ちょっくら、台湾の台北に行ってきました。19年ぶりの台北です。
台北で700名規模の新年パーティーがあり、娘家族と一緒に行ってきました。
台湾は、JC会員時代、ウチのJCと台湾の桃園JCが姉妹クラブだった関係で、その交換会で1986年に初めて行きました。まさに台湾はこれから日本を見習って成長して行くんだという雰囲気でした。桃園空港には桃園JCの会員が数十名で迎えてくれ、大きな友好の横断幕を掲げ記念写真。夜の大宴会でした。その後当時の桃園市長も一緒に呑み会もしました。
次に行ったのは、1988年に設計したホテル大野屋の大浴場(新ローマ風呂)に設置する彫像(7体)を、社長の人脈から桃園にある業者に製作発注しており、それが完成したことで、検品のため、社長含めて数名で行きました。彫像といっても、大理石の粉ペーストを鋳型に詰め、表面仕上げをしたものです。しかし日本だったらとんでもない金額になります。
次が1996年、桃園JC会員と熱海JC会員(女)が結婚するということになり、桃園市内のホテルで結婚披露宴。オイラ達はもうOBでしたが、関係筋ということでその出席の為に行きました。出席者は日本のように黒の式服の習慣ではなく、普通のスーツ姿でした。
ですから今回の台湾は19年ぶりということになります。旧街区、旧建物は多く残っているにしても、中心部は大変斬新な都市空間となっていました。・・・・・・
水曜日の14:35に到着して、出入国審査カウンター(immigration)の行列に並んだとき気が付いたのですが。共産中国からの団体客の多さに少し驚きました。その時は、目検討で共産中国人6割、日本人2割、韓国人とその他で2割といった感じでした。ところで、共産中国人が握り締めているパスポート(旅券)の色が少し違うことに気が付きました。いままで、欧州・北米などで見た、この国のパスポートの表紙と違う。あとで、現地のガイド嬢に聞いたところ、「あれは、パスポートではありません、ビザ証のようなものです」と。そこで気になったので調べて見た。
共産中国人が台湾に行くときには、パスポートは使えなくて、”大陸居民往来台湾通行証”を申請して、これを使うことになっているそうだ。この有効期限は5年間だと。香港・マカオに行く場合には”華人民共和国往来港澳通行証”を取って、行くことになるそうだ。これビザのようでビザではない。台湾当局が発行するのではなく、共産中国当局が発行するものなのだ。さらに・・・・
中国本土の人は、大陸居民往来台湾通行証と旅行ビザだけでは台湾にいくことができない。さらに台湾の内政部入出国及移民署が発行する中華民国台湾地区入出境許可証とよばれる証明が必要になる。一般的に入台証とよばれている。
また、その台湾に入国できる人数も制限されているようだ。
この入台証の発行数は制限されている。団体旅行者は一日あたり7,300件、個人旅行者は一日あたり5,840件に限定されている(2014年8月現在)。中国本土では台湾旅行が人気で、連休などは入台証が取得できずに旅行にいけないということが報道されている。 団体旅行を展開している旅行会社は、団体旅行者向けの入台証が足りないケースを避けるために、個人旅行といつわって個人旅行向けの入台証を取得している場合もあるようだ。
また個人旅行の場合には、住所などの制限もされているようで、
いまのところ大都市を中心に36都市のみで台湾の個人旅行にいくことができる。 中国本土の台湾個人旅行は、2011年6月に北京、上海、アモイ(厦門)の3都市で開放。台湾個人旅行は大都市を中心にすこしずつ開放されている。2014年8月には4回目の開放として、大連市(遼寧省)、中山市(広東省)、無錫市(江蘇省)、太原市(山西省)など10都市が新たに開放された。
社会人の場合はつぎの内のひとつが必要になる。学生の場合は学生証または在学証明書が求められる。
*年収12.5万元(約210万円)以上の証明
*5万元(約83万円)以上の定期預金の証明
* ゴールドカード以上の金融機関のカードの保有証明
