ニュージーランド(NZ)漫遊の旅 8 ダニーデン2泊でゆっくり過ごしました。オタゴ半島ドライブも面白かったです。
翌日は、このダニーデンにあるオタゴ半島の先端にいくことにしました。その前に埠頭近くにあるダニーデン鉄道駅舎を見学。車を駅前広場に駐車させ、中に入りました。
1900年代初期ニュージーランドの商業の中心都市として栄えダニーデンに、その当時の繁栄を象徴する壮麗な建築物のひとつとして1906年にダニーデン駅が完成しました。 黒色の玄武岩にオアマル産の白い石灰岩の縁取りに特徴のある、豪華な装飾が施されたフレミッシュ・ルネッサンス様式の見事な建築物としても有名で、建物には改修が加えられ、現在でも当事の壮麗さをそのままに残しています。 「天井に施された繊細で美しい装飾をはじめ、建物全体が瀟洒な雰囲気に包まれています…….トイレなど衛生設備までも豪華そのものです」と、当時発行されていた新聞イブニング・スター紙では、完成したダニーデン駅の素晴らしさをこのように絶賛。チケット予約ホールのモザイク床には、英国王室御用達ロイヤル・ドルトン製の磁器タイルが75万枚も使用されています。全長1kmのプラットフォームはニュージーランド国内で最長です。 毎年10月にこのダニーデン駅で開催される南島最大のファッション・ショーでは、この長いプラットフォームがキャットウォークになりモデルが歩きます。 現在ダニーデン駅を発着する列車は景観美しいタイエリ峡谷を訪れる観光用列車のみで、地上階のほとんどはレストランとして、2階はアート・ギャラリーとスポーツ関連の展示ギャラリーとして使用されています。 ダニーデン駅は一般公開されているので、建物外から美しい外装を眺めるのはもちろん、屋内を歩いて建物各所を飾る素晴らしい装飾を鑑賞することもできます。
鉄道が発展する前に車社会が到来して、現在は1日に2本しか運行をしていません。でんこさんの旦那さんは、鉄道車が走っているのを見たことがないと言っていたほどです。しかしこの駅舎の豪華さは、当時の繁栄を誇るものです。そもそもこのダニーデンは金鉱が近郊のガリエル峡谷やアレクサンドラの方で発見され、いわばゴールドラッシュの基地としてで栄えたのが発祥です。当時の英国を中心とした欧州から、一攫千金を求めて移住してきた人々で栄ました。・・・・・・・・・・・
最初は英国スコットランドからの移民が多く、ゲール語でエディンバラを意味するダニーデンと名付けられました。約10年で金鉱は掘りつくし、しかしその後冷凍食肉の技術を開発して、ここの港から英国への貴重な輸出となり、やがて豪州や南米までも輸出されたと。ダニーデン市の人口は現在約12万人です。
現在は、ダニーデンからパ-マストン までを結ぶタイエリ峡谷鉄道で、主に観光列車です。1日2本ですが。
駅舎内は、当時ゴールドラッシュを彷彿させるかのような、カネを掛けた豪華な建物です。またダニーデンの港の傍なので、船と鉄道とが結ばれていました。
(画像上クリックで拡大)
このオタゴ半島の先端まで半周しました。当時としては理想的な良港で常に荒海から守られています。大津波が来たとしても、大海からの入り口が狭いので、中海まで大津波が押し寄せることはないだろうと思います。
中海の海岸に沿って道路を進みました。漁村があったり、また多くの住宅が眺望良く建ち並んでいました。先端はタイロア・ヘッドTaiaroa Headというところで、アザラシや羽を広げると3m近くなるアルバトロスという鳥の生息地です。ゴルフでもアルバトロスというのがありますね。
当日アルバトロスは見ることが出来ませんでしたがアザラシはごろごろいました。自然保護に配慮した施設でした。
同じ道路を引き返し、こんどは当時の大金持ちが建てたラーナック城(Larnach Castle)に行きました。ラーナック城Larnach Castle
1873年から1887年にかけて、大富豪であり政治家でもあったウィリアム・ラーナックが妻のエリザ・ジェーン・グイズと共に暮らすために建造した。地元の建築家であるR.A.ローソンが設計を手がける。城には43の部屋と大広間があり、46人の使用人が働いていた。 ラーナック氏はこの城を『The Camp』と呼んでいたが、建造後には度重なる不幸に見舞われ、1898年10月にニュージーランド議会で自殺した。娘のケイティも病気のため21歳で死去。この城の大広間にケイティの幽霊が現れると言われている。 半ば放棄されていたこの城は、1967年にバリー・バーカーとその妻のマーガレットに買い取られ修復された。城からオタゴ半島と海岸線を見渡すことができる。
