イギリス漫遊-3。イギリスの湖水地方を訪ねました。のどかな、のどかに、そしてのんびりと。しかし天候はいまいちでした。
昨日は、母校の都立青山高校の時のオイラが常任代表幹事をしている恩師(故)の会(クラス会)に行って来ました。これ2年おきにやっています。場所は母校の前にある”アーリーズ・テラス”というレストラン。開会時間の数時間前に渋谷駅についたので、歩いて会場まで行くことにしました。駅から明治通りの一本東側の通り、ここは昔川だったところですが、一部川に蓋をしたような部分もあり、両側は歩道になっている。この通りは、洒落たアーケード街になっていて、デザインの良いお店が繋がっていました。そして表参道、青山通り。まだ帰ってきたばかりでロンドンのアーケード街の残影が頭にあるのですが、それと負けず劣らずの雰囲気を感じました。
今年は皆、最早65歳に達し、15人前後の集りですが、様々な近況をワイワイ、ガヤガヤ語り会いました。2次会では酔いで出来上がってしまったのもちらほら。時差ボケで睡眠不足だったオイラは、なんとか無事熱海に帰宅することが出来ました。
さて、イギリス漫遊記の続きです。
事前にエディンバラ駅からウィンダミア(windermere)駅まで(直線距離約180km)の鉄道チケットを、事前に日本でネット予約と決済をしておきました。米国もそうですが、この英国も時間帯によってその料金が大幅に違います。一律ではありません。早朝や夜間の時間帯は極端に安くなるようです。指定席を取ったのですが、これ日本のように指定席車両というのではなく、自由席と指定席が同じ車両で混在しています。で、その指定席には、座席の背にその旨と座席番号が表示されたカードが、差し込まれています。・・・・・・
向かい合った座席だったのですが、対面座席も夫婦で、それが夫がショーン・コネリーに顔がそっくり。よほどその件を言おうかと思いましたが、思いとどまりました。そのカードにはマンチェスター駅行きと表示されていました。きっと孫にでも会いに行くのかも。奥さんが新聞のパズル・クイズの空欄埋めに専念していました。
車窓からは、広大に広がる牧草地が続きます。そしてポツンポツンと広がる農家の集落。牧草には、ほとんど羊が飼われていて、たまに牛もいました。そろそろ長い激寒の季節の時期を向かえ、牧草を刈り取り、大きいロール状にしたものが、アッチコチに転がっていました。広大な平地が続きます。このエリアだけで、多分日本全土の平地を集めた分ぐらいあるでしょう。そこから見れば、イギリスは広大な平地を持つ国です。山々を貫くトンネルなんてのは一つもありませんでした。
本線のオクセンホルム・レイク・ディストリクト(oxenholme lake district)駅で降り、そこから単線で終点のウィンダミア駅に到着です。
途中乗り換えのオクセンホルム・レイク・ディストリクト(oxenholme lake district)駅
そこから、やはりネット予約してあるB&Bのホテルに下り坂を歩いて行きました。そして少し早いがチェックインをしてくれました。
このイギリスに於いては、B&Bまたはゲストハウスというジャンル分けがあります。これは謂わば日本の民宿のようなもので、少数の部屋数のホテルで、また一般に朝食付きとなります。B&Bとは、”Bed & Breakfast ”の略です。大抵家族経営が多いようで。しかしこれにも☆分けのランクがあり、高級なB&Bでは5☆まであります。予約したB&Bは4☆でした。
道中の街の中。伝統的建築様式で統一されています。この地方で豊富に採れる粘板岩・頁岩(けつがん)これをまとめて英語ではスレート(slate)と呼ぶが、この石は頁岩の頁とはページを意味して、本のページのように簡単に剥がれる性格があります。これを利用してこの石を割り、外と内から積み上げて躯体を造っていく。また屋根の葺き材にも使われる。雲り空で撮った写真なので、目立たない外壁の様に見えますが、実際は大変落ち着きのある景観を成しています。
謂わば日本の建築法規で云うと、”長屋”形式で、ひとつの棟に、B&Bがいくつも並んでいる。それぞれ専用のエントランスから入っていき、廊下の脇に朝食用の食堂とその奥に事務室兼調理場。階段を上がって宿泊室となる。寒い期間が長いので、やたらとドアで仕切られているが、これは大きいホテルでも同じで、夏もそれほど暑い日は続かないので、エアコン設備は皆無。その代わり大小のオイルヒーターのパネルが設置されている。北ヨーロッパの国々はほとんどこのスタイルが多い。
