イギリス漫遊-7 広大なロンドンの公園を通って、大英博物館を二日掛けて見学しました。そしてそこで偶然日本の春画展を見ることに。
一般にロンドンのホテルの朝食では、イングリッシュ・スタイルか、コンチネンタル・スタイルかと聞かれた。飲み物とトーストはもちろん付くが、イングリッシュ・スタイルの場合、ベーコン・豚肉スライス焼、焼トマト、スクランブル・エッグなどが付き、たっぷり目で、残してしまうことがあった。コンチネンタル・スタイルは、それらは付かない。まぁ、たまにコンチネンタルにしてくれと頼んだ。フルーツは付かないので、雑貨屋で、ミカンやグレープを買って朝食後部屋で食べました。
消費税(VAT)20%のイギリスは、生鮮野菜・果物には掛かりませんから、それらは大変価格が安いです。
今日は、一日中、大英博物館(british museum)の見学をしようと、近くにある地下鉄”tottenham court road”駅を降り、歩いて向かいました。ホテルからは、パディントン駅よりマーブル・アーチ(marble arch)駅の方が連絡が良いので、近くのハイド・パーク(hyde park)を通って、そちらの地下鉄から乗り込むことにしました。一部であっても、このハイド・パークは広かった・・・・・・
ロンドンには、公園がいくつもあり、ハイド・パークは8ヶ所ある公園の一つで王立公園とのこと。隣接してケンジントン・ガーデンズがあり、それら合わせて2.5k㎡もあって、ニューヨークのセントラル・パークと、広さとしては同じくらいだそうだ。ちなみに新宿御苑は0.583k㎡と1/4しかない。公園の中には大きな池がある。
とにかく、これらの公園は都市の中としてはとてつもなく大きい。芝生の上は自由に歩いて良しで、もちろん遊歩道もあるが、自転車用道路、馬用の道まであったのが驚いた。閑散とした中に、ジョギングをやっている人、犬を連れている人、犬を放したら、どこかへ行ってしまい大声で犬の名前を叫んでいる人、馬を調教走行させている人。のどかだ。
ほかにも、リージェンツ・パーク、グリーン・パーク、セントジェームス・パークなど、広大な美しい公園がゴロゴロあります。さすがロンドンの余裕ですね。もちろん無料で入れますし、何ヶ所も出入り口があります。ロンドン内の建物は、ほとんどが4階以上が密集しています。その分これら広さの公園が確保できたのか?そもそも歴史的に強権でこれらの土地を確保したのか?どちらにしても、大都会のオアシスとなっている。
地下鉄の駅から上がって、歩道に出て地図を見ながら探したら、やっとあった。周囲がほかの建物に囲まれていて、意外とこの大英博物館は目立たなかった。
正面右側になんと日本の春画展が特別展示だった。10月3日~来年の1月5日までだと。ここは2日費やすつもりだったので、明日これをしっかり観てやろうと心に決めた。
左側の人が群がっているところが、オーディオ・ツアーガイドの機器を貸し出すコーナー。借り料金£5だが、これIDカードかパスポートが担保となる。入場無料なので改札がないので、結構タバコ吸いで出入りも多い。盗難防止の策と理解した。国立なので入場料が無料なのが嬉しい。さすが太っ腹で、ワシントン・DCの各博物館も同じで無料で太っ腹なのだ。
この間は大昔は野外広場だったのでは?そこにこのような明かり天井屋根を付けたような気がする。
コースは、ロゼッタ・ストーンの(Rosetta Stone)展示から始まる。
この石の発見によって、エジプト文字の解明が出来た。大変重要な碑文石なのだ。
縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。当初花崗岩または玄武岩と考えられたが、古代エジプト期の暗色の花崗閃緑岩でできた石柱であり、プトレマイオス5世のため紀元前196年にメンフィスで出された勅令が刻まれている。
この碑文は三つの文字、すなわち古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字で記述されている。細かい違いはあれど本質的には同一の文章が全部で三つの書記法で著されていると推測され、1822年、ジャン=フランソワ・シャンポリオンによって解読された。これによってロゼッタ・ストーンはエジプトのヒエログリフを理解する鍵となり、他のエジプト語の文書を続々と翻訳されることとなった。
