« ついに来た!FIFAの幹部を中心に贈収賄のカネが乱れ飛んでいた20年。ここに米国司法当局のメスが入った。 | トップページ | 安全保障関連法案審議中の憲法審査会。自民党は衆院法制局に騙されたという馬鹿をやってしまったようだ。 »

2015年6月 2日 (火)

オイラの宗教観のモヤモヤが少しほぐれました。宗教には、信じる宗教と感じる宗教がある。

昨日の夕方、ウチの柑橘段畑に見回りに行きました。昨年は1本植えてあるブルーベリーの食べごろの7月後半に見に行ったら、全て野鳥に食べられて皆無状態だった。どうりで野鳥が楽しそうに啼いている訳が分かりました。で、今年は少しでも各個の実を大きくしようと、ひと房に十数個実がついているのを、2/3前後撤果して、野鳥避けに網掛けをしてきました。

ついでに、山倉庫の脇にあるビワの木、ビワがちょうど食べごろなので、全部収穫しました。かなり大量です。予備用の冷蔵庫に保存しました。それほど立派なビワではありませんが、味も良く胃袋に入ってしまえば同じですからね。当分食後のフルーツはビワとなります。ちょうど甘夏みかんの自宅用を数日前に食べ尽くしましたので、ちょうど良い切り替えとなります。

さて本題ですが。

過去、欧米には何回も滞在したのですが、特に欧州におけるキリスト教圏での国民の宗教心には、理解はしていても現地に身を置いて体験すると、徹底的に日本人との違いを思い知らされます。数百年、2千年からのキリスト教、もちろんその分派(東方正教会系・プロテスタント系)も含めてなのですが。現在のISIS問題・中東問題も反キリスト教のイスラム教、さらにイスラム教内の分裂、シーア派系対スンニン派系、またそれ以外の宗派が入り乱れての混乱なのですが、これらについては、とてもとても所謂無宗教が多い日本人には理解が出来るものではありません。・・・・・・

2012年10月にドイツのディケルス・ビュールという街に滞在した時、夕食に小さなレストランに行ったのだが、3人の中年女性と相席となり、双方未熟な英語で会話した。

オイラのドイツについての雑総論。そして太陽光発電のドイツの現状2012年10月29日 (月)

Dscf0609_r

ディケルス・ビュールの街で、レストランで夕食時、3人の中年女性とテーブルが相席となり、食後雑談となった。

なんでも、お産の時同室だったりして、以後1年に1回ぐらいで3人で旅行をしているとか。もちろん皆ドイツ人だが。左女性はスペインからのドイツ人、真ん中がフィンランドからのドイツ人、右の女性は忘れてしまったが。

で、どの宗教を信じているかを尋ねたら、左女性は無宗教、真ん中はプロテスタント、右はカトリックだと。オイラに、それならあなたはブッダか?と来たので、オイラ、「一般の日本人は、ブッダ宗教を葬式のために利用するが、これは本来のキリスト教的宗教とは全く違う。一種のセレモニー(儀式)だ。クリスマスもパーティーとしてやるし、ハローインの仮装遊びだってやるよ」と。

オイラ英語のボキャブラリーが貧困なのでどこまで通じたのか?でも真剣に聞いてくれた。 スペインと聞いたので、スペインに行ったことがあると言ったら、左女性が乗り出してきた。「バルセロナのガウディーの建物を素晴らしく感じた。私の職業は建築家だ」と言ってやったら、どうも反応が良くない。彼女の出自はマドリードだそうで、このバルセロナのあるカタルーニャ自治州とは仲が良くないらしい。

現に今また、カタルーニャはスペインから独立しようという運動が激しくなっている。スペインでは、このカタルーニャー自治州が一番の稼ぎ頭なのだ。またスペイン標準語とカタルーニャ語は大きく違うのか?と聞いたら、その通りで全く違うと言っていた。次の日、街の通りで偶然に出合った。ニコニコしながら手を振り合った。

特に欧米人と宗教についての話をする時困ってしまうのは、日本人の過半以上が檀家となってはいるが、果たして仏教を信じているのか?「私の宗教は仏教だ」と心底云えるのか?ということだ。オイラの場合は、葬式仏教として接している。先祖供養としてしかない。歴史的には、江戸時代、危険判断がされたキリスト教などの国内普及を防ぐために、また一種の住民籍の把握の為に檀家制度が創られ全土に普及した。つまり国策だったとも云える。

