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2013年1月22日 (火)

本音の中での延命治療、尊厳死について国民的合意がそろそろ必要になってきたのではなかろうか?

先日の日曜日の夜、町内会のウチの組の新年会があった。他の組では新年会をやらないのも多いそうだが、ウチの組はこれでも纏まっている方なのか、そうとう古くから行なっている。しかし、長期の不景気の影響なのか、今年は、男性15名のみで、奥さん方の参加は皆無だった。景気の良かった時代には、夫婦で20組ぐらいの盛況な時もあった。

よく”猫の寄り合い”というのがあるが、放し飼いの猫たちは、夕方一定の時間、場所に集って、よーく双方見合って、そのエリアの猫をお互い確認し合うそうだ。言葉は喋れないだろうから、ただうずくまって見合うだけ。で、ある時間が過ぎると解散するとか。町内会から小別れした”組”の単位は、この”猫の寄り合い”のエリアと規模が似ている。これ猫の社会には必要なことらしいと同じく、人間の近所社会にも必要なことだと思って、オイラも毎年参加している次第。

で、料理や酒を楽しみながら、様々な情報が飛び交うわけだが。葬祭のついて組の人は協力し合うので少し関心は、長老となっているそれぞれの親の健康状態。オイラのところは10年以上前に他界したから問題がない。医学や社会制度の発達で、どんどん寿命が伸びている。昨年に喪中葉書を10通貰ったが、全部が親の他界でそれも享年90歳以上だった。これ、全て、昨日まで元気で、今日ポックリなんては皆無であろうから、十数年、数年続いた闘病の結果で、が多いと思う。その大変さは当事者しか分からない。

今回もその苦労話を聞いたのだが・・・・・・・・

数年前に、嫁さんの、1人住まいの父親が重病になり、遠く離れた実家にその面倒を見るために帰った。旦那の家にも母親がいて、かなりの年齢となっている。やはり嫁さんは、実家の父親の面倒を見ないわけにはいけない。それで、その夫婦はいわば別居状態で生活をしなければならなくなった。

その件を詳しく知らない近所住民は、「離婚をしたのかもしれない」なんて噂が立ったこともある。オイラは幼友達なので、直接聞いたらそのような理由だった。しかしその間は、彼は母親の面倒と、食事・洗濯などの家事、そして本業にと、忙しい毎日が続いていた。あるとき、オイラが彼に「大変だね・・・」と云ったら、彼は笑いながら「川の傍を一緒に歩いていて、一瞬、後ろから蹴っ飛ばして、川に落としたくなったよー」と。もちろん明るい性格の彼ならではの、冗談話としてなのだが。

そんな生活が数年続いて、やがて嫁さんの親も他界したのだろう、昨年には戻ってきて、元の夫婦一緒の生活に戻ったのだが、今度は彼の母親に問題が起こった。腸捻転を突然起こし、それが悪化した。いわゆる延命処置としての”胃ろう”造設処置ということになってしまった。

胃瘻(胃ろう)

食物や飲料や医薬品などの経口摂取が不可能または困難な患者に対し、人為的に皮膚と胃に瘻孔作成、チューブ留置し、食物や水分や医薬品を流入させ投与するための処置である

これ、延命処置としては、比較的新しい。1980年代に米国で開発されたとか。

彼に「それじゃあ、お母さん入院しているの?」と聞いたら、今は自宅で行なっているとか。なんでも、保護者がその方法の講習を受ければ、病院でなく自宅で療養をすることが出来るそうだ。もちろん、自宅での処置をするその夫婦にとっての負担は想像を絶すると思う。しかしこの場合、”胃ろう”造設がなければ、完璧に死を迎えることになる。

さて、日本人の平均寿命は世界でもトップクラスなのだが、これは単に食生活の内容がいいとかということではなく、国民皆保険制度により、より低負担で高度な医療が受けられ、また救急搬送など社会的インフラの整備が進んだからだろう。皆保険制度がない米国は、人口の約4000万人が無保険だそうだ。だからそのような人達はほとんどが小さな病気は、市販の薬で対処するそうだ。大きな病気でもそうするしかないとのこと。

