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2013年12月 5日 (木)

イスタンブル漫遊-5 トプカプ宮殿と国立考古学博物館とノラネコ。古代ヨーロッパと古代中近東の歴史は面白い。

世界的に有名な、スルタン・アフメット・ジャーミィ(ブルーモスク)と広場を挟んで、アヤソフィアがあるのだが、そのアヤソフィアの裏側に、トプカプ宮殿がある(前記事に地図を掲示)。トプ=大砲、カプ=門、サライ=宮殿。で、トプ・カプ・サライというわけだ。大昔、オイラ”トプカピ”という映画を見たことがある。改めて調べたら1964年公開の映画だった。ちょうど高校生のころ観た映画だった。

女盗賊エリザベスは、トルコ、イスタンブールのトプカピ宮殿博物館に所蔵されている宝剣の強盗計画を立てる。やがて現地入りした彼女は、イギリス人ガイドのシンプソンを運転手として雇うことに。だが彼は、ひょんなことから逆に警察のスパイとしてエリザベスたちに密着するハメになる。そして、その道の専門家である仲間たちも集結し、いよいよ厳重な防犯設備で守られた博物館へ忍び込むエリザベス一味だが…。

この場所は、眼下にマルマラ海とボスボラス海峡を望む小高い丘に築造された。1453年にコンスタンティノーブル(イスタンブル)を陥落させた、オスマン朝、メフメット2世が1460年からこの場所にこのトプカプ宮殿を築造させたそうで、15世紀半ばから、20世紀初頭に掛けての約400年間オスマン朝の支配者の居城だった。

この現在の名称イスタンブルについておさらいをすると、この地はローマ⇒ビサンツ帝国(ギリシャ正教)⇒オスマン朝まで合わせて122人の最高権力者が手にした街(地域)で、なんと、その間は1600年だ。日本で云えば、弥生時代から大正時代までということになる。それ以前の紀元前ギリシャ神話の時代まで含めればざっと2500年間以上だろう。

だから、地下鉄や、建築の基礎工事をすると、常に過去時代の遺跡が、泉のように出て来て、その度に工事がストップ、調査・発掘ということになり、倍の建設期間が掛かるとのこと。で、このイスタンブルの街中、ノラ猫、ノラ犬が沢山いる。これについては・・・・・・・

数年前、座敷猫として18年飼っていたネコ”ルディ”が死んだが、これエジプト系のネコで、アビシニアン種だった。エジプトも近いことだし、似たようなネコを探したのだが、皆無だった。日本でいうトラネコは多かった。このトラ猫はオイラが小学高年頃ウチで飼っていた

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テラス席で食事をしていると、「食べ物を寄こせニャン」と来る。また住民もペットフードを無差別に上げて、街中で飼っているようだ。さらに犬までも。犬は多分狂犬病やジフテリアの予防注射をしてあるのだろう、耳に何か標しが付いていた。

大昔、ローマのフォロー・ロマーノの遺跡に行ったが、この辺もノラネコが多かった。これは、歴史的にあの黒死病(ペスト)のトラウマがあって、

イギリスにおいてのペストについての記述

そもそも、ペストと云うのはドイツ語で、英語ではplagueと云うらしい。さらに分かり易くここでは、”The Black Death”と表示されていた。太古の時代から時々大発生していて、542年~543年東ローマ帝国でも大流行したことがあった。その後、 472年以降、西ヨーロッパから姿を消していたが、14世紀には全ヨーロッパにまたがるペストの大流行が発生した。当時、モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。

1347年10月(1346年とも)、中央アジアからイタリアのシチリア島のメッシーナに上陸した。ヨーロッパに運ばれた毛皮についていたノミが媒介したとされる。 1348年にはアルプス以北のヨーロッパにも伝わり、14世紀末まで3回の大流行と多くの小流行を繰り返し、猛威を振るった。 全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の三分の一から三分の二、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。

