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2013年1月16日 (水)

大島渚が鬼籍に入った。朝生を通してしかオイラは知らないが、日本のヌーベルバーグだったとか。

なかば、植物人間状態だった大島渚が逝去した。彼については特別な思い入れはないが。故人には失礼かもしれないが、「まだ生きていたんだ」と思った。

特に彼の人物像を知ったのは、例の”朝まで生テレビ”(朝生)での討論を通じてだった。この番組は1987年にスタートしたのだが、始めの頃から、大島はパネリストとして参加していた記憶がある。時々大声で恫喝するかの強弁を吐いていた。番組としては、それが一つの名物になっていたのだろう。時々コイツが居なかったら、もっとまともな討論になっただろうにと思ったことがしばしば。まぁ、この頃は、野坂昭如らとともに絶頂期でテレビを賑わしていた。

彼の監督・演出した映画で、オイラが観たのは、1976年の”愛のコリーダ”、1983年の”戦場のメリークリスマス”、1999年の”御法度”で3本しかないが。”愛のコリーダ”は、当時日本では、その性描写が規制されていて、ボカシが入っていた。当時すでに欧米ではオープンになっていたので、わざわざ欧米まで出かけて観たという人の話題まであった。

この絡みで、猥褻裁判まで起こり、最後には大島が勝利した。当時は伊藤整の翻訳の小説”チャタレー夫人の恋人”や野坂昭如の関係した”四畳半襖の下張り”など、国の猥褻規制に対して裁判の話題が盛り上がっ時代だった。・・・・・・・・

当時の健康的男性は、その方面では既にかなりオープン化されていた欧米に、これが楽しみの一つとして海外旅行をしたものだった。日本で言えば、近くはグァムやサイパン、そしてハワイが定番。ビデオ閲覧ショップや、ライブショー(ストリップ)には日本人団体がぞろぞろだった時もあった。

欧州では、デンマークが先陣を切っていて、コペンハーゲンの有名なスットロイエ通りには、修正なしのグラビア雑誌のショップが軒を連ねていて、オイラも友人から頼まれて数冊買ったりもした。米国の雑誌”プレーボーイ”や”ペントハウス”もモデル美女の修正なし。皆海外に行くと、それが楽しみで楽しみで。

日本でも刺激されていわゆる”ビニ本屋”とか”裏本屋”が流行った時もあった。オイラのスキ者ポン友は、車を飛ばして新宿歌舞伎町まで買いに行ったとの話もあった。子供がメンコを集め交換し合った時のように。

いつの間にか日本でもオープンに変更したのは、確か細川政権(1993年)の頃からだったと記憶している。一時はほとんど全ての週刊誌が、裸体グラビアに修正なしを載せて、逆に欧米の人達から、TPOをわきまえないと批判をされた。

今や、インターネットを通して、その気になれば、無限の数の画像や動画が観れる時代になって、あの頃の猥褻規制や猥褻裁判の時代は、一体なんだったのだろうという思う程ですね。もちろんそれで商売すると、未だに規制の対象にはなりますが。

で、話を大島に戻しますが、その”愛のコリーダ”(1976年)以前までの彼の監督・演出の映画は、数えると22本あるようだ。題名だけ聞いたことがあるのが数本ある。かなり社会派的な作品が多い。彼の作品は”松竹ヌーベルバーグ”と云われていた。”ヌーベルバーグ”とはフランス語の”新しい波”とのこと。1950年台末から始まったフランスにおける映画運動のこと。

オイラ、幼少のころから、人に自慢出来る程映画はよく観た。そもそも米国のハリウッド映画と、欧州、フランス・イタリアの映画は中身がかなり違っていることは理解が出来た。米国の映画は一言で云えば「あーよかった!ハッピーエンドだね!」に対して、欧州の映画は、ハッピーエンドにはほとんど興味がなく、何かを訴えたいとか、だらだら後ろ髪を引かれるような作品が多かったように感じる。米国が”陽”の作品が多いのに対して、欧州のは”陰”の作品が多かった。また欧州のは前衛的な、オイラの脳ミソでは理解出来ないような作品があったのを覚えている。

