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2013年4月22日 (月)

ボストンマラソン爆破魔、捕まりました。MOA美術館の紅白梅図と湯女図の秘話

ボストン・マラソン爆破テロ犯もあっけなく犯人が捕まりました。なにかこの兄弟について大変興味が湧きますね。特に19歳の弟はいたいけに顔が可愛い。この弟を兄が強引に犯行に引きずり込んだのだろう。街頭に置かれているモニターカメラの勝利ということ。日本でも当初は特に左系や人権派が、このカメラを街中随所に置くことに反対していましたが、今や世界の都市ではこのカメラ設置は大変効果ありと、当たり前となっているようで。

ただこの兄弟の犯行は、今から思えば大変稚拙で、当然カメラが設置されていたことは知っているはずなのに、その犯行としては、それを知らないかのような大胆・杜撰さだった。まだ背後関係があったのか、それとも全く2人だけの犯行だったのか、まったく分からない現在だ。弟は負傷して捕まったが、どの程度の症状なのか分からない。どうもイスラムのジハードとは結びつけるのには無理があるような気がするが。背後関係があるとすれば、この場合窓口は兄だろう。それが既に死んでいる。

偶然なのか、北朝鮮の金日成生誕101年は4月15日、時差があるにしてもこの日ボストンでは同じく4月15日。金豚Jrは「米国に制裁を喰らわす」なんて散々言っていたが。米国メディアは北朝鮮工作員の誘導があったのではとの見解を出したところもあった。すると早速、

朝鮮中央通信は20日、ボストン爆弾テロ事件に北朝鮮が関与した可能性を指摘した米メディアの報道について、「捏造(ねつぞう)記事」と反発する論評を伝えた。論評は「米国で発生したテロ行為の犯人として罵倒したことは敵対勢力の不純なたくらみだ」と批判した。

さて昨日は、熱海にあるMOA美術館の市民招待券をもらったので、孫を含めた家族で、行って来ました。・・・・・・・

ここは、もともと母体が世界救世教だったが、宗教色を排して純粋な美術館となっている。だからパンフレトにも、この世界救世教の名前もない。どこかの宗教のように強烈な布教活動もなく、熱海市民としては世界救世教とは良好な付き合い方をしている。

MOA美術館 (エムオーエーびじゅつかん、MOA Museum of Art) は、静岡県熱海市にある私立美術館である。

秘蔵作品もさることならが、建物がすばらしいし、手入れもよく行き届いている。オイラも外国の知人が熱海に来ると、ここへ案内する。またここの幹部の人達数人と知り合いなので、結構無理を頼んだりした。

昨日の特別招待日では、美術館以外、救世会館、水晶殿などを使って、生け花教室、お茶会や、ジャズのライブ、また美術館内部にある能楽堂では、1時間半に渡るコンサートがあった。市長も観客の1人として来ていた。

さて、この美術館で特化しているのは、尾形光琳で彼の当時の屋敷を模した光琳屋敷がある。そしてその中なのだが、一般の見学者は入れないが、急な階段を登って2階の和室がある。ここの和室の壁の色が、赤色なのだが、なんともいえない魅力的な赤色で、初めて見た時は感動した記憶があります。

江戸時代、琳派を大成した尾形光琳が自ら設計し、生活した晩年の京都における屋敷を史料に基づき復元したもの。復元設計早川正夫。

作品としては、やはり”紅白梅図屏風”だろう。特別公開日以外には模造品が置かれている。

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光琳が宗達に私淑し、その画蹟に啓発されながら、独自の画風を築き上げたことはよく知られている。水流を伴う紅梅・白梅の画題や二曲一双の左右隻に画材をおさめる構成のやり方がそれである。しかし、白梅の樹幹の大部分を画面外にかくし、紅梅は画面いっぱいに描いて左右に対照の妙をみせ、中央に水流をおいて末広がりの微妙な曲面をつくり上げた構図は、光琳の独創ということができよう。後に光琳梅として愛好される花弁を線描きしない梅花の描き方や蕾の配列、樹幹にみられるたらし込み、更にほかに類を見ない卓越した筆さばきをみせる水紋など、こうした優れた要素が結集して、画面に重厚なリズム感と洒落た装飾性を与えている。本屏風が光琳画業の集大成であるといわれる所以であろう。向かって右隻に「青々光琳」、左隻に「法橋光琳」と落款があり、それぞれ「方祝」の朱文円印が捺されている。光琳晩年の作と思われ、津軽家に伝来した。

この尾形光琳は、1658年に生まれ、1716年に58歳で没している。

京都の呉服商「雁金屋」の当主・尾形宗謙の次男として生まれた。光琳30歳の時、父宗謙が死去し、光琳の兄が家督を継いだ。その頃、雁金屋の経営は破綻していたが、生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送って、相続した莫大な財産を湯水のように使い果たし、弟の尾形乾山からも借金するようなありさまであった。40代になって画業に身を入れ始めたのもこうした経済的困窮が一因であった。大画面の装飾的な屏風絵から、水墨画まで作風は多彩だが、どの作品にも都市的な感覚と意匠があふれている。弟の乾山との合作による陶器の絵付け、手描き小袖の絵付け、漆工芸品の意匠に至るまで、幅広くその才能を発揮している。