当時徳川幕府の勢力が及ばなかった、沖縄本島と諸島には檀家制度はなかった。だから沖縄に行けば分かるが、仏教寺は見たことがない。中国からの道教寺もない。墓造りの形態もぜんぜん違う。どちらかと云うと、仏教が日本に入る前まであった、先祖崇拝と精霊を重要視したシャーマニズムに近い印象だ。

オイラ20歳代に観た映画がいまでも懐かしく、Youtubeで検索したらあった。1974年公開の、題名は「卑弥呼」。かなり難解な映画なのだが。全画面で観ると観易いです。

Himiko (1974, Japanese with English subs) Full Movie.

当時、暗黒舞踊で有名だった土方 巽(ひじかた たつみ、1928年3月9日 - 1986年1月21日)らが演じる”山の神”というのが、なにか説得力があるような気がした。仏教が入ってくる前の日本は(沖縄も)このようなシャーマニズムの世界だったのではと今も感じている。いや、太古のエジプト時代、ギリシャ時代、キリスト教以前のローマ時代も同じようなものだったかもしれないと想像は果てしなく続く。だから所謂神社に代表される”神道”は宗教なのか?道祖神を参拝するのは宗教なのか?山岳信仰は宗教に入るのか?山の神・海の神・豊作の神・・・・・・・・・・これらは”Religion(宗教)”なのか?

これはオイラの脳味噌のなかで、常にモヤモヤしていた。これを少しスッキリさせてくれたのが以下の加瀬英明のブログの記事だ。

日本人の心の清明さはどこからきているのか/加瀬英明 2015.05.30 以下その抜粋

・・・・・・神道という言葉が日本語の仲間入りしたのは、かなり最近のことだ。仏教が7世紀に入ってくる以前には、名前がなかった。仏教と区別するために、古道とか、神道と呼ばれた。

キリスト教、イスラム教、仏教が、信徒の数からいって、世界の3大宗教といわれる。 神道は信じるものでなく感じるもの。 神道とどこが違うのかといえば、この3つの宗教は人が文字を知るようになってから、生まれた。そして、文字が論理をもたらした。

宗教は論理であって、教えを信じなければならない。神道は文字がなかった時から存在したから、宗教ではない。神道は信じるものではなく、感じるものだ。

7世紀に日本に仏教と儒教とともに、論理がもたらされた。中東やヨーロッパでは論理が、精霊信仰である多神教を圧倒したが、日本では神道が大きな力を保ち続けた。 神道は清く正しく美しいを奉ずる。 神仏混淆といっても、神道のうえに仏教が加わったのだった。

神道は論理ではないから、言挙げしない。そこで今日でも、私たちは国民性として、寡黙で、論争を好まない。宝塚少女歌劇団のモットーの「清く正しく美しい」から、 「正しい」を除くと、神道になる。

論理は善と悪、正と邪を分けるが、神道は感性によっているから、清いか、穢(けが)れているかを尺度とする。 だから、自分に都合のよい論理を振り翳(かざ)して、争うことがない。論理は詭弁をもたらすから、危険きわまりない。・・・・・・・

・・・・ユダヤ・キリスト・イスラム教は同じ神を拝む一神教だが、徹底的な女性蔑視が行われている。イエスは母のマリアを一度も「母」と呼ばずに、ただ「女」といっている。女が男装をしたり、男として振る舞うのは、大罪だ。

日本には、静御前、巴御前、北条政子をはじめとして、薙刀(なぎなた)を振って戦う女性が、登場する。ジャンヌ・ダルクはイギリス軍に捕らえられて、男装し、男まさりに戦った罪によって、魔女裁判にかけられて、火焙りに処せられた。

奈良平安時代には、女性で地方長官である国造(くにのみやつこ)が珍しくなかった。 もっとも、西洋では近年に入ってから、「ウーマン・リブ」によって、女性が男に伍して働くようになった。 和の心こそ女性的な心の国 女が心を用いるのに対して、男は理を弄(もてあそ)ぶ。母親はどの子もやさしく包んで、守るが、父親はできる子と、できない子を競わせる。

日本は女性的な心の国である。女性が暴力を嫌うために、和を大切にしてきた。 縄文時代の遺跡から出土する骨には、他国の同時代の遺跡と較べて、戦い傷のある骨がはるかに少ない。平和な民であってきたのだ。

