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2015年1月14日 (水)

そろそろ、一神教の宗教を捨てて、無宗教または薄い多神教に宗旨変えをしたらと無慈悲な助言なのだが。

今回の風刺週刊誌(新聞)社に対するテロ(社員12名射殺)に「表現の自由、報道の自由」を掲げる、フランスでの300万人を超す抗議デモ。これの反響は世界各国で起こっているが、一概に同調ばかりではなさそうだ。現に移民反対の国民戦線党のルペン党首は、もっと根元的なイスラム教の侵入を防ぐべきだと声明を出している。

そもそもこの週刊紙『シャルリー・エブド』の編集長・スタッフらは、宗教的にはどの宗教を信じていたのだろうか。それとも完全に無宗教だったのか?一神教ではなく、古代ギリシャ的な多神教だったのか?カトリックのローマ法王を下劣な漫画でからかったことはなかったか?

フランスは、過去からほとんどカトリックで、第2次世界大戦直後でも9割の国民がカトリック信者だったと。まぁ、統計によるが、現在もカトリック 62%、 イスラム6%、プロテスタント2%、ユダヤ1%、無神論29%だそうだ。その為本来離婚も禁忌なので、法的結婚をすると、離婚するのは、裁判を起こさなければならず、膨大な手間と費用が掛かり、特にカネのある男性の場合は身包み剥がされるかのような、財産を取られるそうだ。だから現在は、そうではなく事実婚ということで一緒になるケースが結婚の半分を占めているとか。大統領のオランドでさえ、事実婚だ。日本で云えば契約同棲のようなもの。フランス国民はそれを普通に受け入れているという思考なのだ。・・・・・・

だから、多分週刊紙『シャルリー・エブド』では、ローマ法王を誰が見ても侮辱していると感じられるような諷刺画や記事は載せてはいないと思う。赤旗が共産党を茶化したり、糾弾しないのと同じだろうし、聖教新聞が日蓮を馬鹿にしたような記事は出さない。またその必要もない。

だから、そもそもダブルスタンダードだったわけで、建前は「表現・報道の自由」なのだが、やはり限定された”自由”にほかならない。しかし、北米もそうだが、欧州、特にフランスもいわゆる無神論者が約3割とは、だんだん宗教に関して変わりつつあるように見える。多分の出版社は、立場としては無神論者の立場だったのだろう。そして、300万人を超える群衆は、無神論者でなければ理屈がつかないことに気が付いていたのだろうか?

デモの最中にこんな曲が大音響で流れていた。

ジョンレノン作詞の有名な曲、”Imaging”なのだが。彼はこの作詞で、キリスト教原理主義者に射殺された。キリスト教を冒涜する唄だと。これまでにこのような歌詞は皆無だった。

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これって、普通の日本人なら当たり前の感覚なのだが、一神教の世界では、全てを否定することに繋がる。欧州における宗教芸術・宗教絵画は、「天国と地獄の存在」が主題だからね。一神教ではなく、無宗教に近い日本人から見れば、これら問題はまったく煩わしいと考える。

オイラ、様々な欧州の国々に行き、宗教建築をも見てきたが、これを建設するためには、当時の世界中の植民地から、どれほどの財を奪い取ってきたのかと、あまりにもその偉大?さに唖然としまくった。これが宗教であり、一神教の凄さなのだ。

まぁ、徹底的に一神教内の宗教戦争をやれば良い。イスラム過激派が特殊であって、他のイスラム教民族は平和を愛して、そのようなことはないと反論しているが、イスラム教の教義の中に、残虐な方向に行く芽が組み込まれている。いや、キリスト教・ユダヤ教の中にもそれは組み込まれている。一神教の宿命とも云える。なぜか、それは根本が他の宗教を排他する教義でなりたっているからだ。

もし、日本が発信できるとすれば、無宗教または薄い多神教でも、哲学的に幸せに暮らして行けるということだ。オイラが感じていることは、もし神なり霊なりがいるとすれば、それは自分の心の中にいて、仏壇に、墓に、拝礼するのは、それは鏡のようなもので、自分の心の中にいるものに拝礼しているということ。

まぁ、世界の一神教の民族の方々よ、太古からの宗教嘘話を信じて、永遠に憎しみ合い、殺し合いをすれば良い。このごろ世界人口も増えすぎて来ているし。

 

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コメント

●シャルリー・エブド誌のジャーナリストたちは言論の自由の「殉教者」として祝福されるべき存在であることは間違いない。だが、この事実だけは言っておくべきだ。

●もし彼らが過去20年間においてあのような風刺的な新聞をアメリカの大学のキャンパスで出版しようとしたら、即刻出版禁止であろう。学生や教官たちも、彼らをヘイトスピーチだとして非難するはずだ。大学は彼らの予算をカットして閉鎖に追い込むことになる。

●パリでの事件にたいする大衆の反応を見てみると、多くの人々がフランスのイスラム系テロリストたちの考えを攻撃した人々のことを不相応に特別扱いして賞賛しているが、その彼らも自分たちの考えに攻撃してくるような発言をする人々にたいしては非寛容だといえる。

●その一例が、ごく小さな規模で行われている大学のキャンパスでの攻撃にたいする反応だ。

http://blogos.com/article/103382/

投稿: kkk | 2015年1月14日 (水) 16時26分

この世の中には、正義の主張だとかそんな高尚ではなく、売り上げを伸ばす為にわざと過激な、特異な主張をして、他と際立たせることを戦略としている、新聞社、雑誌社、言論人がメディア界を闊歩している。それを「言論・表現の自由」を言い訳として。テレビでも視聴していてゲップがでる程のコメンテーターなど。日刊ゲンダイなぞ頭がおかしいのではと思うことがある。それに対してネットが反論や糾弾する。少なくとも廃刊してほしい、降板してほしいという例は山のようにあるメディア界だ。
この被害にあった、たかだか6万部ぐらいの発行の週刊新聞社が(そのぐらいの人から評価されていない)、370万人がデモで擁護する、そんな高尚な言論・表現だったのかよと、私を含めて日本人は受け取る人は多いと思うが。

投稿: | 2015年1月14日 (水) 16時55分

米国は大統領も長官もあのデモには一切参加しなかった。米国大使がちょろっと程度だったとか。これは米国としてまことに賢明な態度だった。褒めてつかわす。

投稿: | 2015年1月14日 (水) 17時34分

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