続ドイツ:学生がうようよ居た若者の古都。ヴェルツベルグについて。3千年の歴史があるとは。
次に訪問したのは、ヴェルツブルグだ。フランクフルトから、専用バスで約1時間40分。”アウト・バーン”を突っ走る。バスにはトイレも付いているので、ショウベン休憩もない。アウト・バーンとは、ドイツ語で”バーン”は、人や馬は通行できない道ということらしい。アウトは自動車。ドイツではUバーンが地下鉄、Sバーンが近距離鉄道という。だからアウトバーン(Autobahn)とは単にナチス時代に造られた自動車専用道路と解釈すればよい。ヒットラーが号令を掛け、短期間に造り上げた。まぁ、山がないのでトンネルも必要もなく、平地な農地、森林ばかりだから土地収用も日本より簡単だ。まして泣く子も黙る独裁政権だった。全土に約13,000km張り巡らせた。現在はそれに付け加え、連邦道路(Bundesstraße)約40,000kmが整備されている。
道路の両側に見える景色は、広大な穀物類の畑と森林と農家の集落が続く。やがてバスはヴェルツブルグに到着した。ここは人口約14万人の都市で、バイエルン州のなかでは4番目の大きさの街だそうだ。
歴史的には紀元前1000年ごろからで、704年ごろ文献上に記録された。それ以後様々な歴史を辿ることになる。1630年ごろには魔女狩りの中心地にもなったそうで、多民族に占領されたり、奪還したりの壮絶な歴史を持っている。だから城壁や城、古くからの聖堂など多く、今も存在している。残酷の文字をおでこに張ったような古都なのだ。特に・・・・・・・
1650年ごろのヴェルツブルグ
そんなこんなで、1934年には大都市になっていたのだが、第2次世界大戦の末期、1945年6月16日にイギリス軍の空襲爆撃で、中心部の90%が破壊された。1939年に約11万人いた人口が、戦争によって敗戦後の1945年末には、その半分の5万人となってしまった。もちろん多くの犠牲者の影響だ。またここには昔から多くのユダヤ人が住んでいて、一大勢力ともなっていたが、ナチス時代の末期までに多くのユダヤ人が追放、そして、虐殺された歴史がある。
日本のように木造ではないから、躯体は残っているようだ。そこから街を元通りにするよう復興再建を続け現在に至っている。地震がないので、これを全部撤去して新しく新築するより、残った躯体を生かして以前のように改修するのでは、手間も費用も同程度で、やはり以前の街並みを取り戻したいという悲願があったのだろう。現在はまた以前の美しい都市となっている。もちろんまったく新築の建物も多く見受けられるが。
バスが鉄道のヴェルツブルグ駅前に到着して、降り立ち、予約してあるホテルの地図を眺めたら、約500mぐらいのところにそのホテルがある。タクシーを拾うのも面倒くさいので、歩くことにした。しかし、歩道もまた恨みの石畳だ。トランクを引きずるとゴトゴトと滑らかに進まない。
この通りは繁華街で、両側にはグレードの高い内装のお店が並んでいる。今回気がついたのは、これどの街の繁華街でもお店の内装が、改装したばかりというようなお店ばかり。明るく、ハイセンスな陳列のお店ばかりなのだ。内装だけ取れば、東京の一等地に並んでいるようなお店ばかり。景気の良いドイツとすれば、政府からの補助があって改装が促進されたのではないだろうかと思った。
そして、この街は多くの大学の学生で、その人口構成を占めている。学生の街なのだ。ユリウス=マクシミリアン大学、ヴュルツブルク音楽大学、ヴュルツブルク=シュヴァインフルト専門単科大学、ギナジウム(中高一貫校)が9校ある。その他研究機関も数多くある。だから、大変若者が多く、街全体が活き活きしている。
地形の構成はマイン河両岸の沿岸に広がっていて、そのシンボルとして”アルテ・マイン橋”がある。右画像遠方に写っているのは、マリエンベルグ要塞。
そして、この橋からの眺め
で、対岸にあるマリエンベルグ要塞に行くことにした。
なんと、紀元前1000年ごろ、ケルト人によって初期の築造がされたと。その後礼拝所とされたり、8世紀には聖母マリア教会が出来たり、1200年ごろには、宮殿に改修されたり、1253年から1719年まで、ヴュルツブルク司教の居館であったりした。まぁ、地震がなく積石造の施設は長持ちがするのものだ。
で、ここに行くのに、橋を渡ったすぐに、直に登る道があったらしいが、その案内板を見過ごし、自動車道路で大回りをしながら上がっていく結果になってしまった。時々おかしいとは思いながらだったが。
その間にGSがあり丁度、燃料価格の表示があったので、参考にパチリ。10月の相場は、レギュラーガソリン、156.9セント/L、日本円換算で、約162円で、ウチの前のGSは、今日は151円/L。ちとドイツは今の為替レート103円/€では高いね。全般的な物価とすれば、ドイツは今の為替レート(103円)では、日本より10%前後ぐらい物価が安いと感じていたのだが。場合によっては20%前後安いと感じたこともあった。
自動車道路を遠回りで歩いていたら、左奥にこんな山道を発見。すぐそちらの遊歩道に変えた。まぁ、それでも要塞にたどり着くには、さらに20分ぐらい掛かったが。道には多くの栗のような形の実が散乱していた。こりゃ栗だとかじってみたら、全然違う味がした。これ別の種類の実だろう。拾い集めたのを捨てた。そこから要塞に行く道路に出て、閑静な高級住宅の並ぶ道路を歩き、
以上が、この高台にある要塞から、ヴェルツベルグの街の眺め。ほとんどの屋根の仕上げが、同色の焼物瓦となっている。また付属して博物館や美しい庭園もあった。帰りは、降りる道も見つけたが、バスを待って降りた。
滞在した、ホテル・ヴュルツ・ブルガーホフというホテルの内装が素晴らしかった。
客室。南ドイツの方は、外壁や内壁に絵を描くことが多い。きっと、学生が多いので、彼らを動員したのかもしれない。手間の大変掛かる仕上げの方法だからね。
その他、有名なレジデンツ(宮殿)で340室ある内40室が公開されていた。まぁ、よくもこれほどまでに豪華な装飾がと驚くばかり。ロマネスク調というのだろう。日本の宮殿(城)なんて質素で慎ましいもので、建築的に比べるベースにはない。
夕食をとレストランを探したら、すぐ前にレストランらしくないレストランがあった。
内部は見えないし、不気味なところ。中に入ると広い高級レストランだった。ウェイターのマナーも大変よい。で、飲み物は?ときたから、ドイツだからビールでと「ビールを!」と言ったら、ビールはないと。じゃあ「赤ワインを」と言ったら、白ワインしかないと。実はここは、”ユリウスシュピタール”という有名店で、大変美味しいフランケンワイン(白ワイン)を誇りを持って出すレストランだった。刺激を感じない美味しいワインだった。
これメインで選んだポークシチュー料理。丸いのは、ドイツ料理でよく出てくるジャガイモ大団子。モチモチしていて慣れれば美味しい。またドイツではビーフよりポーク料理が圧倒的に多いようだ。
日本の繁華街を顧みると、安っぽく騒々しいシゲ坊の大好きなパチンコ、トシ坊の大好きな怪しげなスナック、ねーちゃんクラブや熟女パブ、イサ坊の大好きな・・・・・なんてものは一切ない全く健康的な街だった。なくても楽しく生活していけるんだよ。
さて、次はローテンブルグとディンケルスビュールの街についてです。
次記事に続く
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント