スコットランドが独立の賛否の住民投票だと。歴史的に世界の民族は離合集散を繰り返して来た。今、流れは離散の方向に向かっているのか?
今年の日本に於いての平均気温は、絶対寒冷化していると思う。メディア界はほとんど温暖化を前提として報道をしているが。中には「温暖化しているから寒冷化になる」なんてどう見ても苦しい言い訳をしている。今夏は東海と関東の海側に於いては高温が続いたが、それ以外日本全域は、雨の日が続き低温と日照不足続きだった。農業に影響は大となるだろう。また集中豪雨が多かった。これも温暖化の影響だと騒いでいるが、数千年の単位で考えて見れば、必ずどこかで集中豪雨はあったわけで、その結果大地の隆起運動を除けば、山は常に土石流・土砂崩れによって、段々低くなって来たのだ。もちろん数千年掛けてだが。また今よりとてつもない温暖化期もあった。そのころ人類はCO2の排出は火を起す程度ぐらいしかなかったのだが。
最近過去の遺跡や地質を調べて分かったことは、寒冷期に入る前の数十年間は、雨が異常に多かったことも発表されている。また、気象に影響を及ぼす、海水温の温度の高低も、地球全体の海底地質のマントルに依る地熱の影響、つまりイメージとして海水の入った釜が熱くなったり、冷えたりが原因の一つではないかと言う説もある。但しこれは現在の科学技術では海底の温度の、平均に関しての調査・統計・解析が出来ないそうだ。
さて本題
今月9月18日には、あの英国本土の北部、スコットランドの独立の是非を問う国民投票が行なわれる。果たしてどうなるのか?・・・・・・・・
1995年前後の話だが、そのころ円高でカナダドルが大変安くなった時期だった。1CAD=75円前後で推移していた。それを見て自社設計建物をほとんど北米製の建材で設計して、バンクーバーから40フィートコンテナーで輸入して建築することもやっていた。最初はバンクバーから、約280キロの高台にあるオカナガン湖の周囲にあるケロウナ(Kelowna)という場所の会社と取引をした。SRIという社名で、もともとモービルハウスを製造していた。
丁度この1995年10月に、カナダ連邦のケベック州が独立をするかしないかの最後の住民投票を行なうことになった。ご存知のように、カナダ連邦は英語圏とフランス語圏があって、国内の商品の説明書は全て英語とフランス語の併記でなされている。フランス語圏の最大がケベック州なのだ。
州都はケベックだが、最大の都市はモントリオールとなる。オイラの従妹が前夫とここで結婚式を挙げた。どちらも、もともとこの都市には関係ないが、当時ここで仕事をしていた関係かららしい。
SRIの会社の通訳嬢がもし独立ってことになると、噂ではカナダドルは急落して1CAD=65円ぐらいまで落ちるだろうと。もしそうなったらオイラの仕事上の利益は急上昇ということになる。これ輸入価格決済が格段に(2割近く)安くなるからね。人の国のことなどどうでも良い、「神様ケベックが独立しますように!」と祈ったものだった(笑)。
しかーし、住民投票の結果は、僅かな差で否決されてしまい、オイラの便乗儲けも無くなってしまった。これを主導したのがケベック党なのだが、現在この独立派は衰退しているとか。まぁ、将来また独立運動が再起されるかもしれない。
で、英国なのだが。
英国はご存知、イングランド、ウェールズ、北アイルランド、そしてスコットランドの4つの国が集った連合王国だ。正式名称は「the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」。だから公用語としてはUnited Kingdom、略してUKとなる。そのような構成なので、国民の一部は、外国人から「England?」「English?」「Great Britain?」「British?」と聞かれると面白くないと感じる人もいるとか。 よくある州で構成された連邦国家とはニュアンスが違うようで、日本人ではさらにこの感覚は分からないそうだ。だから「あなたはイギリス人か?」と聞く場合には「あなたはUKか?」と聞くのが無難だそうだ。
まぁ、それだけ民族心というかアイデンティティーが強いというか、4つの民族(国民)は独立心が強いということだろう。その中でスコットランド国民は、「もうここまできたのなら連合から独立しようじゃないか」というわけで、散々運動してきた経緯からこの9月18日に賛否を問う住民投票をするところまで漕ぎ着けた。
スコットランドは昨年滞在した。
イギリス漫遊 -1 イギリスは寒かった. まずは、スコットランドのエディンバラからスタートしました。2013年10月17日 (木)
イギリス漫遊-2 世界遺産の街:エディンバラ(edinburgh) 名所見物と王室客船ブリタニア号(the royal yacht britannia)に乗船した。2013年10月18日 (金)
まぁ、この地は数千年前から攻められたり、攻めたりしてきたのでその歴史的遺跡は莫大にある。また歴史を語るとすればそれだけで膨大なページとなるだろう。一時は北欧のバイキングの属国になったり、フランスの属国になったりで、血の歴史を歩んできたとも云える。まぁ、その点では日本は歴史的にお花畑で来れた珍しい国とも云える。
