学校内の体罰で生徒の自殺が発生した。地域コミュニティーの曖昧さ。
またまた、生徒の自殺が発生した。
大阪の高校で、生徒の自殺があったとか。
バスケ部主将体罰自殺、大阪府警が捜査へ 顧問への悲痛な“遺書”…2013.01.09
例によって、ワイドショーは連日長時間掛けて取り上げている。この教師(この場合クラブ活動の顧問ということなのだが)なんとか試合で勝たせるようにスパルタ指導を行なっていたようだ。たまたま見た番組で、例によって吉永みち子などはピイピイ「とんでもないことだ、教師からの体罰は禁止されている、刑事事件として扱わなくて、いつまでもこのようなことはなくならない」などと。それに対してスポーツ側から、長島茂雄の息子の一茂は、ある程度の体罰は必要なのではないかと。
まぁ、数十回ぶん殴っていたなんて報道もあり、また当生徒の対応がどうだったのかも分からない現在の報道の材料では判断できない。当生徒だけではなく、他のクラブ員にも体罰が連ちゃんだったともある。米国なら、家から銃を持ってきて、その教師に反撃かも。問題は”殴る”という行為で、”ひっぱたく”ならどうだったのだろう。それも、シリッペタを引っ叩くなら。とっくにその次元を超えていたのだろう。
”叱る”と”怒る”の使い分けが、この教師はだんだん出来なくなっていったのかもしれない。オイラ、娘への指導として「子供は叱ることは必要だが、子供に怒ってはいけない」と。怒りたくなっても、常に叱るの状態を保つように対応しろと。この教師は”叱る”から、だんだん”怒る”に感情が上昇していったのだろう。体罰は叱る範囲では許されていいと思うが、その垣根が難しいのも確かだ。
地域コミュニティーの崩壊?
よく、テレビの解説や討論会に、孤独死、自殺、子育て困難に依る少子化、鬱病の増加、・・・・・などなど、・・・・・・・
何でもこの”地域コミュニティーの崩壊”、”村社会の崩壊”、”下町の人情社会の崩壊”・・・・などと、まるで「昔は素晴らしいシステムがあったのに、今は崩壊してしまい、それが原因でこんにちの様々な問題が噴出している」と、教授風、専門家風などなどが毎回ノタマッテいるが。
で、「ですから、今の諸問題を解決する手段として、この地域コミュニティーを復活させてー、・・・・・・・・・・・」など、それらの人たちは訳知り顔でノタマッテいるのを多く目にする。これらの人たちはマボロシでも見ているのじゃないかとよく思う。
オイラ、もう還暦をとうに過ぎているので、少なくてもこれらの人たちより、昔の地域については、空気として、より知っているつもりだ。またそれ以前のことは、昔年上の人たちから聞いてもいた。
例えば、戦前からあった隣組制度、隣保制度などの名残りは確かにオイラが幼少期のころまで惰性で続いていたように思う。隣保制度は、江戸時代の五人組制度から、いやそれ以前の豊臣秀吉のころからだとも云われている。隣同士協力し合うというのもあれば、隣同士監視し合うという目的もあった。
確かに、その地域の結びつきは現在より強かったが、子沢山の家に地域住民が子育てに協力するなんてことはほとんどなく、また動けなくなった孤独老人を協力して介護するなんてこともなかった。一軒一軒の自活が基本で、もちろん冠婚葬祭に関しては、隣組を中心に協力し合う団結はあったが、それ以上の戸別介入というのは、控えられていた。今で云えば、必要以上のプライバシーに踏み込まないことだった。基本は”自助”で”共助””公助”ではない。
もちろん、当時は各家々は小さかったから、孤独な老人の1人住まいの家があって、「この頃外であまり見ないね」ってことになれば、その家を伺うなんてことはあっただろう。しかし当時だって、孤独死は沢山いたし、今発生している問題もそれほど大きく変わらなかった。但し、今の人口は当時の2倍に増え、マスメディアの発達でそれら問題を、多くが知るようになったと云う事ではないだろうか。
しいて言えば、子沢山の家族が多く、兄、姉が弟、妹達の子守役になって、子育てを補助するのが当たり前だった。またそこには、祖母、祖父も同居が多く、その一家、一族が結束して、協力しあっていたのが現実なのだろう。この点は、日本に限らず全世界的なもので、どの国の人々も、一家⇒一族で少なくても交流し協力合うわけだ。
ただ、日本も当時と比べれば、格段に豊かになり、また家族制度も法律で無くなり、戸別な生活を求めることが良いということに風潮が変わって来た。また、昔は一族がその地域周辺に散らばっていたのが、様々な都合でお互い遠く離れることが多くなった。つまり日常的なことで、家族、一族が協力し合うことが難しくなった。今問題になっていることは、どうにもならない時の流れなのだと考える。
それでも、近所でこんなことがあった。嫁の父親が1人残って生活をしている。場所は遠く離れたところだ。旦那も1人残った母親の面倒を見なければならない。そして、嫁の父親が重病になり、嫁はその遠く離れた実家で父親の面倒に行った。その間5年間、その夫婦は別居状態だった。やがて、嫁の父親は逝去して、その家を処分してやっと旦那の元に帰ることが出来た。基本はやはり”自助”なのだ。
昨年、年賀状をやり取りしていた知人から10通ぐらい喪中挨拶が来た。年齢を見るとほとんどが90歳以上の超高齢だった。そこに至るまで様々な人間ドラマがあっただろう。その時代の流れを知らない、自称専門家が思いつきの次元のような発言を聞いていると、げんなりすることが多いです。
「昔は地域コミュニティーがしっかりしていて、このような悲劇は起こらなかった」と云うのは、嘘か、幻だと。そのような言論をよく吐く知識人と云われる人は、インチキ専門家であろう。
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