以前共産中国に滞在して、通訳の出来る現地の人に、「今度日本に遊びに来なさいよ」なんて気軽に言ったら、「そんな簡単に個人では行けませんよ!」と言っていたが、団体旅行ではなく個人旅行の場合には、上記に似た制限が掛けられているようだ。カネのない田舎者は、迷惑を掛けることになるから、外国へは行くな!ってところか。また不法残留で問題が起こるのを防ぐためなのか。
もっとも、共産中国から台湾までの直行定期便が飛ぶようになったのは、2009年の最近のことで、都市部に住む中流以上は、言葉の通じる(北京語)台湾には気軽に行きやすい。現在は昔と違って、制限1杯に近い観光客が訪れているようだ。以前行ったときには、共産中国人観光客は、ほとんどいなかったわけだ。
ガイド嬢に「現在は外省人と本省人とは見分けがつきますか?」と聞いたら、「両親が若いころは、色々な理由で見分けがついたが、今は完全に混じってしまってほとんど見分けすることも出来なくなった」と言っていた。
外省人とは、日本が台湾から去った後に、毛沢東の中華人民共和国軍と蒋介石の中華民国軍との戦いで、台湾に逃げ込んで居座った中華民国人のことを指す。現在の国民党は外省系が多いし、民進党は本省系が多いと言われている。オイラの高校時代の同級生は、もう帰化したが元は日本に移民した福建系の本省人だった。
また、共産中国が戦後複雑な辺数の多い漢字を簡体字に変えたので、あちらに行くと読める漢字と読めない漢字があるが、台湾はしっかり繁体字を守っているので、中国の古典も理解することが出来る。日本は一部新字体に変えた。香港・マカオも漢字は繁体字を使用しているので、日本人には分かり易いし、共産中国人には興味深い。
カミさんは台湾に関しては、友人達と南下した台中市の方に行ったことがあるが、オイラはほとんど、桃園と台北 留まりで、故宮博物館には何回も行ったが、ほとんど夜の宴会に費やした。今回は自由行動日が一日しかなく、孫の好きな鉄道を乗り継ぎながら、近郊を回ってきた。
ホテルは、台北101ビル(高さ509m、地上101階)の傍にある、”グランドハイアット”ホテルだったので、歩いてすぐに、地下鉄の台北101駅かあり大変便利だった。最近この路線ができたのだろう。最新の空間でした。チケットはこのようなメダルです。これタイのバンコク市内の地下鉄と同じですね。
そして台北中央駅です。吹き抜けの大空間となっています。すばらしい!
台北中央駅でチケット購入して、今度は地上鉄道で、瑞芳駅まで行き(約50分)そこから乗り換えて約25分で十分駅に着きました。道中は山間渓谷を巡る景色で、この十分の街区も忘れ去られたような山里なのですが、例のランタン(天燈)飛ばしがいつでも出来るところです。2月の前半には、「平溪天燈節」の本番がだいだい的に行われるそうだ。
大きさは大人がすっぽりかぶっても余裕があるぐらいで、ランタンというより、四角い小型気球?けっこう大きいです。四面すべてに、墨をつけた毛筆で、願い事を書いていきます。もちろん日本語で大丈夫。ランタンは油をしみこませた紙で出来ていて、願い事の内容によって、色が分類されています。風水の国ならではのこだわりを感じますね。
これ線路の両側に建物が並んでいるので、とりあえず揚げ始めは、あまり風の影響を受けないので、素直に揚がっていくようだ。しかし時々風の向きが悪いと、建物の上部に当たって墜落炎上ということになる。ジョウロで火消しだ。そのような場合無料で再度挑戦することになる。台湾各地で行われているとか。で、それぞれランタン飛ばし大会があり、その時は凄い迫力になるそうだ。
日本でも地方興しの一手段に使えそう。まぁ、消防が許可するかどうかだが。
この後、瑞芳駅まで戻り、ここから、映画”千と千尋の神隠し”の一場面でイメージヒントにしたと云われる、九份(きゅうふん)に行った。駅前にずらりとタクシーが待っていて、料金決めがされていて、180元(約700円)で行ってくれる。山間部を曲がりくねって登って行く。
オイラもこの映画を見たせいなのか、はるか前世で見てきたような気がしてならない。
タクシーを降りると、幅2mぐらいの路地が続き、両側には無数とも云える、雑貨店、土産もの店、飲食店が続く。その間500mはあると感じた。