また医療費も日本の実態より2・3倍高くなる。オイラの高校時代の仲間が、米国で永住権を取って数十年生活しているが、聞くと民間の医療保険で、内容的にも全ての医療が対象ではなく、限定されているとか。もちろん納める保険料金の差なのだが。また病状によっては、どの病院でもということではなく、その保険会社と提携している病院しか適用されないらしい。さらに、治療を受けても見解の差なのか、保険金が下りないこともあり、それ専門の弁護士に頼まざるを得なくなる場合もあるとか。

だから、一般人は病気になって、途方もない治療費、例えば数千万円を負担せざるを得なくなる場合もあり、破産宣告へという事態も起こりかねない。ましてその後延命治療まで至ると少なくても数百万円、または数千万円、数億円なんて金額になるらしい。だからその場合には、その後の延命治療は断わるケースは一般的だそうだ。静かに自然の死を迎えることにする。

日本の医療の方針はとにかく、1日でも長く生きられるよう、これが医者の義務となっている。これを放棄すると医療法で罰せられる。ときには殺人罪まである。皆保険によって、75歳以上は9割、それ以下は7割の金額が保険機構から支払われるので、患者側にとっては大変負担が少ない。病院側にとっても大きな”売上げ”になるので、積極的な医療を施すことになる。しかしその結果、医療保険の負担支払いが伸び続け、毎年兆円の単位で医療保険の支払いが圧し掛かってきている。そろそろ限度に近づいてきていることが大問題となっている。

その延長線上に、この延命治療の問題も乗っている。人間の自然の摂理たる死について、人工的にそれを破ることになる延命治療。日本人の死生観が問われているのだが。しかし今や日本でも風潮として、本人が積極的延命治療を拒否する文書なりで医者側に宣言すれば、家族とも相談して、アウンの呼吸で無理やり延命治療を続けることが少なくなってきているらしい。どのようにやるのか分からないが、生命維持装置を機能させなくしてしまえば、その患者は死を迎えることになる。

実は、十数年前、肺せんガンがもとで手術。その後再発して数年で死んだ父親なのだが。外泊で自宅療養中に3月1日に家族で温泉旅館に泊まり、そこで風邪を貰って、だんだん酷くなり、入院して、痰を取るため喉に穴あけなどの処置したのだが、21日の早朝、病院から死亡の電話知らせが来た。前日、妹夫婦とオイラも見舞いに行った。頭ははっきりしていて、オイラ幼少の時以来だったが、父親の手を握り占めた。大昔の懐かしい感触だった。喉の穴あけについて聞いたら「どっちもどっちだなー」と笑いながら言った。そしてオイラ達が帰るとき「明日はいつ来る?」と聞いたので、「昼前には来るよ」と答えた。そしたら、笑みを浮かべて、手を振った。こんなことは初めてだった。何か、父は自分の死を知っていたのではなかったか?と今でも思っている。そして、自分の奥さんを同じ肺せんガンで亡くした担当医ともアウンの呼吸が出来ていたのではないかと。戦時中、中野学校二俣分校出の憲兵だった父は、いわば尊厳死を望んだのではなかったか?と。

オランダなどは、尊厳死や本人の希望によって、積極的尊厳死まで法律で認めらている。一般的に、日本と同じように皆保険で、ほとんど患者側には負担の掛からない欧州やカナダでは、積極的な延命治療は行なわれなくなってきているとか。これらの国民は医療費負担は無料が多い。反面その財政負担も大きいので、そこからの考え方もあるのだろう。また、ただ、ただ長生きだけが重要なのだという価値観も国民性として違うのかもしれない。いや、日本人の死生観というのも、これら諸条件によってここ数十年に創られたものではないかとも思う。長生きは至上なものだというマスゴミの煽りも影響したのでは。

西部 邁がよく言う、「人間はいつまで生きたのではなく、いかに生きたのかが大事なことだ」というセリフはその通りだと思う。

21日の首相官邸で開かれた社会保障制度改革会議での麻生太郎副総理兼財務相の発言が大騒ぎになっている。

延命治療「死にません、なかなか」=麻生副総理が発言、すぐに撤回 時事通信 1月21日(月)13時51分配信

終末期医療に関連し「チューブの人間だって、私は遺書を書いて『そういう必要はない。さっさと死ぬから』と手渡しているが、そういうことができないと死にませんもんね、なかなか」と述べた。延命治療の否定とも受け取られかねない発言で、麻生氏はこの後コメントを発表し、「適当でない面もあった」と撤回した。  

