民進党ガラガラポン選挙・Google IMEは使いやすい・トランプ歴訪・養子縁組について
衆院選、民進党ガラガラポン選挙が10月22日にあって、まだ1ヶ月経っていないのに、小池が希望の党の代表をやーめたと昨日来た。まぁ、予想通りだ。希望の党には民進党旧社会党的系が数十人。とても小池の力量で抑えられるわけがない。
なんだかんだで、民進党は、タマキン希望の党、枝野立憲民主党、居残り大塚民進党に政党としては形別れ、それに民進党系無所属が加わる。驚いてしまうね。こんなこと最初から企んでやったわけでもなく、成り行きでそうなった。まぁ、いかに稚拙な民進党議員の集合体だったかが、国民の前に曝け出されたわけだ。あとは参院議員の居残り議員になってしまった民進党議員が、これからどのような動きをするのか。知り合いの民進党市議会議員と話をした。オイラ:所属はどうするの?こんどは希望の党?彼:今は様子見ですと。まぁ上からの命令待ちなのだろう。
各国会議員の下には党系列の地方議会議員が山の様にいて、それぞれの政党議員の下請け組織だ。もちろん何らかのお手当は上から降りてくるが、選挙やその他、持ちつ持たれつの関係。その下部組織まで今時点では浸透していない。来年1月1日までには、政党助成金の関係で、それぞれ収まるところへ収まるだろう。「こっちへ来い」「あっちへ行け、しっしっ!」ってやつだね。・・・・・・
IMEの話
どうも、昨年OSやソフトのバージョンを上げてから、以前のように文字入れがスムースに行かない。もどかしいと思いながらも続けていた。設定はMicrosoft Office IMEだった。たまたまGoogle IMEのほうが入れやすいとのことで、これをダウンロードしてみたら、断然使い易いではないか。Windows - Google 日本語入力(IME)のインストール お薦めです。過去自分で作った文章の語句が学習され、優先的に提示されているようだ。文章入力が1.5倍くらい早くなった様に感じる。
トランプ歴訪の旅
トランプ大統領の訪日⇒訪韓⇒訪中⇒訪ベトナム⇒訪フィリピンの10日間の旅を終えました。韓国では、相当トランプは不機嫌だったそうだ。挺対協のシンボル慰安婦をトランプにハグさせたり、独島エビを晩餐会の料理に出したり。あの慰安婦は実は、戦後は朝鮮戦争駐留の兵隊相手の米軍慰安婦でも稼いでいたらしい。彼女の最初の頃の証言を検証すると、そうとしか考えられないようだ。また、米国の大統領に反日の告げ口だよ。安倍も最早、文(ムン)大統領には生理的嫌悪感だね。いや日本人全体(一部は除く)も生理的嫌悪感を感じている。
誰が作ったのか以下の画像。仕事が早いね。
養子縁組の話
戦前以前の大昔の話だが、今の時代と比べ養子縁組というのは頻繁にあったらしい。オイラの両親は、オイラが高校生の頃分かれてしまい、母方の祖先については曖昧なままできた。その母親の弟、オイラのオジキ(小中学校はウチの地域)なのだが、同窓会の帰り(といっても80歳)に突然オイラの事務所を訪ねた。懐かしかった。色々近況を話し合い。あとはメールで会話をした。母方の祖母についての尋ねに、実はウチの近所の家の出であることを初めて知った。山側6軒目の家だ。同じ町内の同じ組でその子孫(3人)はオイラより数歳年上なのだが、幼いころよく遊んだ。
その家の次女だったそうで。ということはその子孫はオイラと薄いにしても血が繋がっている。その後、その長男と話す機会があって、その話をしたら驚いていた。祖父母の次女だったことを、全然知らなかったらしい。さらに彼曰く、その祖父母はもともと夫婦養子縁組だったと。つまり曾祖父母には家の後を継ぐ子がいなく、親類筋から見つけて夫婦養子縁組としたそうだ。
で、その話を同じ町内組のケン坊に話をしたら、ウチの祖父母も実は夫婦養子縁組で、血筋は繋がっていないかも知れないと。さらに近くにあるナオ坊の家も祖父母は実は夫婦養子縁組だと。それぞれ町内としては旧家なのだ。昔の旧登記簿謄本には前戸主、戸主が誰で、その家の家族名の出入りが記載されている。いわゆる家父長制度だった。
日本における養子縁組制度の歴史
・・・・・・・・明治以後になると「家」を社会秩序の中心に置く家制度が全ての階層に広げられた結果、養子縁組も家制度の維持という観点で行われることが多くなった。それが大きく変わるのは戦後の日本国憲法制定に伴う民法改正以後のことである。
日本の旧民法における養子縁組
旧民法において養子縁組は、養親の家に入り、養親の嫡出子たる身分を取得することであるといえる。養子は法定血族の一種である。
・養子になる者は、養親たるべき者の尊属または年長者でないこと、法定推定相続人たる身分でないことが必要である。
・配偶者のある者は、配偶者と共同してのみ養子縁組をなすことができる。
・ 養子は養子縁組の日から養親の嫡出子たる身分を取得するため、養親に養子縁組前に生まれた子女がある場合、養子は年長者であっても法律上、これらの子女より年少者として扱われる。
・養子は養親の家に入るが、養親と同居する義務を負わない。
・養子は養親およびその直系尊属との間に、互いに扶養の権利義務を有する。
・養子は養方の血族と親族関係を持つが、このために実方の血族との親族関係を失わない。
・養子は実家における家族たる身分を失い、また実親の親権を脱して、養親の親権に服する。
・養子とその直系卑属またはその配偶者と、養親またはその直系尊属との間では、離縁によって親族関係が消滅したのちもなお、婚姻をすることができない。
今の社会制度などが整う前、戦前までは幼児の死亡率も高く、また避妊について可能ではなく、中絶などの手段も幼稚であった。子を沢山産みそれで一家を支える世界だった。オイラの父方の兄弟姉妹は10人で2人が幼児で死亡、母方の兄弟は6人。まぁこれ、1年か2年ぶっ続けで産んでいた。いわゆる腹が休まる年がないというように。
原則は長男が後を継ぐが、残りの兄弟姉妹はどうするのか。もちろん全部ではないが、跡取りのない家に養子縁組で養子として家に入った。とにかく働き口が非常に少ない時代だ。大昔は国内戦争、明治以降では海外との戦争でバタバタと死んでいった。但し戸主は徴兵には取られないので、この養子縁組をして戸主となり、戦死を免れた。戦争で徴兵され死んだのは、次男以下の兄弟たちが普通だった。
女子は奉公が多かった。その母方の祖母はオジキの話では、ある華族の家に奉公をしていて、何らかの縁で祖父と婚姻をしたと言っていた。しかしこれは恵まれた方で、いわゆる娘を女衒(ぜげん)に売って生活の糧とした事例は数え切れないほど多くあった。そんな中、先ず縁ありで夫婦となり、親類筋が多かったらしいが、この夫婦養子縁組で、跡継ぎのいない家に入り、その家の所有の土地を耕しながら、家業を継ぎながら新しい家族を形成していった。これは旧日本社会の秩序を守る一つの手段でもあった。跡取りのいない家は、廃屋となりそこに乗っ取りが住み自分のものとしてしまい、秩序が大きく乱れるわけで。
だから旧家には、その大昔の祖先は夫婦養子縁組が今の時代と比べ異常に多かったということになる。
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