたす。東京都内の家庭菜園でも同じだった。6歳前後の頃、東京新宿の祖父母の家に遊びに行って、近くの人の畑菜園で遊んでいて、オイラ小さな肥溜めに片足を突っ込んでしまい、情けないやらで大泣きした記憶がある。なんで都会でこんなことに!だったのだろう。

話をこの北朝鮮兵士に戻すと、軍人とは云え、野菜などは自分たちで作っているのだろう、人糞肥料で。当然十分な野菜洗いをしなければ、寄生虫に見舞われるわけで、この兵士もそうだったのだろう。とにかく地方の畑に行って、糞尿に匂いがしたら、人糞尿肥料で野菜を育てているということになる。日本では禁止になったのは・・・・

日本における人糞利用

第二次大戦後、ダグラス・マッカーサー率いるGHQは日本のサラダに人糞の細菌と寄生虫が多数混入していたため、日本政府に人糞肥料の中止を命じた。日本政府は「寄生虫予防会」を各市町村に作り、人糞肥料から化学肥料へと一大転換が行われた。

しかし、1955年頃になっても学校の保健室には「よい子はなま野菜を食べないようにしましょう」といった表題のポスターが貼ってある状況だった。ただちに人糞肥料から化学肥料の使用へと完全移行した生産者は多くなかったのである。

肥料として用いる人糞は、そのまま使うと作物が根腐れするため、たいていは肥溜めに溜めて発酵させて利用する。ちなみに発酵中の物は非常に臭いが強く、さらに衛生害虫になるクロバエ類やニクバエ類、またカの中でも最も富栄養状態に適応したオオクロヤブカの発生源となるなどの問題があった。また、人糞肥料を媒介とした寄生虫の流行も問題となった。

米駐留軍の進駐が終わったのが1952年で、オイラが4歳の頃。マッカーサーの命令で人糞肥料禁止となり、その後数年かかって全国に広まっていったらしい。ただ付け加えると、この頃まで日本人は生野菜をそのままサラダとして食べる習慣はほとんどなく、煮るなり、塩付なりして、寄生虫を殺す料理の仕方だった。西洋料理のように生野菜をポリポリ食べるのは、戦後から流行って来たと言われています。まぁもちろん以前でも例外はあったでしょうが。

とりあえず、北朝鮮の一般では、未だに人糞肥料で農作が行われているということが広められた(これが事実なら)。平壌によく行く人々は生野菜は食べないほうが良いでしょう。オイラ、1980年に団体で中国の天津・北京に行った時も、注意事項で生野菜は食べるなとあった。

ただ最近日本の医者の一部では、日本人のアトピーやアレルギー症は体に寄生虫を取り込んでいないからだという学説もあります。しかしあんなものを腹に飼っているのも気持ちが悪いですよね。まぁオイラはサナダムシにはやられなかったのが幸いだった。

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