麻生氏は、同会議のメンバーである有識者が年金や医療に関する考えを述べた後、発言したもので「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金で(終末期医療を)やってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」とも語った。

多分、野党や左系メディアは待っていましたとばかり、これを攻撃の材料とするかもしれないが、彼は公の場とは云え、自分の死に対する考え方を述べたのであって、このような意見こそ本音の考えだろう。このような本音を今まで誰も重要な会議の場で言わなかったことこそ責められることだと思うが。まぁ、彼特有のベランメエ口調で、品格に欠けるのかもしれないが。

オイラも、いつまでも延命治療で生かされるのは真っ平ご免だ。このような状態で、数年、十数年生かせられて一体何になる。どんどん醜い姿のオイラになっていくのに。それに金銭負担も数百万円以上の世界だ。オイラの友人の母親の場合、出費は約600万円近く掛かったそうだ。

延命治療の問題、尊厳死の問題はもっと現実的な次元で議論を深め、施政に繁栄させるべきだろう。これ病院の経営問題まで絡むだろうが、必要以上の延命処置はすべきではないという国民的合意までもって行きたいものだ。もちろん理由があって延命治療が必要な家族もいるだろうから、十数年でも延命治療中が悪いわけではない。要は、両方当たり前に受取れるようになれる風潮が、また合意が必要だろう。

世界に誇る日本の平均寿命トップクラスというのも、内情的にはそれほど誇るほどのことだろうか?

一粒で二度おいしいオイラのブログ:今日の画像

 

世界の平均寿命(2005年度)

Kanjers

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2000年にWHO(世界保健機構)から『健康寿命』という新しい指標が発表された。 健康で自立して生活できる年数、つまり『平均寿命』から『要介護年数』を差し引いた寿命のことです。 この2000年時、日本人は“健康寿命は74.5年、平均寿命は80.9年”でともに堂々の世界一でした。

Hajtedens

長寿社会にますますなって来ている日本。2013年は上グラフはどのようになるのか。

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コメント

胃瘻などの延命治療は、自然の摂理に反する。高齢で食べられなくなれば死ぬのが普通。自分の延命ばかり望む人は、他人の迷惑(家族の負担)を考えないし、社会的コストへの感謝がないことが多そうだ。それは”本人の我儘”であるから、延命は自己負担でどうぞご自由にというのが、本来あるべき議論である。神に帰れるかどうかというような人間本来の精神的高尚さをなくした人間に無制限に富を浪費していては国が成り立たないだろう。

投稿: 通行人 | 2013年1月22日 (火) 17時43分

世界の平均寿命を見ると面白い。
2005年では上位9位までの順位を見ると、

スペインは女が長生きで、比べて男はあまり長生きではなさそうだ。これフランスも同じ。

イスラエルは男のほうが長生き。
まぁ、日本は男女ともに長生きということになる。

投稿: タロウ | 2013年1月22日 (火) 18時25分

延命治療を行った場合、患者はその間余計に苦しむ場合がある。
また、患者本人に意識がない状態でもただ延命されている状況を見て家族や友人などが苦痛を感じることもある。当然ながら延命治療であっても医療費は必要であるため、延命すればするほど医療費がかさんでくるという問題もある。

投稿: | 2013年1月23日 (水) 10時47分

さっそく、みのもんた率いるTBSがやらかしている。

記事もさるとこながら、ここに寄せられたコメントにも多いに賛同しますよ。

「さっさと死ねるように終末医療で麻生氏失言」記事へのみのもんたのコメント 【朝ズバッ!】

http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-9b4e.html

投稿: みのもんたを降板させる会 | 2013年1月23日 (水) 18時13分

なんか「自分は延命して欲しい」と
言いにくい空気になっちゃったな・・

投稿: | 2013年1月24日 (木) 01時10分

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