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2014年11月25日 (火)

小春日和の中、また海の向こうから、帆船でオジイ達がやって来た。新しいクルージングヨットのお披露目です。

またまたオジイ達が、帆船でオイラのテリトリー(縄張り)にやって来ました。11月22日に横浜の母港から出発して、三浦半島の三崎港で一泊、そこから出発して23日に伊東のマリーナに到着。オイラ熱海から出迎えに行った。何でもポン友のハマ坊の横浜市立大学からのヨット仲間のハセ坊が、定年退職をして暇も出来たしで、フランス製のクルージング・ヨット(中古)を購入して、今回はそれでやって来た。サイズは33フィートだとか言っていた。まぁ、そのお披露目クルージングということで。

船の名前は以前の船名と同じで”ボヘミアン(Bohemian)”「流浪の人々」だそうだ。まさにスランス製ということで”太陽がいっぱいアランドロン”なのだが、ちょと年齢容姿とも天と地ほどの差があるのだが。比べるのが酷というもの。24日は、伊東に全にち滞在で、翌25日に千葉の保田港に行き、26日に横浜の母港に帰る計画だったが、天気予報では25日から雨と風が強くなるとのことで、保田港には行かず、直接横浜に帰ることにしたとか。

22・23・24日の連休は、まさに11月の小春日和というかインディアン・サマーというか、暖かく穏やかな日和だった。24日丸一日伊東滞在ということなので、オイラが運転手役になって、ウチのみかん段畑にあるBBQ施設で、みかん取りとBBQを楽しもうということになった。・・・・・・

初っ端着いたら、ハマ坊が出迎えてくれた。大手デパートに長年勤務して、途中で退職して、長野県安曇野に居を構え、以後特殊はんこ製作販売など職人兼事業家でこんにちまで来ている。オイラの都立青山高校時代のポン友だ。いつの間にか精悍な男になっていた。

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他のオジイは、今年最大手銀行を役員退職して、今は別会社の相談役で週3日ぐらいのお勤めで済む余裕のある人生となった、この新ヨットのメインオーナーのハセ坊と、聖光学園時代、小田和正のオフコースのバンド創立時のメンバーだったスー坊。彼は大学卒業後オフコースとは袂を分かち、大手石油会社を定年まで勤め、何を思ったのか、ヨットで別の仲間と東南アジアから地中海沿岸を数年掛けて、クルージングの旅をしてきた経歴の持ち主。

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ジブラルタル海峡を通って、大西洋岸に回り込み、ポルトガルやモロッコまでも。もちろん地中海沿岸の各国、昨年オイラが滞在したイスタンブルにも滞在したとか。もちろん東南アジアの各地、豪州のダーウィンにもと、ヨットクルージングで”ボヘミアン”。流浪の旅を数年前に終了したと。そのときの流浪の旅の膨大な記事の量の彼のブログです。

ハーモニー通信

今回は、南太平洋のフィジーから、世界一周を目指して2008年12月出港したタイ・プーケットへ帰港するまでの、最終のクルージング便りです。 グーグルアースの航跡の一番右側の島がフィジー。そこからバヌアツ、パプアニューギニアを経て、オーストラリアの木曜島へ。カーペンタリア湾を西へ横断、ゴウブ、ダーウィンへ。ダーウィンからはヨットラリー・セールインドネシアに参加して、インドネシアの島々を巡り、シンガポールの北、マレーシアのジョホールバルへ入港。マレーシアの港や島を巡りながらマラッカ海峡を北上、タイ・プーケットへ帰港し、世界一周航海を完結しました。・・・・・・

このハセ坊とスー坊とハマ坊は横浜市立大学で同期生ということで3人一緒だったとか。ハマ坊とスー坊はともに大学のヨット部だった。さらに今回分かったのは、ハセ坊はトランペットが得意で当時、大学外でダンスミュージックのバンドに入って、 トランペットの腕を磨いていたそうだ。クラブ活動は自ら創設した探検部だったと。

