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2013年3月26日 (火)

孫とジイジの東京見物2日間。孫の若さを吸い取ってやりました。

小2の孫が春休みで暇をもてあますので、どこかへ連れて行けと娘から依頼があり、以前から考えていた旅を週末してきました。それはバスで東京見物。東京には若い頃、過去15年住んでいて、その後は、東京へは目的地しか行かない。東京に住んでいる人も、いつでも行けると、意外に現在の東京の各地がどのような変化をしているのか知らない人は多い。つまり点としての東京は知っていても、線としての東京を見る機会はほとんどないわけで。

事前にネットで東京駅発の東京周遊バスを予約して、孫と2人で乗り込んだ。午前9時半発、午後6時東京駅着だった。熱海の孫の家に迎えにいったら、母親の娘が「ジイジとケンカしないで行ってきなさいよ!」だって。普通は「ジイジの言うことをしっかり聞きなさいよ!」だと思うのだが。

当初ネットで予約したのを”はとバス”と勘違いしていて、黄色いバスが並んでいるところへ行って、予約プリントを見せたのだが、それは別の会社のバスを予約したことが分かり、迷いながら、丸ビル横にバスが停車していたところに行った。まぁ、最初から躓いたのだが、・・・

東京駅も改修して、大変すばらしく変貌した。なんでも改装記念に、東京駅舎の壁面になんとかという、映像を音楽も伴って映し出したら、あまりにも見物人が多く集り過ぎて、危険な状態になってしまい、数夜の開催予定を1夜で切り上げたとか。

周遊バスのコースは、

東京駅 丸ビル前9:30発 ~国会議事堂(車窓)~東京タワー(下車観光:45分)~青山通り(車窓)~表参道(車窓)~代々木競技場(車窓)~NHK(車窓)~渋谷駅前スクランブル(車窓)~青山通り~六本木ヒルズ(車窓)~増上寺(車窓)~築地・自由昼食(下車時間:70分) ※築地休場日は「銀座」にて自由昼食となります。~歌舞伎座(車窓)~皇居(下車観光:30分)~旧日本銀行(車窓)~秋葉原(車窓)~上野駅前~仏壇通り~合羽橋商店街入口(車窓)~浅草(下車観光:50分)~アサヒビール本社(車窓)~東京スカイツリー(車窓)~両国国技館(車窓)~首都高~お台場(下車観光:45分)~月島(車窓)~佃大橋~東京駅 丸ビル前 18:00頃着

バスガイドさんの案内で、周遊が始まった。皇居や警視庁を車窓から眺め、東京タワーへ行った。今やスカイツリーが出来て、東京タワーは霞んでしまったようだが、逆に東京タワーから、スカイツリーを見ることができる。孫は昨年スカイツリーには行っている。オイラは、これが完成したころ、小6の時学校で行き、その後何かの折に、3回ぐらい行ったことがあった。

別料金を払って、最上階展望室に行った。ここで高さは250mとのこと。ここから眺めると、関東平野は広い。また超高層建物以外は地べたに押しつぶされたように建物が一面に広がっている。改めて調べると、この設計は内藤多仲と日建設計が行い、施行は竹中工務店が行なったそうだ。工事期間は1年半で、完成(竣工)が1958年の10月。

敷地面積の制約があるので、パリのエッフェル塔のように裾が広く、拡がっていないので、どうしても比べると見劣りしてしまう。またエッフェル塔は7年に1回色変えをするのだが、東京タワーはいつまでも基本的に色は変えていない。この色はインターナショナル・オレンジ色と言うらしい。これ錆止め塗料の下塗りの色と当初間違われ、最終的にどのような色になるのか期待をされたとか。

やはり、どんなに東京タワーを贔屓目で見ても、・・・・・・・・・・

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眼下に見える東京の鳥瞰はかなり変貌していた。

Dscf1187_r Dscf1190_r

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これを見ると、予測されている、東京直下型大地震が起こったら、相当な災害となるだろうが、ここまで街が出来上がってしまうと、どうにもならない。東京は関東ローム層で被われていて、数十メートル深くならないと岩盤には至らない。低層な建物は豆腐の上に建っているようなものだからね。オイラの生きている内に起こるかどうか。

大昔43年ぐらい前に、東京に大地震が起こる予測が発表されて、大騒ぎになったことがある。その時にオイラは新宿に住んでいたのだが、もし起これば死ぬかもしれないと覚悟を決めたものだった。

築地で回転寿司で昼食をとり、佃煮と焼鯖寿司を土産にして、浅草の浅草寺に寄り、まぁ、ここは一昨年にパパも一緒に3人で行ったので、孫も慣れている。

Dscf1213_r 相変わらず、外人の観光客、特に中国からの観光客で賑わっていた。

その後、道中目ぼしいところを回り、最後にお台場に行き、フジテレビのビルへ。まぁ、この付近の開発は進んでいて、高層ビルが以前より多くそびえていた。フジテレビは商魂逞しく、これら観光客用にカネを使わさせるブースが幾つもあった。