このウィンダミアでも北緯54度程度、これ北海道を通り越して、樺太の北の先端の緯度。エディンバラに至っては、北緯55度を超える。だから夏は日が極端に長く、冬は日が短い。それでも気候がそれほどでもないのは、南から来るメキシコ湾海流のお陰で、西岸海洋性気候となっていて、穏やかな気候とも云える。
この地域は平地の中に、それでも最高800m超えの山々が集中している。で、その中に、箱根の芦ノ湖のような大小の湖が集中している。
平地ばかりが多いイギリスでは、この山間気分を味わえる田舎地方はいったって人気のある観光地となっていて、”湖水地方”と呼ばれ、今から約15000年前の最終氷期の終了とともに形成された氷河の爪跡として、そこに雨水が溜まったものと考えられている。 ウィンダミアはその玄関となる街になっています。
到着日の午後は湖水巡りのクルーズをした。ウィンダミアの街から歩いて、湖岸の街ボウネス(bowness)まで行き、そこからクルーズ船に乗り込んだ。
数多くのクルーズヨットや動力クルーズ船が停泊していた。夏はこれらが操船に繰り出すことだろう。湖水には白鳥や鴨や他の水鳥が湖岸に上がって餌を求めていた。このあたりは芦ノ湖より湖としては高級感があった。
バスでホテルに帰り、あらかじめ飛び込み予約をした地中海料理の店、フランシーヌズという店で夕食。グラスワイン2入りで合計£60ってところ。レシートを貰いそびれたので、詳細は不明だが、エスカルゴやスモークサーモン、メインがラム料理、それとデザートなど食べ切れなかった。
次の日は、やはり事前予約しておいた、ツアーバス(小型バス)がホテルまで迎えに来て出発。この運転手がガイドを兼ねるのだが、終始喋りぱなし。英語がもっと理解出きればもっと面白かっただろうが。
このツアーバスで巡った。右画像の右側にいる男性が運転手兼ガイド役。
↓このようにスレート積石造で建築された建物が良い雰囲気と非日常空間を作っている。また羊や牛が逃げ出さないように放牧地の堺柵ほとんどに、やはりこのスレート石が利用されている。これはイギリスの放牧地の堺柵の一般となっている。
ストーン・サークル
今回のイギリス漫遊には、かの有名はストーン・ヘイジに行く予定は無かったが(カミさんと三女が行っているので)、以外や以外、このツアーでもっと小規模なのだが、ストーン・サークルを見ることが出来た。謎がいっぱい、ストーン・サークルもある湖水地方
この不可思議な建造物(?)「Castlerigg Stone Circle-キャッスルリグ・ストーンサークル」は、子供の身長と同じくらいの高さの石、48個が使われたストーン・サークルです。ストーン・サークルというと、「ストーン・ヘイジ」が有名ですが、こちらのストーン・サークルは、「ストーン・ヘイジ」の物より一回り小さいものの歴史は古く、ケルト民族の祭祀場として、紀元前3000年~4000年の間に作られたものだと言われています。特に、一年の中で夏至の日にそのパワーが最も発揮され、神聖な儀式が行われていたらしいです。
ツアーは続く
天気がよければ、はるか眼下に広がる湖水の景観がもっと素晴らしかっただろう。
ツアー道中、多分新婚旅行で来たのか、若いインド人カップルと親しくなり、カメラの撮りっこをした。大変美人の女性は物静かなのだが、男性はバスの中でいくつも質問をしたりで活発だった。なんでもインド南部のベンガロール(bangalore)という大きな都市から来たと。
カークストーン・パス(Kirkstone Pass)
ツアーで峠に差し掛かったところにある場所。前述の 粘板岩・頁岩(けつがん)であるスレート石(ヘッドストーンとも云う)の採掘及び加工場兼土産ハウスのあるところ。
スレート石の石積造の建物で、このスレート石の販売もしている。
大昔は露天堀だったようだが、今は自然空間を壊さないように、地下トンネルで採掘しているようだ。その採掘現場を見たかったのだが、見学は出来なかった。破片を2個ほど失敬した。薄くスライスしてサイズ調整をしたものが、屋根に使われるスレート瓦葺き仕上げとなる。ほとんどの屋根の仕上げ材には、これが使われている。
ツアーバスは人口5千人の湖水地方北部にある中心的な街に入った
ここから、アエラ・フォース(aira force)という滝を見に歩いて降りた。一般にに”滝”は”Waterfall”というが、”force”とはバイキング語で滝というらしい。そうそう大昔この地方全体がバイキングが移り住んでいたらしい。で、ガイド運転手に、バイキングとはどこのバイキングなのか?と聞いたら、デンマークからのが多かったと思うと。
