立憲君主制国家のタイ王国。同じような名前の制度国家の英連邦国家とも違うし、日本とも違う。さてこれからどうなるのか?
タイに最初に行ったのは1976年前後くらいか、正確には覚えていない。カミさんと2人で行ったのだが。バンコクとアユタヤとパタヤだった。当時から欧州特にドイツからの観光客が多かった。当時南回りの欧州からのフライトで日本に帰る時、バンコク空港で欧州人がドサッと降りるので、急に機内はゆったりする。バンコクの中心にあるホテルをとり、誰でも観光するコースをこなし、ここから鉄道でアユタヤに行った。現地でガイドを雇い、アユタヤ遺跡やら、山田長政の記念碑やらを観光した。当時日本では少なくなっていた、お馴染みの3輪トラックの”ミゼット”の荷台を改造して客席にしたタクシー?が、わんさか客引きをしていた。
その後、バンコクからパタヤまで、他の白人客と一緒に夜間に大型車で行った。途中にパラダイス・ビーチというヌーディストビーチがあったようだったが、それはパスした。パタヤのホテルはビーチ沿いにあり、日本人もいたが、白人(欧州)の方が多かった。
小船をチャーターして、この沖合いでスクーバーダイビングをしたのだが、昼食に島で食べた食い物で食あたりをしたのか、水深10mぐらいだったがどうにもならなくなった。しかたがないと、海パンを脱いで覚悟を決めた。なにかその瞬間に水圧で大腸に海水が逆流するんじゃないかと危惧したが、そのようなことはまったくなく、むしろ地上よりスムースに小分けしながら事を致したわけで。で、後ろを振り返ると、なんと幾つもの黄色いモヤモヤが水中を漂っている。そこに熱帯魚やブダイが集って来た。小型の水中銃を持参していたので、それで50センチぐらいのハタ?を1匹しとめ、これをどうしようかと迷っていたら、船頭が欲しいというのであげてやった。フライト機内に水中銃を持ち込めるという、のんびりした時代だった。もちろんフライト時のセキュリティー検査なんて皆無だった時代。
その次に行ったのは・・・・・
2008年にトシ坊と1月に行った。空港からの道路も整備され、ガイド役のおばさんがつきっきりで世話をしてくれた。名所旧跡も以前行った時より整備がされていた。自由行動では、地下鉄に乗ったり、高架鉄道に乗ったりで官庁街のビル街やその近くに最近オープンしたらしい水族館に行ったり、中華街に行ったり、繁華街にあるテーメーを探索したり。バイクタクシーに乗ってオードリーに行こうとしたら、まったく違う場所に連れ込まれそうになり、大声で怒鳴って降りた。もちろんカネは払わなかった。そして傍を走っていた正規タクシーに乗り換えた。結構油断が出来ない。
ちょうど1月2日に国王の姉であるガラヤニー王女が逝去して、11日まで喪中だったのとかち合った。まぁ、一般国民は平常だったが。
そんなタイ王国だったが、とうとうタイ名物の最後の手段、軍事クーダターとなった。
【バンコク時事】タイのメディアは25日、クーデターで実権を掌握した「国家平和秩序評議会」のプラユット議長(陸軍司令官)が26日にテレビ演説し、暫定憲法の公布や立法議会の設置を含む今後の措置について説明すると伝えた。首相の任命と改革評議会の設置も併せて発表されるとの情報もある。
演説に先立って26日午前に、プラユット氏を評議会議長として了承するプミポン国王の勅令が出される予定という。 クーデターに伴い従来の憲法は既に廃止されており、暫定憲法には、新憲法制定までの評議会や立法、行政、司法の権限に関する規定が盛り込まれる。首相にはプラユット氏が自ら就くとみられる。
一方、評議会スポークスマンは25日、米政府がタイとの合同軍事演習中止などの措置を決めたことに関し、タイの民主主義は「外国と違う」と述べ、クーデターへの批判に反論した。(2014/05/25-23:19)
今回でなんと19回目の軍事クーデターだそうだ。
現在、報道機関も軍に抑えられ全て停止状態らしい。テレビから流れるのは静止画像とのんびりした唄のみ。
全てのテレビ局が・・・・
しばらくの間は、タイからの正規な情報は来なくなりそうだ。もちろん残るはインターネット情報だが、やがて中国のようなネット規制も始まるかもしれない。もっともネット情報はガセネタも多く混じるが。
まぁ、欧米の民主主義から見れば、許せないということになるが、タイ王国では、このようなほぼ無血に近い軍事クーダターは過去19回も起こってきて、どうしても行き詰まるとリセットして、やり直しをしましょうと。タイ王国は立憲君主制国家で、英国・日本と同じなのだが・・・・。
(画像上クリックで拡大)
赤色は立憲君主制国で、紫色は君主(国王)の権限が特に強い国。
国が2分しそうな極限状態になった時は、君主(国王)に従いもちろんそれを具体的に担保するのは軍部ということになる。日本は戦前まで旧憲法下では、天皇に統帥権があったが、タイ王国はそれに似ている。まぁ、しかし戦前の日本でも2・26事件のように一部軍部がクーデターをくわだてたが、天皇(君主)はそれを良としなかったし、軍部いちがんとなって起した訳ではない。
