ルーピーは、まともな育ちをしていないのでは?女性の本来の役割を軽んじるマスゴミの風潮について物申す。
今回の中国に招待されての、ルーピー鳩山発言に関して、このブログで扱うこと自体、汚れるので、短文で扱うが、もうまさに”最後っ屁”というしかない。母体だった民主党議員からも見放され、母体の迷惑も顧みずといったところか。本音とすれば陰険な性格の塊としか言いようもない。結果としても、こんなルーピーをあのころ持て囃したマスゴミの低脳ぶり、一切マスゴミの反省の弁はない。まぁ、まさかここまでとは思わなかっただろうが。まさに以下の実証そのものじゃないか。多分彼は幼児期からの育てられ方に瑕疵があると思うが。
元総理大臣:ルーピー鳩山由紀夫は、パラノイアの疑いがありそうだ。それも夫婦揃ってなのかもしれない。2013年1月19日 (土)
あの媚中国の元外交官だった孫崎享の完全コピーの発言だ。質問した記者に「もっと、勉強をしないさい」という孫崎お得意のセリフまでコピーだよ。ちなみに、鳩山が今度立ち上げた組織”一般財団東アジア共同体研究所 世界友愛フォーラム ”http://www.eaci.or.jp/ って、理事長:鳩山由紀夫 、理事:孫崎享 、理事:橋本大二郎、 理事:高野孟・・・・。まぁ、オドロオドロしい豪華メンバーで笑っちゃうね。【ルピ夫】 鳩山システムの真実 孫崎と二人羽織 06/29 細野幹事長は、「鳩山さんはもう民主党に党籍のない人ですし、民主党の考えとは違います」だって。嘘つけ!鳩山由紀夫は「6月末まで会費を納めているので民主党員です」と自分で言っているじゃないか。とうとう除籍は出来なかったが本当だろう。
さて、本題。
このごろ思うことは、文明の発展の為せるワザなのか、だんだん本来人間のDNAに描かれた本性に逆らうことをやり始めているのではないかということ。・・・・・
よく、日曜日の7時半からNHKの番組”ダーウィンが来た!”を観るのだが。動物のオスとメス、そして子育て。まぁ、これは種族保存の本能からなのだが。動物が何時までも繰り返し生存出来ているのは、これがあるからに他ならない。もちろん他要因で絶滅した種もある。
優秀なオスは、出来るだけ多くメスを孕ませ(自分のDNAを拡散させ)、メスは命を掛けてもその子育てにいそしむ。その場合、そのオスは、安全にメスの子育てが出来るよう、これまた命を懸けても見守る。もちろん、オス・メス一対で子育ての動物もいるし、これについては肉食動物、草食動物、鳥類などで、様々な違いはある。また、メス主体の子育てに関して、オスがどの程度協力するのかも、種類によって大きく違うようである。まぁ、人間も本能的にはそれを受け継いでいるわけで。
さて、種族保存行為について、人間と他の動物との違いは?人間(ホモサピエンス)は進化の過程で、発情期が無くなり、年がら年中、子造りが出来る”発情が毎日”になり、これは人間という動物の、ある種のハンディーを克服するために進化したのだろうという説が有力だ。
また、人間は集団化するなかで、様々なパターンを経験する過程を通して、だんだん生涯一対の男女でいる方が、様々合理的であることを発見した。いつの頃からか、その方向になって来た。もちろん野生状態からの本能には、大きく逆らうことになるので、さまざま混在していて、権力者となると、肉食動物と同じように、男(オス)が、多くの女(メス)をというのも、こんにちでも続いている。
人間以外の動物のオスとメスが生涯一対でいるという事例はほとんどないそうだ。まぁ、この辺が人間と他の動物との大きな違いで、これに依って、精神の安定とか、ある種の平和が訪れ、さらに人間が進化していく条件ともなっているのかもしれない。しかしこれは漸進的で、行ったり、戻ったりをしながら進化してきているのだろうと思う。すぐや、やがて離婚をしてしまう夫婦も多いからね。
こんなことを長々連ねるのは、女性の社会進出と少子化は関係ないとの世論作りが盛んに行なわれていることに疑問を持つからだ。文明が限りなく進展して、ますます物欲、金銭欲が膨張する。そのためには、女性が子育て専念であった過去から離別して、子育てから開放されるべきだと、女性人権派は声を大きく要求をしまくる。
