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2013年12月22日 (日)

イスタンブル漫遊-9 最終回 2度目の一期一会はなかった。墓地の上をロープウェイが。歴史パノラマ博物館はスゴーイ!ボスボラス海峡横断地下鉄道を試し乗りしました。

先ほど、録画でTBSのサンデーモーニングのいつもの連中や、テレ朝の報道ステーションを観たのですが、河野洋平にしても寺島実朗にしても、いつもの煽り妄言で不愉快になってしまいました。なぜいつまでもこのような番組作りをするのか不思議ですね。もちろん言論の自由はあるにしても。

前記事でトルコでのガソリン代について、コメントがありまして、なんでも現在世界一高いそうです。1リットル当たり1TL(トルコリラ)約51円として約228円になります。こんなになったら、日本では大騒ぎでしょう。滞在したホテルの近くにあるタクシム広場では、それに反対する?過激なデモが最近あったようで、この広場に面したアタチュルク文化センターが、襲われてたらしく、内部は火を放たれ、カービン銃をもった警官が数名で警備をしていました。

Dscf2167_rこのタクシム広場付近には、高校や大学も集っていて、時折、過激なデモが起こるようです。特に今年6月に数日続いたデモは、このタクシム広場にあるゲジ公園を潰して、商業ビルを建てる計画に反対したものでした。           これ参照  死者まで出したそうです。また現大統領とエルドアン首相が、政教完全分離から、イスラム教色の強い政策に舵を切り始めたと批判が噴出しているそうで。例えば国民の女性は全員外出時はスカーフ(ベール)を被らなくていけない法案とか。まぁ、これは多くの反対で成案にはならなかったとか。

ちょうど同じ時期、時々紹介している、アキラ君とセバスチャンの世界一周の自転車旅が、とうとう中近東からこのイスタンブルに入り、ギリシャへ向かったと彼らのブログにありました。そして、多分10月か11月に、ブルーモスクを訪れたようです。そもそも始まりは・・・・

期一会の出会い。2013年5月19日 (日)

これで、知り合いました。スイスのジュネーブから彼ら、スペインの北部を通過して、南米ブレノスアイレス⇒ペルーのリマ、東京⇒熱海⇒西伊豆、⇒中部地方⇒大阪⇒松山、天津⇒北京⇒北中国⇒東アジア⇒イラン⇒トルコ⇒ギリシャと気が遠くなるほどの自転車旅を敢行している。で、ブログの記事では、トルコに至るまでとトルコ編 2013年11月15日作成があった。オイラより半月ぐらい前にイスタンブルを通過したようだ。残念!イスタンブルで2度目の一期一会はなかった。

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因みに、このブログのトップページです。AKIRAとSEBASTIEN自転車で地球を回る

ネットの自動翻訳で読んでください。過去記事は記事最下段(ちょっと表示が薄いので分かり難いですが)”Older Posts”をクリックしてください。過去記事に戻っていきます。 日本編2

_dsc6969_20130624000127484ウチのみかん貯蔵倉庫の前で記念写真。

そろそろ1年以上に渡った自転車での地球一周もギリシャからアルプス超えで、スイスのジュネーブに帰還です。良く無事で念願を果したものです。感服いたしました。

さて、他にイスタンブルで訪れたところは、定番としての、新市街(タクシム側)にある軍事博物館・ガラダ塔、また旧市街にある、グランド・バザール、エジプシャン・バザール、地下宮殿、ヴァレンス水道橋、オリエント急行の終着駅スィルケジ駅、イェニカブ埠頭とシーフード地域など等盛沢山でした。

そうそうベリーダンスショウも観ました。タクシム広場から歩いて行ける距離にある、スルタナス(Sultanas)と云う場所で、ドリンクのみで153TL(約7600円)。まぁ、話の種に行ったのですが。今一番売れっ子のダンサーだそうです(youtubeにもあり)。

Dscf2398_r 各テーブルにはお客の国籍に合わせて、このような歓迎でした。これオイラのテーブルです。トルコと日本の友好!

Dscf2414_r なかなか、美人でしたが、セクシーは一切感じませんでした。この他民族舞踊が多くあり、開催時間は約2時間でした。

Dscf2487_rここでの魚屋さんですが、どこでも日本のような氷漬けはなく、定期的に真水だか海水だかをホースで撒いていました。鮮度はこれで良いらしい。

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これが、かのオリエント急行の終着駅、スィルケジ駅内のレストランで、1890年と表示があった。そうアガサ・クリスティーの”オリエント急行殺人事件”の時の終着駅。小説では私立探偵ポアロは、ここからフランスのカレー行きのオリエント急行に乗ったわけだが、この列車内で事件が発生した。

また、金角湾沿いを奥の方まで歩いて、エユップ・スルタン・ジャーミィの近くの段々墓地の上を通るロープウェイで、チャイハーネという展望台に上がりました。

(画像上クリックで拡大)

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夕方に行き、またロープウェイのお客の行列で約30分待ち、頂上にあがったら、もう夜景となっていました。

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ちょうどトルコに相応しく、お月様が上がって来ました。

特に特筆すべきは、あまりまだ有名ではないが、旧市街西側のテオドシスの城壁跡の近くにある、歴史パノラマ博物館でした。

Dscf2437_r 歴史パノラマ博物館

ここでは、ギリシャ正教(正教会・東方諸教会)を主体としたビサンティン帝国は、それ以前にもカソリックの十字軍に何度も攻められてなんとか維持してきたが、そこにイスラム教のオスマン帝国が、この当時コンスタンチノーブル(イスタンブル)に一気の攻めまくって勝利してここを領地として、且つ首都とした戦史歴史を、大パノラマを使って展示してある。この陥落は1453年の4月~5月においてだった。

バック背景は実写絵だが、大砲やその他迫力ある武器のレプリカと合成しているので、あたかも観ている自分がこの現場にいるような錯覚をさせる。撮った写真の中から・・・

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Dscf2434_r 勝利者、オスマン帝国メフメト2世

詳しくは、ここ。コンスタンチノーブルの陥落

そのころ、この地を治めていたのは、ビサンティン帝国(東ローマ帝国)のコンスタンティノス11世。一方攻め入ったのはオスマン帝国のメフメト2世。コンスタンティノーブルを囲むように、頑丈な城壁が張り巡らされていたが、そこをついに突破した。音響効果もスゴーイ!