これを城と訳すのは抵抗感がある。キャッスルCastleというのは、別に大邸宅とか館という意味もあるがそちらの方だろう。熱海城が城ではないというのと同じだ。館内に入るのには入場料を取られる。大人1人nz$28は私営としては仕方がない値段だろう。庭園・館内・その他で手入れがそうとう掛かるからね。この別棟のレストランで昼食を摂りました。
1800年代後半、まだブルトーザーもトラックもない時代、丘陵地の頂上まで運送用の道を切り開いて、よくぞこれだけの建物を建てたと感心してしまいました。まぁ約14年の建設期間だったみたいですが。そのころは今の我々とは違った方法が多くあったのかも知れませんね。そう、もはや忘れ去られた方法です。
ここを後にして、またダニーデンのモーテルに戻り、でんご夫妻と合流した。またダニーデンの見どころを案内してくれた。まず1873年から6年間掛けて築造されたオタゴ・ファースト教会(First Church of Otago)
ゴシック様式で建てられた、ダニーデンでの最初の本格的教会だそうだ。
次に、セント・ポールス・カテドラルSt. Paul's Cathedral
中心広場です。因みにこの辺は丘陵地の丘のてっぺんにあり、周囲は下り坂となっています。
ここから北東1.3キロのところに、オタゴ大学(University of Otago )があります。ここは旦那さんが毎日通っているそうで、説明しながら案内をしてくれました。
周囲は緑豊かな公園のようで、周辺にある学生寮は、時々酔っ払ってどうしようもないこともあるそうですが。公園には日本庭園や中国式庭園もありました。驚いたのは、白人が裸足で歩いているのです。以前でんこさんから聞いていましたが。健康に良いとでも思っているのか?それをメールで受け取って、マオリ系ですか?と問うたのですが、「それが白人なのです。おかしいでしょ?」と。夏は舗装が熱くて無理でしょうが、秋になると心地が良いのかもしれませんね。だけど足の裏を怪我しないのでしょうか?
だんだん夕方になり、でんこ屋敷で夕食会をするため、スーパーで買い物をしたりして、でんこ屋敷の方に旦那さんの車で行きました。
ダニーデンには変わった名所があります。それがでんこ屋敷のすぐ近くなのです。それはボルドウィン・ストリート(Baldwin Street) という道路で世界一急な坂の車道だそうです。最大勾配が35度だそうで。
まぁ距離としては長くないのですが、坂の街熱海でも挑戦して街起こしをしてみたらと考えました。
そのまま夜となり、でんこ屋敷ででんこさんの持て成しで夕食会を過ごしました。この時でんこさんお勧めのMOAビール(モアビール)を頂戴しました。クラフトビールでちょびちょびワインを飲むように飲むのが本流だそうです。ワインもボトル半分空け、モーテルまで旦那さんの運転(旦那さんはアルコールなし)で送ってもらいました。京都出身のご夫妻には大変お世話になりました。そうそう雑談で、旦那さんの実家は自民党の西田昌司の家と同じ町内会だそうです。野党時代の彼の国会での追及は爽快でしたね。オイラ、ファンなのです。
翌日はダニーデンに別れを告げ、北島へのフライトの為クライスト・チャーチに向かいました。レンタカーも返却しなければなりません。次の記事はクライスト・チャーチの詳細です。
NZ漫遊の旅はまだまだ続きます。
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コメント
とても素敵にまとめていただいてありがとうございます。
これでダニーデンへの観光客は増えるかもしれませんね。
駅ですが、このプラットフォームを世界一長いキャットウォークとして毎年ファッションーが催されており、ダニーデンはファッションの街として活性化しつつあります。
では夫ともども後半のレポートも楽しみにしています。
投稿: でんこ | 2016年5月10日 (火) 09時19分