数ヶ月前だったか、NHKで時々やる討論会のテーマがそれだった。女性の仕事と子育てとの両立についてだった。確かに、共稼ぎでさらに女性が高給な仕事を持っていると、現在の日本のシステムでは限界がある。いや世界的にも同様だろう。半年や1年の子育て休暇は取れても、実際には想像以上に子育てには時間が掛かる。他の動物なら数ヶ月ぐらいで子供は独り立ちでき、子別れが始まり、母親は子供とは無関係となるようDNAに描き込まれている。そこには子別れの悲しさなぞ感じられない。
しかし、人間の場合には、最短でも3年から4年は掛かる。いやそれ以上だろう。またその間は、母親が人生で、母親としての子育ての幸せや満足感を得るのもこの期間だ。今、専門家のなかで、子供は、母親が3歳までは、愛情を注いだ子育てをしないと、その子は将来に渡ってなんらかの悪い影響を受けるだの、いやそんなことはないだのと論争にもなっている。
赤ん坊からやがてオムツが取れ、幼児となっても、夜泣きはするし、我がままになるし、母親はそれと悪戦苦闘する。不眠不休での子育てが続く。保育園の送り迎えや、突然くる病気の対処。しかしこれは自分のお腹を痛めた、自分のDNAを引き継いだ子供だから常識的に出来ることだし、母親としては一生で一番幸せな時なのだ(当人は気がつかないだろうが)。もちろん父親はそのサポートはするし、その為の食い扶持を稼ぐことに専念する。しかし何と言っても、母親のその時の子供に対する愛情は、父親とは比べ物にならないくらい大きい。父親はもちろん愛情があるにしても、恐らく義務の方が大きいのでは。
確かに、親がいなくても子供は育つし、成人にもなる。しかし、両親の愛情を得れないで大人になることは、なんらかのハンディーやトラウマを抱えることにもなるだろう。これはオイラが様々な人達と触れ合ってきた自分の経験からの感想なのだが。動物でも、生まれてすぐ母親から離されてしまった子供は、親になって子が出来ても、満足に子育てが出来ないそうだ。母親を主として子育てのなかで、人間と比べあまりにも短期間なのだが、しっかり将来大人になっての必要な数々が伝授されているということだろう。
で、前述のNHKの番組の話に戻るが、あーだ、こーだと1時間の女性の社会進出の討論が終わりに来たとき、出演していたデープスペクターが、「女性が子供を育て挙げる大きな仕事についてもう少し話をしてもらいたかった」のような意見を言っていた。
今の仕事と報酬に満足していて、この状態を維持するほうが、結婚より優先するとか、もっとカネを稼げる王子がやがて現れるとか、妄想を抱いている内に、40歳を超えてしまい、体も子供を生む適齢期を過ぎてしまった女性が、どんどん増えていることも少子化に拍車を掛けているようだ。また、リッチな生活を求める為に子供は1人で良いと。勝手に中国の一人っ子政策のようなことをやっている夫婦。一人っ子はどうしても我が儘気味になる。動物社会で云う、最初のキョウダイでの切磋琢磨の経験を得ることなしに大人になる。
オイラ3人の娘を授かり、3人とも大学を卒業させ、無事3人とも結婚して現在を迎えているが、もちろんそのためには莫大なカネが掛かった。特に東京の大学に行かせるのにはカネが掛かる。だからこそ懸命に仕事に打ち込んで、稼ぐことに専念した。3人の娘のためにと念仏を唱えながら。だから生甲斐を感じ頑張れたのかもしれない。同時にその専念から多くのものを得ることも出来た。つまり踏ん張ったことへの報酬だ。父親としても子供を通して多くのものを得ることが出来た。どんな仕事の成功より、どんな金銭報酬より凌ぐものだった。
若者の貧困について、やたらテレビで報道される。確かに今の時勢から見たら貧困だろう。しかし4、5十年前の東京でも、4畳半+1.5丈に流しと踏込み+1.5丈の押入れで、親子3人や4人で住んでいたなんてのは普通にあった。便所は共同で風呂は銭湯だ。もちろん今の若者にこれを勧めることは出来ないのは分かっているが。そこからなんとか這い出して、大工など職人で身を立てていったのを数多く知っている。また世界の紛争地域と比べれば、これでもまさに極楽でもある。
オイラの家の家系図を作ったのだが、父親側祖父母について。祖母は、1894年(明治27年)に生まれ20歳で結婚。そして20歳で長女を産み、それからなんと平均2年ごと子供を産んだ。最後の10人目が39歳の時だった。まぁ、「産めよ!増やせよ!」の時代でもあったからだろうが。夫である祖父が今の伊東駅など多くの駅舎を建築した大工の棟梁(いまで言う、建築会社)だったのだが、ほぼ専業主婦で子育てに人生を送り、胃がんで53歳で逝去した。祖父は仕事柄、駅舎建築のために静岡県内を飛び歩いていて、それが帰って来ると、また子供の種付けをしての繰り返しだったようだ。まぁ、マメだった。祖母は曾祖母と2人で子育てをした。もちろん兄弟姉妹も手伝ったことだろう。なんと偉大なる母親だったか。