調べると、おもにスカンジナビア半島から来た海賊侵略者を示すようで、800年から1050年の250年間、活発に活動していたようだ。海賊ばかりのイメージが強いが、・・・
ヴァイキングは海賊・交易・植民を繰り返す略奪経済を生業としていたのではなく、ノルウェーの考古学者であるヘイエルダールが述べたように、故地においては農民であり漁民であった。特に手工業に秀でており、職人としての技量は同時代においては世界最高のレベルであった。 また、ヴァイキングたちの収益の98%が交易によるものだったと言われている。この事実から、ヴァイキングたちにとっても航海の主たる目的は交易であり、略奪の方がむしろ例外的なものだったと考えられる。
話が横道に外れてしまったが、その滝です。高さが25mだそうで、これイギリスでは珍しいそうです。だから日本で華厳の滝 、那智の滝、伊豆の浄蓮の滝、富士の白糸の滝なぞ見たらきっとワンダフルだろう。
この地方の山々を表示したパネルがあった。
一番高い山が950m。ちなみに箱根の山が1,400m超えでまったく日本は山が豊富なのだ。
ツアーは、それぞれのお客を各ホテルまで送ってくれて終了した。
ヒルトップ(hill top)農場
次の日は移動日なのだが、午前中まだ観光が出来る余裕があり、チェックアウト後バゲッジをホテルに置かせてもらって、また湖水を渡って、女性大好きピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポーター(beatrix potter)が住んでいた家を見学に行った。
渡し船に乗ろうと乗り場にいたら、アジア人の団体が到着した。これから湖水周遊フェリーに乗るらしい。離れてみると韓国人なのか中国人なのか日本人なのか分からない。近寄ってお喋りを聞いたら日本人のツアー団体だった。
ガラガラだったが渡し船に乗りこんだ。
対岸に着いて、定期バスに乗り向かった。
この館への入館チケットは裏にあり、そこで購入してグルッと回ってエントランスから庭を見ながらこの館を見学します。詳しくはヒルトップ農場
若い頃、ビアトリクスは何度も避暑として湖水地方を訪れましたが、中でもウィンダミア近郊にあるニア・ソーリーという村が一番のお気に入りでした。 1905年、ビアトリクスは本の印税と叔母からの遺産を使って、「ヒルトップ」と呼ばれるニア・ソーリーにある湖水地方の伝統的な農場を購入します。彼女は、農地管理者のジョン・キャノンと家族がそのままそこで暮らしながら農地管理をし、豚や牛や羊、アヒルや雌鳥も飼い続けられるように、家を増築する手配をしました。 当時ビアトリクスはまだロンドンの家で両親とともに暮らしていましたが、なるべくこの新しい家を訪れるようにしました。農家を改築し、美しいイギリスのコテージ庭園を造りました。自分の絵の背景のモチーフとしても「ヒルトップ」を描いています。 ・・・・・・・
館内はカメラ禁止で画像はありませんが、当時の邸宅の様子が分かります。また彼女の暮らしぶりも伺えました。
道路と館を繋ぐ庭道。いわゆるイングリッシュ・ガーデンの様式の庭です。
この湖水地方は、ナショナル・トラストによって保存がされていて、特に・・・・
湖水地方を初めて訪れた16歳の時からビアトリクスの自然保護への関心が芽生えました。ハードウィック・ローンズリーというカリスマ的な若者である地元の牧師が説く、自然環境保護の必要性に、ビアトリクスは強い印象を受けました。後にローンズリーは、歴史的遺産と自然美の保護に貢献するナショナル・トラストの三人の創立者のひとりとなります。
ビアトリクスは生涯を通じてナショナル・トラストを支持しました。彼女はナショナル・トラストの原則に従って自分の土地を管理し、伝統的な建造物や農業方法を維持しました。美しい景観と田舎の文化の保全の必要性を理解していたためです。
観光客にも寄付や財産の寄進を呼びかけ表示がありました。オイラも£10ほど寄進しました。
さて、長くなりましたがイギリス湖水地方に関してはこれでオシマイです。
次は、ここからまた鉄道でウィンダミア駅からロンドンのユーストン駅に向かいました。
次回に続く
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