戦時中は一時日本軍に協力した経緯もあったが、日本の負けが込んでくると、終戦時には一転連合国側に変わり、そのお陰で1940年以降日本軍の援護で獲得した領地を返還することで、降伏や連合軍の占領を免れた。だから日本とタイ王国は心では結ばれているとも云える。
今回の経緯を観ると、亡命したタクシンの妹を首相にしてしまったことが最悪な結果を招いてしまった。地方の農民や都市部の貧民層にバラマキをする政策なら、圧倒的に人口の多い農民・貧困層の票を得ることが出来るので、とりあえず勝つことができるが、それに伴う負の財政や、活発な経済発展というのは遅滞するわけだ。
また、この国の伝統的流れの政党は、反タクシン派であり、デモの色分けでの黄色組だ。ちょうどバラマキ民主党の稚拙な政権運営と、このタクシン政権&妹インラック政権はなにか似ているような気がする。日本民主党でも政権中において、”政治とカネ”の問題や”在日を通じての媚特定アジア(中国・韓国・北朝鮮)政策問題”が全開だった。
このままで行けば、黄色組と赤組との内部分裂がさらに激しくなり、タクシン派に中国筋等が武器でも配れば、最悪第2のシリアになる恐れもあるわけで、しばらくの間、軍部が政治を運営するのも仕方がないのかもしれない。それはタイ軍は、タイ国の軍隊ではなく、国王の軍隊という位置づけにある。中国軍が国軍ではなく、中国共産党の人民解放軍であることと似ている。また、タクシンやインラック系一族は、根源的タイ人ではなく、華僑系の大儲組であることも、国王筋や軍部筋から嫌われる要因になっているとも聞く。まぁ、大儲けした在日帰化人が首相になったようなものかもしれない。孫正義が首相になったとか。
タイ軍が暫定立法機関を創設 司令官が表明 インラック前首相は解放2014.5.26
タイの地元メディアによると、クーデターを起こした同国のプラユット陸軍司令官は26日、記者会見し、政治や社会を改革するための組織と暫定的立法機関を創設する方針を表明した。司令官は各省の次官に大臣の職務を代行するよう命じたことも明らかにした。
タイの軍当局筋によると、軍関係施設に拘束されていたインラック前首相は25日夜、解放された。
司令官はクーデターで設置された「国家平和秩序評議会(NCPO)」の議長に就任、首相権限を委ねられた。これまで政治や社会改革の具体策を協議する機関や暫定的な議会などを設置する意向を示しており、詳細を説明して理解を求めるとみられる。
司令官は記者会見で、プミポン国王から正式にNCPO議長就任について承認を受けたことを明らかにした。司令官はクーデターを決行した22日、国王に全権掌握を報告する書簡を送っていた。(共同)
タイに進出した日本企業も大変だ。中国の反日行政に懲りて、中国からタイに企業を移して、やりやれと思っていたら、2011年にバンコクが大洪水で浸水、2013年にも規模は小さくてもも洪水で浸水。さらに黄色組と赤組とのデモ合戦。そして、今回のインラック政権の崩壊と軍部によるクーデター。現在戒厳令が敷かれていて、夜間外出禁止(出入国の外出は除く)、5人以上の集会禁止、メディアの公開禁止で、新たに憲法も刷新するかもしれないと。
こうしたタイ王国の一番の懸念は、
経済の停滞、社会的失敗、そして繰り返されたクーデターから抜け出す道を描く作業は、1つの時代、つまり64年続いたプミポン国王による統治が終わりを迎えようとしていることで、非常に複雑化している。
プミポン国王は息子のマハー・ワチラロンコン王子と異なり、人気が高く、尊敬されている。61歳になる王子は変わり者と見られている。ペットのプードルのフーフーのために開いたパーティーで、3番目の妻と裸でいる動画が流出したこともある。フーフーには空軍大将の称号が与えられている。
プミポン国王の時代が終わろうとしている今、王位継承を巡るさまざまな問題も、タイ政治の分極化の要因になっている。社会と軍、王宮の分裂を招く危険もある。
今年で87歳になるプミポン国王(ラーマ9世)の健康問題がかなり差し迫っている。後継者問題が複雑になりそうで、もしタクシン派の勢力が増大となれば、もしかして内乱が発生して、国王を日本のように象徴国王にするか、または大混乱の後に共和制にするか、まぁ、さまざまな思惑が入乱れているのが現在の混沌だろう。
これからどうなるのか解らないが、この軍部の暫定政権が数年続く可能性もありそうだ。それは、過去のクーデターによる暫定政権の実績から判断するのだが。
これを見ると、1年ぐらいの時もあれば、数年続く時もある。1977年から1991年までは、なんと14年間3代の軍部からの首相の時もあった。とりあえず、軍部は赤組派のデモや活動を徹底的に押さえ込むだろう。これが成功すれば、返って国内は静かに安定が続くかもしれない。
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