これを見てから、音声ガイドに従って各所を見て歩く。まぁ、その数の豊富さでカメラ撮影も切りがないので、観ることを中心にして歩いた、歩いた。 まぁ、それでも気まぐれに写真も撮りましたが。
特に人気のあるのは、エジプトのミイラ棺や本物のミイラの展示と、ギリシャのパルテノンの破風妻壁にあった彫像群で、これ半分がここにあって、もう半分は本家のギリシャとのこと。ギリシャは返せと云っているそうだ。
古代ギリシャ⇒メソポタミア⇒ギリシャ⇒ローマの遺物など、これだけでまる1日掛かった。さすがに頭が朦朧としながら、また地下鉄を乗り継いでホテルに帰った。
次の日もここへやってきて、今度はまず日本の春画を観ようと。英国には、大量の日本の錦絵・版画が貯蔵されているらしく、これらの中から春画だけを整理して特別展として展示したらしい。日本は災害や空襲や大火事で、かなりが無くなってしまったが、こちらにはしっかり残っている。入り口付近に”朝日新聞”とあったが、なんだったのだろう。あの新聞社の意図って時々信用できないので、心に引っかかったが。
まさか、ロンドンで初めて春画の現物を観るとは思わなかった。パリのフランス国立図書館にもそうとうな数保管してあるらしいが非公開だったと。今回この大英博物館はいままで非公開だったのを初めて公開したそうだ。ここは有料で£7だった。
で、展示品はカメラOKだが、実はここに限って館内カメラ禁止だったがそのサインを見落として、惰性で撮っていたら、監視員に注意されそれ以後撮れなくなったが、それまで撮った分をここで公開する。
観覧者はジジババもいるし、老若男女列をなしていたが、食い入るように見つめているので、なかなか先に進まない。
何でも、この春画という性交の絵は、そもそも中国から入ってきたのを、日本で、より開花させたとか。そして、他国も歴史的には多くあったが、その局所を拡大して表現するようになったのは、日本だけで、これは世界でも類を見ないそうだ。
いろいろ館内には、表示看板があったが、そこに1254年”古今著聞集”古今著聞集(ここんちょもんじゅう)は鎌倉時代、13世紀前半の人、伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集というのがあって、橘成李著として
ふるき上手どものかきて候おそくづの、絵などを御覧も候へ、その物の寸法は分に過て大に書いて候事。いかでか実にはさは候べき。ありのままの寸法にかきて候はば、見所なき物に候。故に絵そらごととは申し事にて候。
とあった。もちろんその下に英訳文が添えてあった。要するになぜディフォルメしなくてはならなかったか?そのままの寸法で画いたら、見えなくなってしまうでしょ。と言い訳文なのだ。まぁ、鎌倉時代・室町時代・江戸時代・明治・大正・昭和と長い歴史があったのは初めて知った。これによって、日本人男性巨根説神話となったらしいが・・・・・
984年~6年と推定される大中臣能宣は、
「うしろめた、したのこころは、みをうちとけて、まかせたるかな」と詠んだ。
版画で普及したのは、江戸時代になってからで、それまでは肉筆で、錦絵の絢爛豪華だったようである。
庶民はこれら版画を一種のお守りとして飾ったそうで、もちろん若女性の性技術書にもしたそうだ。またパロディーとしても普及したそうだ。まぁ、現在の抜き用オナ本としても多いに活用をしたであろう。
その中で、川柳として
「馬鹿夫婦、春画を真似して、手をくじき」:1861年詠み人知らず
”A foolish couple copy the shunga spraining a wrist ”:Anon
以上の資料は、カメラ禁止となったので、表示看板から書き写したものです。オイラ、何か賢くなったような気になった。(笑)
このあと、大英博物館内で、アメリカ・メキシコ、アフリカ、東南アジア、中国・朝鮮・日本などの展示物を観た。日本コーナーでは、茶道の実演と説明をやっていた。まぁ、よくも大英帝国、ここまで集めたものだ。
大きい仕事が終ったので、あとはロンドン市内の他のミュージアム(博物館)・ギャラリー(美術館)・他の名所を覗くことを次の日からも続けた。
続く
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