Hagtsenr 建物の上部にある球形部分が展望室になっているとかで、そこに行くエレベーターに係員に誘導されるが、入場券を買わせられるのでやめた。まぁ、とかくネット界ではこのフジテレビは評判がよくないようで、昨年は糾弾デモに囲まれたこともあった。孫は昨年一家でここに来ているらしい。

道中特に印象深かったのが、青山・原宿の表参道通り。高校時代と20歳代、なにかにつけてここに来たものだ。それ以前には駐留軍施設が今の代々木公園にあったころ、まぁ、ワシントンハイツと云われていたのだが、この辺一帯に米軍関係者がたむろしていて、他と違った雰囲気をもっていた。やがて米軍は撤退して、跡地が代々木公園となったわけだが。それも東京オリンピックに合わせて再開発がされた。

今はさらに再開発が進み、洒落た建物がますます増え、まるでパリのシャンゼリゼ通り縮小版のような雰囲気になって来ている。

そんなこんなで、周遊バスは東京駅に戻って解散。こんどは地下鉄で赤坂へ。赤坂にホテルを予約してあったので、そこで1泊。オイラは孫の鼻笛を聴きながら、孫はオイラのイビキを聴きながら朝を迎えた。

赤坂は、40年ほど前に赤坂プリンス旧館で結婚式を挙げたので、今どうなっているのか孫と一緒に訪ねた。

20060813182218懐かしい旧館。もともと旧李王邸として、韓国皇太子用に1930年に竣工した後、あれこれ変遷をして今の赤坂プリンスの所有になった。

Dscf1227_r_2 工事フェンスが建てられていて、中には入れなかったので、警備員に聞いたら、この旧館の方は、解体することはなく、再開するそうだ。画像左にある新館は、ここまで解体が進み、低くなってきてる。

Dscn4647テレビで知ってはいたが、丹下健三設計の赤坂プリンスホテル新館は、だるま倒しのように下部から壊し中。もうかなり低くなっている。1982年に竣工したのだが、たった31年で閉鎖解体だと。いろいろな理由が付けられているが、実際には、耐震診断で大地震に耐えられないことが判明したのだろうと思うよ。つまり構造計算が甘かったというところだろう。美しい建物だったのに。

その後、また地下鉄、総武線を乗りついで、両国にある江戸東京博物館に行った。ともかく孫は電車が大好きで、地下鉄路線地図を食い入るように見て、勉強している。博物館の方は、江戸・東京について歴史の勉強がないので、ジイジには面白いのだが、孫はただお付き合い程度。丁度葛飾北斎の富嶽三十六景の展示もあった。

Kangetsed彼は行年88歳と大変長生きだったらしい。さらに82歳のころにも自画像を病床のふとんの中で描いたとか。まさに画狂老人のような。パリの郊外、ジヴェルニーにあるモネのアトリエに行ったのだが、その中に残されたモネが参考とした浮世絵が膨大にあり、この北斎の作品も数々あった。有名なパリの画家達も当時、浮世絵からヒントを得ていたようだった。

博物館の隣が国技館。ここに相撲博物館というのがあり、当日はつい最近亡くなった大鵬関の特設展示をしていた。ウチの娘でさえ大鵬関は知らない、まして孫にとってはもっと知らない。「大昔、大変強かったお相撲さんがいたんだよ」としか説明が出来なかった。

Dscf1238_rとりあえず、相撲の四股を取らせ、パチリ。

その後、今度は上野に行こうと山手線で行った。何でも2002年に東京の染井が満開になった3月16日に続いて、今年はそれに準じる速さで満開だとか。オイラも上野の花見は初めてだった。テレビにはよく取材があるが。まず、上野の駅から階段を上がって、西郷さんの銅像まで行った。

Dscf1241_r ここは、有名なので何かにつけて思い出すだろう。

Dscf1242_r そして、花見の通りに。もうしっかり満開になっていて、アッチコッチにブルーシートを敷いて、飲み会、食事会が開かれていたが、シートを敷いた付近は、雑然としていて、アウトドアー派のオイラとすれば何か侘しさを感じた。まるでホームレスの様な。まぁ、夜になったら風景はいっぺんに変わるのかもしれないが。

上野で昼食を取り、また電車を乗り継いで、千駄ヶ谷駅に。孫お目当てのアイススケートだ。ここは、オイラ高校時代の通学路だったので、この”明治神宮外苑アイススケート場”にはよく通ったものだった。孫も数日後アイススケート教室に1泊2日で行く予定なので、結構真剣だった。

Chronology_img43 ここで約3時間スケートの練習。スケートについては、昔はオイラもいろいろワザがあったのだが、今や体はただ滑るのみしか受け付けなかった。孫はまだまだ滑りたかったようだが、帰りの時間のこともあり、4時には切り上げた。孫は、前回より手すりから離れて、とにかく滑れるようになって、かなり向上したようだ。と言っても、数えきれないほど尻餅をついていたが。

孫との旅で、足も体も痛くなったが、楽しい2日間でした。東京に住んでいても、たまには線としての東京見物って良いものですね。どうですかご同輩、孫を連れて東京見物なぞ。孫の若さを吸い取りましょう。

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