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2013年3月 3日 (日)

今日テレビ番組で熱海の特集をやっていた。たかが熱海、されど熱海、腐っても鯛なのだ。またまた蘇ります。

今日の新報道2001の番組後半に、特集で熱海の再生を取り上げていた。熱海の名物(みやげ)を作り発信するというものだった。熱海銀座通りにある土産物店佐藤油店では大昔から伊豆大島からの椿の実から油を精製して販売していたが、これ黒髪用の油であったが、もはや昔のような需要がない。そこでこれを食用油として、発信しようとか。椿油20%の混合油が天ぷらには一番良いとの結果だったとか。

また通りを挟んで、向かいのひものや釜鶴の商品紹介もしていた。釜鶴は、熱海というとよく紹介される干物やだ。両店主とも大昔、熱海青年会議所の仲間で、夜な夜な熱海の街で熱海活性化を話題に呑み歩いた仲間で懐かしい。特に釜鶴の店主コウ坊とは、彼が理事長時代、その副理事長として、熱海再開発構想の作成をしたものだった。もう25年前後も前の話だが。

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コウ坊とは、このごろほとんど会っていなく、昔は”熱海の玉三郎”と言われた時代もあったが、まだまだ歳より若く見えるね。オイラの2歳下とは思えない。当時本店裏手にある釜鶴ビルを設計させてもらった恩義はあるにしても、ここの干物は当たり外れがなく、イカの塩辛も独特の風味があって美味しい。最近は独自のアンチョビを開発したとか。

で、このマイ・タウン熱海だが・・・・・

東京圏から、新幹線を使ってたった1時間前後で着き、そこが海と山と温泉があるリゾート地域というのは全国でも珍しいと誇るものだ。しかし、世の移り変わりが激しくて、昔のように、団体宴会などや社用接待のお客層が激減し、最盛期年間530万人だった、この域の宿泊客数は260万人台と激減してしまった。

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この凋落傾向は30年以上前から予想されて来たもので、特に驚くものではない。

昭和25年(1950年)4月に熱海中心街の半分を全焼させるような大火に見舞われ、熱海はそこからの復興だった。熱海大火ー昭和25年 それでも当時駐留米軍兵の慰安所ともなっていて、米兵交えて賑わっていた。空襲は受けない変わりに過失の火災で全焼ということに。当時幼少だったオイラ、その頃、米兵さんにチョコレートを貰って、鬼畜米英から神!米兵に感情がからっと代わり、それ以来親米となっているのか?(笑)

まぁ、熱海は、箱根や伊豆東海岸沿いにある名所・観光地を回って夕方熱海に入り、ここで温泉に浸かって旅館食を楽しむというところで、いまでも大筋変わっていない。やがて、昭和39年(1964年)に東京オピンピックが開かれることになり、それに合わせた復興が始まった。当然中心街は防火地域の指定を受けて、鉄筋コンクリート造の中層階旅館が増えて行き、以前より、集客人数は大幅に増えて行った。東京オリンピックを見るためのお客も新幹線を利用して宿泊したようだ。昭和44年の最高宿泊客数というのはその後の余韻となる。

さらに、経済の高度成長により、貯めたお金をサイフにねじこんで、一発勝負で遊びに来たお客も多かった。会社の慰安旅行も盛んで、大広間の宴会場の広さを各旅館競い合った。また、昭和33年4月1日から施行された売春禁止法も、まだまだ建前のようなもので、中心街を流れる糸川沿いには、多くのポン引きがいて、付近にあるチョイの間部屋が活況を呈していた。

だから、旅館での食事の前の時間は多くの殿方たちが、その下見に街中に繰り出し、食後は、今度はその気で繰り出していた。また当時はブルーフィルム鑑賞会というのもあって、その方のポン引きも多かった。尚且つ、昔からの伝統の芸者遊びも盛大だったわけで。当時は全国の温泉街は多かれ少なかれこのような風俗・歓楽がもう一つのメインだった。

