毎年恒例、海の彼方からオジイ満載で帆船がやってきた。「天気晴朗なれど、風・波高し!」
安曇野在住のハマ坊がニューッと顔を出した。安曇野から横浜まで結構距離があるのに、このためには駆けつけてクルージングを続けている。まったくのヨット好きだね。
まぁ、オジイばかりで当然オンナ気なし。20歳代からの青春がこの場では今も続いている。やがて散歩していた仲間(クルー)が戻ってきた。
定年退職が近づいていたり、現役退職したりで第2の青春を楽しんでいるかのようだ。いわゆる団塊の世代付近の第2の青春といったところ。その後オイラの車で予約済みの温泉ホテルへ。
夕食後部屋に戻ると、5つ布団が敷いてあり、まだ7時ごろなのにすぐ寝入ってしまったり、オイラの様にぺちゃくちゃお喋りを続けたり。オイラとハマ坊とは11時頃まで喋っていた。若い頃のハマ坊の告白(カミング・アウト)を聞いたりで。まぁ、ヨットの中で眠るのと比べ、喋り声が延々あっても、この陸地の方が眠り易いだろう、と勝手に判断。
翌朝は朝7時半に離岸した。予期はしていたが、気象条件が悪く、「天気晴朗なれど、風・波強し」で、ちょうど”川奈ホテル”の前を通り過ぎたころから、白波が立って来た。予定では目標の下田港までの内、前半はセール(帆)を揚げないで、エンジンのみで走行するとのこと。
皆、波しぶきに供えて防水着を着用。オイラ用も準備してくれたが、こちらはパワークルーザーで波しぶきには慣れているので、着用はしなかったが、上下とも海水でびっしょりになった。そのうちウネリも出て来て、とうとうセーリングと言うわけにはいかなかった。終始エンジンを噴かしての走行。速度はトーロールをする位のスピードだ。
救命胴衣も今やこのようにガスの一発膨張でスリム化している。(赤いぶら下がりを引っ張ると一発で膨らむ)
やがて12時半に無事下田港にある桟橋に着岸しました。すぐ前にある管理事務所で手続きをして、オイラは他の1人と一緒に下田駅から鉄道で帰路へ。他のクルーは後日開かれるヨットレースの下調べで調査セーリングをするとか。多分海はおさまるだろうと。まぁ、オイラにとって非日常空間というのか楽しい一日でした。クルーの皆さんありがとう。
第9回静岡県知事杯石廊崎レース・Trans-Sagami Yacht Race 2014
で、自宅に帰ってきてから知ったのだが、ちょうどこの日(27日)~28日に掛けて、20時間近くを海水客が漂流していて、助かったと。
シュノーケル救助の40キロ漂流男性 あおむけで浮き漂流 体調は快方に2014.7.28 19:52
静岡県伊東市の沖合でシュノーケリング中に行方不明となり、約40キロ離れた同県下田市の白浜海岸で約20時間後に救助された神戸市の会社員、中嶋祐輔さん(29)について、下田海上保安部は28日、漂流中は「あおむけで浮いていた」などの聞き取り内容を明らかにした。
オイラの乗った船が下田港に着いたのが、27日の12時半。その頃伊東の手石島付近から漂流したらしい。 ベタ凪の海なら大の字になって上を向いて浮んでいてもそれなりだが、当日は白波が立っていて、またうねりもかなりあった。それもセーリングが出来ない程だった。数時間経ってのことなので、いくぶん納まってきたのかもしれないが。下田の白浜海岸に無事流れ着いたとのことだが、もし潮の流れが沖合い方面だったら、こんなハッピーにはならなかっただろう。
深い入り江となっている下田港湾内でも、着岸時(12時半)には小波だ立っていた。まして外洋となるとこのような平静な状態ではなかった。まったくこの漂流者はラッキーだったね。
さて、オイラは下田駅から、76年前(1938年)オイラの祖父が元請建築した伊東駅に戻って、マリーナに置いてある車で自宅に帰ったが、下田にしても途中の駅にしても伊東にしても、昔(2000年以前)のような海水客で賑わう風景は見られなかった。あれだけ多くいた海水客はどこへ行ってしまったのだろうと改めて驚いた。
伊東の手前に宇佐美海岸があるのだが、昔は道路沿いに海の家が数多くあり、客引きが競っていたが、今回見ると海の家は確か1軒しかなく、客引きもいなかった。ここは、うねりが強くなるとサーフィンのメッカなのだが。砂浜に海水客もまばらだった。
また、1990年代の夏の海の沖合いは、ヨットクルーザー、パワーエンジンクルーザー、観光漁船、その他ボートがひしめいていたが、近年は土日でもほとんど見られなくなってきている。あの一時大流行したウィンドサーフィンの姿も一切見られない。みんなどこへ消えたのでしょうか。皆自宅でエアコンを付けてネット遊びをしている人が増えたのでしょうか?それともカネの掛からない別の遊びに流れているのでしょうか?遊びが多岐になってきた証拠なのでしょう。
ここ30数年、ウチの目の前の海を眺めていると、あの時、将来は海洋レジャーだと意気込んでいたのがまるで嘘のようになってしまいました。ただ、いまだに意気込んでいるのは、時間が自由になってきた団塊の世代なのか?オジイ達の船盛りなのか?
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