さらに特筆すべきは、海上からの攻撃だった。

Dscf2419_r このように周囲には頑丈な城壁、さらに金角湾にも入り口には・・・

Dscf2448_r このような大鎖で、オスマン帝国側の戦船が入ってこれないように防護していた。しかし、対岸のガラダ地区になんと木材でレールを造り、そこを滑らせて、多くの戦船を封鎖されていた金角湾に移動させた。ここは謂わば丘のようになっており、一旦登りそして降るという大変な作業をくしてのことだった。

ここには、この大パノラマだけでなく、様々な資料が見やすく展示され、もちろんオーディオ・ガイドで説明を受けた。この1453年の陥落で、この地域は完全にオスマン帝国の支配地なったという起点なのだ。

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今も所々残っている城壁も半端ではない。これを海側まで含めて周囲グルリと築造したわけだから凄い事業だっただろう。中国の万里の長城より堅固かもしれない。築城が完璧に完成するまでには、少なくとも数十年以上は掛かっただろう。いや、もしかして100年以上かもしれない。

これは軍事博物館の展示資料なのだが、

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1279年にはモンゴル帝国に、現在のトルコの東半分まで攻めこまれ、それ以前でも北方からの侵略者に常に狙われていたのが、この地政学的に良好な、この地域だったようだ。こんな怖そうな民族が馬に乗って攻め込まれた数々の歴史がある。日本なんてたった2回ぐらいの元寇に攻められたぐらいでしかない。大昔から日本人は海外からの侵略はほとんど受けていなかったとも云える。

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まだトルコなんていう国の概念がないころから、攻めたり攻められたりの連続の歴史なのだ。

そうそう、肝心のオスマン帝国(Ottoman Empire)について  オスマン帝国について

アナトリア(小アジア)の片隅に生まれた小君侯国から発展したイスラム王朝であるオスマン朝は、やがて東ローマ帝国などの東ヨーロッパキリスト教諸国、マムルーク朝などの西アジア・北アフリカのイスラム教諸国を征服して地中海世界の過半を覆い尽くす世界帝国たるオスマン帝国へと発展した。17世紀末頃から衰退してその領土は蚕食されて急速に縮小。挽回を図り対ロシア攻略を主目的に第一次世界大戦に参戦したが、敗戦により帝国は事実上解体。20世紀初頭についに最後まで残っていた領土アナトリアから新しく生まれ出たトルコ民族の国民国家、トルコ共和国に取って代わられた。

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前から、BS放送の”BBC地球伝説”という、英国BBCの制作した番組、十数本を録画してあるが、特に古代のヨーロッパ・地中海文明などが、ますます理解出来るようになり、大変面白い。イスタンブルのボスボラス海峡が絡む神話も、大変興味を覚える。吟遊詩人ホメーロスの”オデュッセイア”や”イーリアス”などの物語も身近なものとして触れられる。これ、高校時代には世界史を授業で勉強したのだが、かすかにその時の記憶が残っていたのか、素直に受け入れることが出来た。もっと世界史を当時勉強すれば良かったとも感じる。

さて最後に、今年10月29日に完成したボスボラス海峡横断の地下鉄道に、帰国当日乗った。トルコ発のフライトが夜だったので、その余裕で昼間アジア側に渡った。これ、日本の大成建設が大きく係わったとか。工事は、古代の遺跡続出で、その度に工事ストップの連続だったと。様々な遺跡の写真が構内に展示されていた。金貨も続出したとか。
画像上クリックで拡大
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スィルケジ駅はまだ完成していなく、イェニカブ駅まで行って乗り込んだ。赤い線がその軌道。
Dscf2615_r その軌道の案内のポスター。トルコご自慢の事業だった。もしイスタンブルにオリンピックが決まれば・・・・・という気持ちだっただろう。
Dscf2619_r イェニカブ駅の入り口。傍に旧の国鉄イェニカブ駅があるのだが、そこは廃線となり駅は閉鎖されていた。
Dscf2621_r 対岸アジア側にあるオスコダル(Oskodar)駅の入り口
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対岸にイスタンブルの景観を観る。右画像は”乙女の塔”説明は省略するが、悲しい物語を秘めた城塞だったところ。
そんなこんなのイスタンブル漫遊でした。なにかこのトルコ・イスタンブルは大変馴染みました。もしかしてオイラの血の中に、かすかにこの地域からのご先祖の血も混じっているのかもしれませんね(笑)。
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アタチュルク空港17:15発のトルコ空港で約11時間掛けて成田空港に着き、この漫遊の旅を終了しました。これでこのシリーズは終了します。
最後にトルコ軍事博物館で午後3時から行なわれている、トルコ軍隊行進曲をエピローグと致します。

あと時間があれば、オスマン帝国の興亡の歴史で最後はトルコ共和国に変わっていくドキュメンタリーです。イスタンブルの有名な場所が、ハレムが、最後は貧困に・・・

30分経過前後が有名なコンスタンチノーブル陥落の戦いシーンです。

Ottoman Empire Documentary

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