もちろん、今の世の中では、住環境も違うし、避妊具もない時代。赤ん坊や子供の病死も多かった時代だった。この10人の内、女の子が4歳で、男の子が4日で死んでいる。小さなお墓も残っていた。あとは全員成人を軽く超えて、それなりの寿命だった。嘗て、柳澤 伯夫が、厚生労働大臣の時、少子化問題で「女性は子供を産む機械」と発言して、野党女性議員がまるで蜂の巣を突っつくかのように大騒ぎをした。女性の人権蔑視だと。
この辺から、女性は子供を生み育てることが、偉大な、重要な価値のある仕事だ、男性との分業のなかで、もっとも重要なものだという本来の価値の概念が、テーマとして無くなっていったのではないだろうか。柳澤は「子供を生むことは、女性しか出来ない偉大な作業だ。それを協力して支えるのが男性の役割だ」とでも言えば良かっただろうに。たしかに、実態としてはその通りでもある。
米国の連邦裁判所では、同性結婚は違法ではないとの判決が出たが、あまりにも結婚ということを歪ませる方向に行っている。なぜ結婚した夫婦に特別な法的配慮があるのか。それは子供を産み、夫婦で育て挙げることを法が手助けをして、極端に言えば、人間が絶滅危惧種にならないよう、未来を見つめているからだと思うが。
同性愛というのは、なぜかカナダや米国に多い。バンクバーのイングリッシュベイ近くの海岸公園に行くと、同性のカップルが数多くいる。同性同士の性交渉なんて想像もしたくないのだが、これが当然伴うわけで。そもそも男と女は同じ人間でも、性としての得て不得手が違う。凸と凹なのだ。それが助け合って偉大なる仕事、子育てをするから両者の永遠の命が代々続いて行く。ギリシャの詩人ホメーロスも言っていた。家族が一番大事だと。それが捜し求めていた永遠の自分の命だと。
”蓼食う虫も好き好き”だから、異性より同性に魅力を感じ、一緒に生活をするということに、反対する理由はないが、法的結婚の権利まで与えるということに呆れてしまう。なぜか白人社会に多いように感じる。2007年にトシ坊とハワイのワイキキビーチを歩いていたら、男同士の結婚式に出くわした。
ムームー姿の立会いが、「永遠の愛を!」とかやっていたが、 「マジかよ!」と口が半開きになってしまった。同性同士の友情はあっても、独占が当たり前の結婚なんてとても理解ができません。フランスでも、同性婚の法案が出たが、大反対に出会っている。だいたいオランド大統領自体が、正式法的結婚ではなく、1ランク下の法的事実婚なので、結婚についての認識がいい加減なのかもしれない。
今日の記事を纏めると、女性は(母親は)子供を産み、育て挙げることに誇りを持ち、それは人生での至上な仕事であり、至上な喜びなのだという自覚を呼び戻すと共に、男性(父親)は、畏怖を持ってそのことを理解して、一家を支えていくべきだという結論なのだ。
そして、やがて子育てから開放されたら、やはり男と女、得て不得手がある中で、双方助け合って残りの人生を仲良く送ること、これが至上の幸福な人生を送ることが出来たということだと思う。何時までも発情期なような、ケダモノごっこの愛ではないのだよ。
やがて人生の終わりを迎える頃、良き”つがい”同士であったことに感謝が出来るようになりたいものだ。
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コメント
男女の関係についての新しい研究によると、女性は親しい人の顔に似た男性の顔に引きつけられ、男性は過去に魅力的では無いとしていた女性でも次に見た時は評価する傾向にあるということが明らかになっています。研究者によると、これは男性がより多くの女性と性交を行うことで、子孫を残す確率を上げるように人が進化してきたことが理由とのこと。そして従来の「人はどのように友人やパートナーに引き寄せられるか」の研究では、人はよく知っている人の顔や平均的な大きさや形をした顔に親しみを感じるという研究結果が出ていましたが、最近の研究では、最初に感じる魅力が持続する期間が男女の間で大きく異なることが示唆されているのです。
http://gigazine.net/news/20130629-men-staring-at-women/
投稿: kayu加油 | 2013年6月30日 (日) 18時26分