九份(きゅうふん、ジォウフェン)は、台湾北部の港町基隆市の近郊、新北市瑞芳区に位置する山あいの町である。
ここ九份は、以前は急斜面の山肌にあった金鉱で、日本統治時代に藤田組により開発された。しかしやがて、金の採掘量が減り、閉山された。 しかし1989年に台湾の映画の撮影場所となり、それをきっかけに1990年代から観光地化されていった。路地の幅が狭いので、京都の先斗町のような賑わいを感じてしまう。
夜の全景はまるで一つの建物のように見えるが実態は、数々の建物の集まりで、ただ赤色の提灯が統一されているので、そのように見えてしまうのだろう。山肌にあるので、下界の景色が売り物だ。ここで昼食を取った。日本人はこの宮崎駿の映画で馴染みがあるが、中国人や白人達は多分知らないのではないかとも考えた。ただ非日常空間としては大変面白い。観光客は一般には鉄道ではなく、台北からバスツアーで来るパターンが多いのだろう。多くの大型バスが、下の駐車場に留まっていた。台北からのオプションのバスツアー料金はこの辺数ヶ所尋ねて一人6千円とのことだった。鉄道乗り継ぎの方が断然安かった。
帰りはまたタクシーで瑞芳駅間で戻り、鉄道で台北101駅まで戻った。そして女性組は、台湾式シャンプーへ、男組は台北101ビルの展望台へ。展望料金は大人一人500元(約1,900円)だった。
その後、合流して夕食は、地下鉄で中山駅まで行き、そこからすぐの北京ダックで有名な天廚菜館(南京西路店)へ行った。あらかじめ午後7時に予約を入れておいた。この店東京にも支店があるとかだが、値段は圧倒的にこちらで食べた方が安い。
他の料理も注文したので、さすがダックの肉の方は食べられなかった。まぁ、食べ散らかして残すのも中国流だ。
ここで夕食を済ませ、腹こなしに夜市にタクシーで行った。”士林市場”という場所。
車道の歩道からずっと屋台店が続き、ここに繋がる。雑貨店が並び、射的の店が多かった。ゴム銃もあれば、玉投げ、矢投げ、日本の祭りの屋台のオンパレードといった感じ。孫は楽しんだようだった。で、そこから地下鉄でホテルに帰り、ベッドに倒れるように熟睡した。
次の日は帰国日なのだが、13:20桃園空港発なので、ツアーバスで、”龍山寺”と”中正記念堂”をガイド嬢の案内で回った。 艋舺龍山寺
ガイド嬢によると、ここは毎午前には、信者による読経が行われていて、この日も約100人ぐらいが集まって、一斉に読経をしていた。
で、ガイド嬢に読経を聴いていて、意味が解るか聞いたのだが、全然意味が解らないと。じゃあ日本と同じだねと、お互いに笑った。読経を聴いていると、その内ご詠歌のような音調になったりした。また、ガイド嬢云わく、日本のようになんとか宗という別れはなく、ただ一つ仏教だそうだ。面白いのは裏に道教の寺があり、五つの神様が祭られていて、それぞれの特定の神さまに参拝するようになっている。おみくじもあった。
あと、裏にある道教の寺で、中華式の線香を買ったのであろう、大柄な白人女性(若くて美人)が、それに火をつけ境内でその匂いを嗅ぎながら楽しんでいた。そこへ、うるさそうな地元のばあさんが、それは神さんの前にある線香挿しに挿すんだ(多分)と大きな声で怒鳴っていた。彼女最初は意味が分からず、平然としていたが、誰かが手招きで教えてやったようだ。彼女マリファナの親類のような錯覚をしたのではないかと思った。
その後、中正紀念堂に行った。以前来たときは、こんなに内部が綺麗だったとは感じなかったが。多分最近内装を最新にしたのかもしれない。大変大きな蒋介石の像は、ワシントンDCのリンカーン像をヒントにしたのではないかと考えた。
短期間の台湾旅行でしたが、それだけに楽しめた旅行でした。
| 固定リンク
« Google翻訳って機能がスゴーイ!知らなかったよ。民主党代表がやっと決まったようで。やつら本当に日本人なのかよ! | トップページ | 日本に突きつけられたISIS問題。さあーこれからどうする。極東アジアも暴発したら、こんなことも起こるかもしれない。 »
コメント