イギリス、特にロンドンでは1348年に大流行をした。最初はこの病原菌をもたらすのは、犬か猫だろうと。そこで一斉に犬・猫狩りをした。そしたら、原因はこれに感染したネズミとそれを伝達したノミだったので、ますます増え逆効果になってしまった。またこの恐怖により、集団ヒステリー化して魔女狩りも発生し、多くの女性が虐殺されたと云う有名な話もある。

その後、1952年~1953年に掛けても、ロンドンは大流行となった。また1664年から1665年に掛けては、ロンドン市民約7万人が死亡したとある。 ここに詳しく解説されたものがある。第 4 回「ペスト」-中世ヨーロッパを揺るがせた大災禍

この地も、ペストの流行に無縁だったわけでもなく、多くの人々が黒死病(ペスト)でしんだのだろう。ネズミが媒介していた。そのネズミを駆除する天敵は猫だったので、そのような意味でも、猫を大切にする。それがノラネコであってもということだろう。

話がわき道にそれてしまったが、このトプカプ宮殿の話に戻ると。見学料が25TLで、その他に、ハレムのエリアを見学すると別に料金が掛かる。今回オーディオガイドはやめた。ここはその担保はVisaカードではダメだと。パスポートなんて持って歩かないからね。

宝物館はカメラ禁止だったが、あの映画で出た宝刀(トプカプの短刀)は見ることが出来た。また有名な”スプーン屋のダイヤモンド”これ86カラットのダイヤを49個のダイヤで取り囲んだもの。

Kangtsaraトプカピの短刀とスプーン屋のダイヤ

Dscf2372_r ここから入っていく

Dscf2373_r トプカプ宮殿の模型の鳥瞰。ここ自体で一つの街が出来るくらい広い。

Dscf2374_r トプカプ宮殿の模型

Dscf2375_r 宝物館

Dscf2377_r 宝物館の入り口

Dscf2378_r 天井の装飾

Dscf2379_r 記念写真用のサービス

このトプカプ宮殿に隣接して、国立考古学博物館がある。見学料は10TL。ロンドンの大英博物館で似た様な遺跡をたっぷり観て来たので、あまり感動はなかったが、オスマン帝国以前の紀元前の歴史の遺物が展示されていた。

トルコを含めてなのだが、やはりアレキサンダー大王について取り上げなくてならない。アレキサンダー大王とは一般英語から来ていて、アレクサンドロス3世というのが正しい。在位が紀元前336~紀元前323年と云われている。アルゲアデス朝のマケドニア王であり、またエジプトのファラオを兼ねた人物だそうだ。アレクサンドロス3世

ギリシャを征服、今のトルコ地域を征服、ペルシャ、東方へ遠征して今のインド近くまで、さらに小アジア、エジプト、などなどを征服して、一時アレクサンドロス帝国を造った。

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これ以後マケドニア帝国となり、やがて分裂して崩壊していったが、この結果 ギリシャ文化とオリエント文化が融合した、ヘレニズム文化が根付いていったとのこと。 この博物館には、古代ギリシャ、ペルシャ、エジプト時代の主に小アジアで発掘されたものが展示されていた。

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Dscf2382_r シドンぼ王室墓地で発見された石棺やアレクサンドロス大宝の石棺と云われているもの、リキアの石棺など多くの石棺があった。

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エジプトのミイラの石棺

Dscf2384_r 石棺から出た人骨

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Dscf2386_r アナトリアのライオン像

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Dscf2388_r これはどのように飾ったのか、よく分からない。

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ちょうど閉館時刻1時間前だったので、ゆっくり観れなく、後日再見学のつもりがとうとうその時間が取れなかった。この中には、古代東方博物館もあり、中近東関係の出土品や遺物があるそうだったが、観れなかった。またこれらは、歴史と地方をよく頭に入れて観ないと勿体無い。

Dscf2391_r 後日紹介するガラダ塔について。

Dscf2392_r トルコなので分からないが、相当古い貨幣

Dscf2393_r このイスタンブルを中心にして見ると、このように太古の時代から、地中海-エーゲ海-マルマラ海-ボスボラス海峡-黒海と海を中心とした航路で行きかっていた。これはギリシャ神話の世界にも頻繁に出てくる。

さーて、まだまだ続きます。

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