男が最高神である国は、自分勝手な正義を振りかざして、戦いを好むが、日本は違った。 天照大御神は女神であられた。もし、最高神が男神だったとしたら、日本民族が受け容れたことだろうか。私たちは神々であれ、仏であれ、母性的なやさしさを求める。

長い日本の歴史から見れば、実は日本は母系社会的要素が、少なくとも欧州での社会より強かったとも云える。明治になって富国強兵の時代になり、約100年間ぐらい一時的 に父系社会的になったに過ぎないのではなかろうか。3千年の歴史のあるなかで。

あえて、宗教という単語を使うとしても、上述のように”信じる宗教”と”感じる宗教”があり、キリスト・イスラム・仏教などは、文字を駆使して捏造・詭弁が満載で、しかしそれらを信じることから始まる”ロジカル宗教(Logical Religion)”であり、日本の神道類は”エモーショナル宗教(Emotional Religion)”にはっきり分けることが出来る。

靖国神社での参拝は、「何かを信じる為」ではなく、「何かを感じる為」に日本人は行う。初詣の参拝も、出雲大社での参拝も、「神を信じる為」ではなく「神を感じる為」に行うのだ。だからこの二種類の宗教群を一つに纏めて”宗教”という単語を使うこと自体に無理がある。まぁ憲法の条文にまで”宗教”という単語が入っているが。まったく別物なのだ。

前者に宗教という単語を残し、後者には何か別の単語を作れないか。神道の英訳語はShintoだそうだ。まぁ世界的には、日本の神道は”民族宗教”という分類になるそうで、今はヒンドゥー教、ユダヤ教などと一緒だそうだ。Wikiによると

日本語の「宗教」という語は、幕末期にReligionの訳語が必要となって、今でいう「宗教」一般をさす語として採用され、明治初期に広まったとされている。 原語のほうの英語 Religion はラテン語のreligioから派生したものである。religioは「ふたたび」という意味の接頭辞reと「結びつける」という意味のligareの組み合わせであり、「再び結びつける」という意味で、そこから、神と人を再び結びつけること、と理解されていた。

磯前順一によれば、Religionの語が最初に翻訳されたのは日米修好通商条約(1858年)においてであり、訳語には「宗旨」や「宗法」の語があてられた。他にもそれに続く幕末から明治初頭にかけての間にもちいられた訳語として、「宗教」、「宗門」、「宗旨法教」、「法教」、「教門」、「神道」、「聖道」などが確認できるとする。このうち、「宗旨」、「宗門」など宗教的な実践を含んだ語は「教法」、「聖道」など思想や教義の意味合いが強い語よりも一般に広くもちいられており、それは多くの日本人にとって宗教が実践と深く結びついたものであったことに対応する。

「宗教」の語は実践よりも教義の意味合いが強い語だが、磯前の説ではそのような訳語が最終的に定着することになった背景には、日本の西洋化の過程で行われた外交折衝や、エリート層や知識人の価値観の西欧化などがあるとされる。

「宗教」の語は1869年にドイツ北部連邦との間に交わされた修好通商条約第4条に記されていたReligionsübungの訳語に選ばれたことから定着したとされる。また、多くの日本人によって「宗教」という語が 現在のように"宗教一般" の意味でもちいられるようになったのは、1884年(明治17年)に出版された辞書『改定増補哲学字彙』(井上哲次郎)に掲載されてからだともされている。

日本人の過半は、国際的な常識からすると「感じる宗教」であって、「信じる宗教 」ではない。その点において、だから無宗教なのだ。

|

« ついに来た!FIFAの幹部を中心に贈収賄のカネが乱れ飛んでいた20年。ここに米国司法当局のメスが入った。 | トップページ | 安全保障関連法案審議中の憲法審査会。自民党は衆院法制局に騙されたという馬鹿をやってしまったようだ。 »

コメント

なるほど。

神道には、天国に行けるとか地獄に落ちるなんていう脅しは聞いたことがありませんね。他の宗教はほとんど、天国と地獄の二分律が主題ですからね。

投稿: | 2015年6月 8日 (月) 16時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ついに来た!FIFAの幹部を中心に贈収賄のカネが乱れ飛んでいた20年。ここに米国司法当局のメスが入った。 | トップページ | 安全保障関連法案審議中の憲法審査会。自民党は衆院法制局に騙されたという馬鹿をやってしまったようだ。 »