オイラはそのころ新宿花園町近くにあったダイビングショップに出入りしていて、大学春休み約1ヶ月沖永良部島で昼夜スキューバーダイビング漬け。ちょうど宿泊していた民宿に大学の探検部がドロ汚い姿で数日一緒になった。後から分かったのは、熱海から学習院に通っていた鬼瓦顔のヨシ坊の探検部だった。これも彼が探検部を創設したとかなんとか。その話をしたら、同じようにハセ坊も沖永良部の鍾乳洞探検はしたそうだ。ただし彼らは夏休みの期間だったと。この接点はなかった。

ここ数年オイラもこの仲間に加わって、「友達の友達は皆友達、世界に広げよう友達の輪!」で仲間に入れてもらったわけだが。まぁ、いわば陸送の専任。ヨットマンは陸に上がるとカッパになるからね。

このヨットは、フランス製ということなのか、設計がなかなかエレガントで、内部の内装もアール(曲面、曲線)が多く持ちいれられているようだ。優しい雰囲気の上品な内装だ。そのために、船泊は4人というところ。カイコ棚ベットなんてものはない。

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その日の夕食は、伊東漁港の近くにある、台湾料理の店ですまし、船に戻ってウィスキー白州と希少焼酎で飲み会。若いころのカミング・アウト連発で盛り上がった。そして、その夜はオイラも船内で就眠した。ところが、桟橋が上下する時に発する音やロープの締まる音、ギーコギーコやキュッキュという音の連続で、慣れていないオイラとしては、なかなか寝付かず、朝を迎えた。そもそも当初は旅館に泊まる予定だったが、23日(日)は伊東中の旅館ホテルを探したが、全て満杯だったので船中泊となった。まぁ、連休のなか日だったからだか。

皆で朝食は船内でカップヌードルを食べたのだが、これ多分20年ぶりに食べたような。しかし皆で食べると美味しいものだ。

その後は、BBQ用の食材買いだ、アオキのスーパーで牛肉を中心にお買い物。野菜はにんにく、玉ねぎ、長ネギ、大シイタケだ。それらを車に積んで、ウチのみかん山に向かった。皆にみかん取りをしてもらっている間に、オイラが炭火起こしと、食材の下準備。牛肉はオージービーフの塊とフィレ肉、そしてついでにあったラムチョップス。さらにサザエのつぼ焼き。

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昼食としてはたっぷり喰らった。取った柑橘はそれぞれ袋に詰めて、それぞれのカミさんにお土産。袋には、みかん、ゆず、橙が入っている。

夕方、毎回世話になっている伊東温泉”あいおら”に宿泊。ここでもたっぷり夕食会だった。アワビの踊り喰いもした。

25日の天気予報が雨なので、早めに相模湾を渡ろうと、当初の予定より早めの朝5時出港ということになり早々に就寝。まぁ、前夜の寝不足もあったのだが。そうこうしている内に、シンガポールから来たフジ坊も部屋に着いた。他の用事もあるがシンガポールからヨットクルージングを楽しみにちょくちょく来る。2011年11月に、シンガポールに行って、彼にアッチコッチ案内をしてもらった恩義がある。彼の二人の息子も徴兵期間のお役目は無事終了したと。

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まだ暗い、朝5時に帆船の準備を短時間で整え、フジ坊とハマ坊「さあ行くぞ!」で出港でした。

因みに昼頃から雨が強くなり、他の用事でハマ坊に携帯を入れたら、今、久里浜沖合いを走行中でーすとのことでした。雨でしたが強風ではなかったので、無事母港にたどり着けたことでしょう。オイラも日常空間のなかで、つかの間の非日常空間を楽しめて幸いでした。

追記:夕方また携帯を入れたら、結局、風の方向が最悪で、セーリングなしのエンジン走行で、ポンポン船で全走行でしたと。「なんとまあー」でした。

一粒で二度おいしいオイラのブログ:今日の音楽動画 

もうこの頃は、今回のスー坊は 

このオフコースをリタイアしていたと思うのだが。

オフコース / ライブ (1977)

この際、オフコースの全集です。

 オフコース LIVE MP3TUBE 

音楽のみの動画です。

BGMにいかかがですか? 53曲連発です。

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