大島渚=松竹ヌーベルバーグと云われたのは、そのような欧州的作品が多かったからだろう。朝生での討論でも、彼は左翼系なのか、保守系、右翼系なのかわからなかった。一見過去の作品を考慮すると、左翼系のような気がしたが。まぁ、そんなことはどうでも良かったのかもしれない。テレビでは目立って売り込んだほうが勝ちだからね。

Kmuhtgrkuj

朝生で覚えている発言として、辻元清美がやれNPO、NGOをもっと大切にしろだとか、貧困問題でもっと手厚い政策を打てだとか言ったとき、大声で「いままでそのような意見で為されて来た政策を見直そうとしているんだ!」とか、日本のバブル崩壊後、若者の間に値段の安い”ホルモン鍋”が流行ってきている現象について、バブルに浮かれていた若者現象を改めるためにも、大変良いことだと賞賛していた。

1996年の渡航先のロンドンの空港で脳梗塞を起こし、それ以後は朝生にも出演しなくなった。1932年生まれだから、64歳の時だった。朝生ではトレードマークのようにいつも和服姿だった。

世界の“オオシマ”最後まで映画へ執念 半身マヒをリハビリで克服2013.1.15 産経訃報

 大島渚 WIKI

彼の発言集というのがあった。

激情型の性格で、韓国の文化人との対談において相手方に対し暴言(「ばかやろう」発言)を吐き問題を起こしたことがある。

大島が結婚30周年パーティーを開いた際、壇上で祝辞を述べる予定だった作家の野坂昭如の名前を読み上げるのを忘れ、酩酊していた野坂に殴られた。このときは、持っていたマイクで殴り返す奮迅ぶりを示した(のちに互いに反省文を書き送り合った)。

学生運動の経験もあり、安保反対・米軍撤退を主張しているが、既成の左翼の権力主義的な行動を激しく論難し続けた。学生時代はのちに防衛大学校校長を務める猪木正道に師事していた。

西山事件については以下のように述べている。「言論の自由というような抽象的な問題に立戻ってはいけない。佐藤首相の人間的反応にふりまわされてはいけない。問題は、あくまで佐藤内閣が私たちに何をしたかだ。知る権利などというのは自明のことだ。極秘資料のスッパ抜きに次ぐスッパ抜きを!今こそ日本中を、スッパ抜きした極秘資料でもってあふれかえさせること。(以下略)」(1971年4月14日付毎日新聞夕刊)

「坂本君、僕ら日本の映画監督の年収ってどれくらいか想像出来る?400万円しか貰ってないんだよね。これってサラリーマンの半分なんだよ(笑)」。「戦場のメリークリスマス」(1983年公開)撮影前に出演者の坂本龍一のNHKラジオ「サウンドストリート」にゲスト出演した時、自虐的に語る。

『朝まで生テレビ』の討論が白熱し、パネリストの国会議員から「批判しているだけ」と指摘され、「僕がテレビで話すことは社会的に価値のある活動だと思っている」と言い返すコメントがとても大島らしく、スタジオ観覧のお客の笑みを誘った。

「大体、日本のキリスト教徒なんてのは、欧米のキリスト教徒とは違うんだよね。しょせんは日本人なんだから、やっぱ日本的な、仏教的なキリスト教徒になってしまう」。

「朝生」の出演で。 「日本の右翼は卑怯だ。海外メディアには話すくせに、日本のメディアには口を開かない」。「朝生」の出演で。

2013年(平成25年)1月15日午後3時25分、神奈川県藤沢市の病院で肺炎のため死去した。80歳没。

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コメント

大島渚さんがお亡くなりになりましたね

喧嘩友達の野坂昭如さんがガックリしている様子が目に浮かびそうです

投稿: いちろん | 2013年1月16日 (水) 13時07分

野坂昭如ってまだ生きているんですね。1930年生まれだから2歳年上の82歳だそうだ。

野坂昭如と大島の接点は、やはり朝生だと思うが。また当時、その世界で絶好調の仲間同士ということだろう。

ベタベタの親友ではなかったと思うが。
ただ、同じく脳梗塞でリハビリ中らしいから、縁があるのかもしれない。

投稿: pppl | 2013年1月16日 (水) 18時20分

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