スコットランドは近年北海油田が開発され、その美味しいところを連合国家に掠め取られるがバカバカしいとか。
昨日ワールドニュースで知ったのだが、スコットランドの北限地で、5000年前の遺跡が発掘されたとか。そのころは、今より格段に暖かく、1年を通して農業も行なわれていたそうだ。もっとも氷床・凍土で万年雪で被われていた、デンマーク領のグリーンランドだって、中世の頃には、一部今より緑が豊かな土地だったとも言われている。人為的CO2の排出量なんて関係なく、太古から気候は変動するものだと考える。
無関心ではいられない スコットランド独立投票2014/6/14
連合王国とはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの国の連合体だ。企業でいえば連合体という「持ち株会社」の下にイングランドをはじめとする4つの子会社がぶら下がっているようなものだ。
こう書いてしまうと4つの国はどれも同じようなもので、平等であるかのような印象を与えそうだ。しかし歴史を振り返れば人口や経済力、武力で勝るイングランドが周辺の3国を徐々に合併・吸収し、「イングランドが支配する連合王国という箱」に詰め込んだというのが実情だろう。
イングランドは以下の3つのステップで連合王国をつくりあげた。
(1)1289年、ウェールズ地方に州制度を敷き、1536年に正式統合
(2)1603年、スコットランドとの間に同君同盟を形成。1707年スコットランド合併法により、グレートブリテン王国に
(3)1801年、アイルランド合併法により現在の「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」が成立
イングランドは得意技の外交戦略を駆使して国土を拡大したともいえるが、冷静沈着でフェアな話し合いで解決したわけではない。時には武力を行使し、力ずくで支配下においた面は否めない。このような歴史をイングランドに併合された3つの国は忘れていない。
そういえば、余談だがエディンバラから座席指定の鉄道で南下したのだが、前に座っている夫婦の旦那が、あのショーンコネリーに瓜二つ。雑誌のパズル解きに熱心だった。 よほど笑みを浮かべて「あなたはショーンコネリーによく似ていますね}と会話の口火を切りたかったのだが、その荘厳重厚な顔に圧倒されて、無言で通したのた。このショーンコネリーはスコットランドの出身だったらしい。
現在独立賛成派が47%に増加したとのニュースも出ているが、9月に入ってどうなるか。もし独立が実現となると、英国はとんでもないことになるだろうと思う。まず通貨はどうするのか。ポンドは確実に一旦は安くなるだろう。今現在1ポンド=173円のレートで昨年よりポンド高となっている。そしてそれを基準としてスコットランド・ポンドというように新貨幣となるのか?あるいはポンドはそのままで、やがてユーロ圏に入るなんていう話もある。
今世界は混沌の時代を迎えつつあるのではないか?そもそも無数にあった小民族が己を守る為に合併したり、吸収されたりで強権の元に大きな塊となった国造りが行なわれ、しかし、一種の連邦制は各自いつまでも自己への帰属意識は変わらず、やがて民主主義化してくると、さらにそれが顕著になって、分裂化・分散化の傾向になってくる。離合集散は終らず、常に繰り返す中にある。
カナダにおけるケベック州、スペインにおけるカタルーニャ州、バスク州の独立運動など、もしこのスコットランドが本当に独立したら、これの運動に連鎖的に火がつくことになるだろう。スコットランド人は、もう意地を張った大国主義でなくて良いと考えているとか。欧州随一の埋蔵量を誇る北海油田の権益でのんびり生きて行きたいと。
まぁ、英国本体としては何としても阻止したいし、阻止することになるだろうと思うが。
その点を考えると中央政権にまとめた、日本とフランスは逆に一歩進んだ国政だったとも云える。中央政権に出来なかったのは、各州の民族意識が強すぎていたから出来なかったとも云えるのだ。下手をすると内乱になってしまうからね。
日本で道州制への提言が活発だが、どの程度の道州制の地方分権なのか分からないが、強烈な分権にしてしまうと、それぞれがまとまり過ぎて、やがて数十年先には、独立運動が起こる可能性もある。韓国はかなり以前から云わば道州制に似た国政なのだが、その対立や差別意識はそうとう酷いと聞いている。
だからオイラは、簡単に日本での道州制実現には飛びつく気にはなれないのだが。
一粒で二度おいしいオイラのブログ: 今日の画像
まぁ、欧州全体が取ったり、取られたりしてきた歴史なのだが。
1648年当時の欧州地図
オスマントルコって凄かったね。
今のシリア・イラク・イラン・ギリシャ等々
総なめだった。
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