先々破綻したとはいえ、大金持ちのお坊ちゃんだったわけで。落語の世界によく出てくる”若旦那”の世界のような。まぁ、しかしその財力を趣味を通して自己投資してその結果としてすばらしい作品を世に残したのだろう。

で、この絵には秘話がある。

この絵は晩年この光琳屋敷で描かれたとされているが、右の赤梅の木は若い男を表わす。誰が見ても元気な若者だと印象を受けるはずだ。左の白梅の木は老人を表す。枝が垂れ下がり、老いを感じさせる。そして真ん中にある川は、とある女性を表す。人によっては女性の子宮を感じさせるというのもある。

つまり、光琳は若い頃そりゃ女性にモテタだろう。まぁ、今の世の中と同じで、金持ちのお坊ちゃんだ。その後は屏風絵を描いての売れっ子絵師だ。女の取り合いでは絶対負けたことはなかっただろう。しかしある愛する女を男に盗られてしまった。それも自分よりはるかに若い男に。負けたのはこの自分の老いが原因だったと。そしてその寂しさを絵で表現したのではないかと。

今の時代は、男50歳代なんてケダモノの様に元気モリモリなのだが、この頃の50歳代は、もう老人の境地で、元気元気薬も無ければ、そのスタミナ食もない。女性獲得維持にはハンディーがありすぎる。まぁ、これは妄想秘話として記憶してください。

次に特設展示として”湯女図”を鑑賞することが出来た。

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近世に入り、庶民の風俗生活が主要な画題の一つになると、狩野派などの正統派の技法を身につけたと見られる絵師ばかりでなく、次第にその主流が町絵師の手に移り、描写形式も、祭礼などの群衆描写から少人数の群像、さらに一人立ちの人物像へと変化していく。本図は、京や江戸で元和・寛永年間(1615~44)に流行した湯屋で働く六人の湯女を描いている。湯女は、初めは客の垢を流し髪を洗うのを仕事としたが、次第に容色を飾り、客の酒食の相手をするようになった。衣裳文様の華麗な美しさは、この時代の風俗画の特徴で、図中向かって左から二人目の湯女の着物に、篆字風の「沐」の字の柄が見られるのも興味深い。また、顔の生き生きとした表情は写実的であり、中央にふところ手をして闊歩する遊女を中心に、五人の女性を配した構図も見事で、これら湯女たちの街を連れ立って歩く描写は、半世紀後の寛文期美人画に見られる優艶な理想化とは違い、生命力にあふれている。団家旧蔵。

この絵にも秘話があり、実はこの右側に本来もう一つの絵があって、それと一対となっていたのではないだろうかという話だ。その今は存在していない絵とは、二つの想像があって、一つは、この湯女たちをからかう町の若衆。もう一説は吉原遊郭女郎たち。つまりこれらが存在しない絵では、からかっている場面で、それに対して「なによ!」と居直っている場面をセットで絵に描いたのではないかと。展示会場にその説明らしきものがあった。

湯女は、売春は禁止だったが、夕方4時ごろ仕事が終わると、浴場での垢すりで知り合ったお客と酒食の相手をしたりで、そのあとそのお客との私娼の仕事もよくしたそうで。 だから吉原遊郭勤務の女郎のように美人はほとんどいない。あちらは選別された女性での管理売春だからね。まぁ、今で言えば、クラブが閉店したあと、ホステス達が一緒に歩いて、お客の待っている飲食屋に出向くようなものだろう。

多分、湯女は力仕事なので、体はがっしりしていて、けっして美人ではないが、「女としての誇りを持っているよ!」とこの絵は言いたげな印象を与える。江戸時代、あまりにこの方式が流行したので、1657年以降は売春は吉原遊郭のみと制限されたとか。

湯女は私娼でありながら吉原と同じく堂々と店をはって営業し、寛政の頃は元吉原と相対する勢力となった。その中で美しい湯女を抱え、勢力があったのは「丹前風呂」の湯女で、そのあまりののさばりように慶安4年に幕府によって湯女は制限され、後に禁止された。

禁止されると今度は”風呂女”と称して同じようなことを始めたとか、当時からこの手は逞しいですね。まぁ、戦後売春禁止法で規制されると、この湯女の再来がトルコ風呂(今はソープランドとかマッサジーパーラーの名称)と歴史的伝統となっている。

よくこの絵を見ていると、各女性、決して美人ではないが、大変可愛く見えてくるから不思議だ。誰か絵心のある人が、この幻の右にあるべき絵を創作してくれると面白いと思うのだが。

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