米兵達も熱海で休暇を取る楽しみはこれもあったわけで、米兵の相手をする女性は芸者とは言わずパンパンと陰で言われていた。オイラの同年で、それで生まれた友人がいた。ハーフでそれは愛くるしい顔をしていた。中学生時代友人だったが、その後成人になって父親のいる米国に迎えられたらしい。今どうなっているのか分からないが、もう一度会いたい友人の1人だ。

米軍の進駐が終了した昭和27年(1952年)以後は、この米兵の姿は熱海で見られなくなった。もっぱら、全国の団体慰安旅行、また新婚旅行で賑わった。また東京から近いので、会社の幹部クラスが、飲み屋のねーちゃんを誘って1泊3発なんてことも。

30年ぐらい前から、このままでは熱海は凋落を続けていくだろうとの予測は多くあったが、ここまで出来上がった熱海を変えるには、財政的に簡単に出来ることではなかった。既得権もしっかり出来上がっている。

1990年前後の不動産バブルは、一時大きく流れを変えた。これまで先細りになってきた旅館など観光業者に、銀行が無制限といえる金融融資をした。これが全国旅館業のグレードアップ化競争に火が着いた。接待客が増えると、客単価1人3~5万円を目指したグレード化に施設を改修していった。それでもカネが余ると他の投資にも回していった。結果は衆知の通りで、カネが回らなくなり、ほとんどの旅館は倒産状態に。これ熱海に限らず、全国ほとんどの温泉地もそうだった。

そもそも、そのほとんどが同族会社で、跡取り息子、跡取り娘の婿養子が代を引き継いだのだが、その能力が追いつかなかったということだろう。自分の実力だと錯覚して、浪費的なものに投資・出費を競い合っていた。30年前後前、当時青年会議所にいたり、OBとなっていたりの経営者のほとんどが、今や自分の旅館を潰したり、追い出されたりとまさに栄枯盛衰状態になっていった。皆一緒に呑み遊んだ仲間だった。

そんな中でも、熱海の旅館は着々と前の経営者から引継いで、今、これからの時代の客のニーズに合うような経営に切り替わってきている。以前の常識だった食事の部屋出しをやめて、客単価1人1万円前後か以下として、そのかわり食事は大広間でのビュッフェスタイル。または、部屋と施設提供で食事はオプションという戦略に変えてきた。数ヶ月先まで予約で一杯というところが多い。

昨年の12月に、娘家族と、たまには地元の旅館に泊まろうと、ホテル大野屋に行った。ここも伊東園グループに買収されてしまったが、1人一泊2食で9,800円だ。昔ここの高砂館の新築の設計に携わったので思い出深い。例の新ローマ風呂のあるところ。当時デジカメが無かったので、再度館内の写真を取り捲った。当時40歳代だった頃の自分を追憶した。

従業員の数が、半減していた。部屋出しをやめてしまったのと、極力他の人件費も合理化したのだろう。館内の寂しさを感じた。しかしこれでなければ、とてもこの価格では利潤は出ないのかも。畳部屋を利用して、4人・5人と詰められる日本の旅館形式の部屋と、グローバルスタンダードのホテルの部屋とはちょと違う。グローバルスタンダードでは基本は2人用で夕食事はなし(朝食付きは多いが)か同施設のレストランでご勝手にということに。

このごろは、ネットを通してのお客は相当増えてきて、やがてこれがメインになるだろう。もちろんネット運営会社ルートが多い。もちろん宿泊料金の何%かは、この運営会社のマージンとして支払うことになる。これは世界の潮流となっている。昔は旅行代理店会社がその役目で、今も一部はそうなのだが、聴いた話では昔はその宿泊費の30%前後がマージンだったと聞いている。これでは、価格を高くしなければやっていけなかっただろう。

そんな過去からの興味もあり、ここ数年世界の観光地をマメに回って、なぜ有名な観光地になったのかの秘訣を研究している。結論はまだ曖昧なのだが、共通しているのは、いかに非日常空間をつくれるかということに終始するだろう。またその街、その都市にいかに見たい、経験したいというものがあるかということ。例えば、あまり綺麗でなくても、イスラム文化の雑踏のようなところでも大変面白い。そこに住みたいとは思わないが。

ギリシャのミコノス島、スペインのミハスなどは、全て街中真っ白の塗装で統一している。大昔からのそれなりの理由があるにしても、それだけで非日常空間に入り込む。そしてリゾートとは単に保養地ではなく、場外の人々が何かの理由で繰り返し訪れるところ、その一つの理由には非日常空間を味わえる場所というのが条件だろう。非日常空間というのは、空間だけでなくそれを構成する、演じる地元の人々も含めるということになろう。

話は最初に戻るが熱海特集の番組で、街は閑散としていると風景を映していたが、寒桜満開とは言え、この2月の寒い通りに人は歩かない。まして時代が変わり、街の中を歩く必要があまりなくなって久しい。世界中の観光地、冬の寒い日には、人通りは少ないのは自然なことだよ。

ただ積極的に考えれば、まず熱海の街の中を、いかにして非日常空間にするかだろう。歩道上にある、どこにもあるような雨避け私設アーケード。これ本来違反構築物なのだが。これが街なか景観を日常的なダサイ印象を与えるし、鬱陶しさを感じさせる。また一部進んでいるが、電線の地中化。今や東京郊外でもこれは進んでいて、立ち遅れというところだ。

近年熱海は、旅館・ホテルと並んで、リゾートマンションが大変多くなり、そちらの滞在者も多くなってきている。またそこに住所を移して、住人となっている人々も増えている。それらの人々は、平均以上の裕福だった人々が多い。これらの人々を対象とした飲食店もまた増え始めていると聞く。ただ人に目印をつけることが出来ないので、その行動は市でも把握はしていないだろう。なんでもリゾートマンション族は、熱海に来る時、東京の高級食材店でメインの食材を手配してくるとか聞いている。そのへんのニーズがどのくらいなのか分からないがこれ、可能性のヒントの一つとして挙げられるだろう。

この狭いエリアで、まだまだ宿泊客人数が年間260万人前後というのは、誇れるものだろう。また知名度としては、たった4万人前後の人口でしかない熱海の地名を、全国ほとんど知らない人はいない。これだけでも財産だろう。しかし残念なのは、旧来からの街の指導的立場にいる人達が、”井の中の蛙”過ぎていて、”木を見て森を見ず”の政策で安住しすぎている気配が続いている。これを現状を打破して、大資本の投資を呼び込める人材があまりにも少ない。またすぐこれに反対運動が立ち上がる。お互い潰しあってしまう。

ある時はイベントゴロや開発ゴロに街が騙されてしまった結果になったり.があったが、沿革としては、それなりに努力はして来ているのだが。また民主主義を大前提とした街の改革というのは大変難しい。利害関係者も多い。

バブルが来たり、それが崩壊したり、好景気が続いたと思ったら、その後不景気になったり。訪れる客の価値観が変化したりで、様々対応しなければならない。しかし実は今、世界規模で有名な、栄えている観光地というのも、その沿革は同じということが調べてみると分かる。まぁ、数十年・数百年に渡る試行錯誤の沿革なのだが。ある時は漸進的に、ある時は爆発的に。民間の英知と市民の協力のもとに、これら観光地はこんにち栄えている。きっと熱海も数十年後には、今を越える観光地になるであろうし、なってほしい。

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コメント

先日熱海を仕事で訪れたのですが、あの一時有名になった、岡本倶楽部の本拠地、熱海岡本ホテルは新しい所有者に変わり、今解体中でしばらくは更地になるそうですね。

噂では、約4,000万の売買価格で、建物解体に1億近く掛かると聞きました。躯体が古いので、耐震上もたないとか聞きました。

投稿: | 2013年3月 4日 (月) 08時07分

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