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2012年11月 4日 (日)

続ドイツ:舌を噛みそうな名前のディケンスビュールについて。

ローテンブルグを1時に出発して、専用バスはディンケルスビュールに向かった。オイラのトランクがやたら傾く。見るとトランクについている大きい方の車が無い。バス停に向かうのに毎度のようにゴロゴロ引きずるのだが、ほとんどが恨みの石畳。とうとう車が取れてしまい、紛失してしまった。4輪車だったトランクが3輪車になってしまった。これ30年前に購入したトランクだ、愛着はあるがこれで寿命が尽きたことにする。

バスは50分かかって、1時50分に着いた。途中の街で小タイムの見学休憩があった。そこまでの景色は、相変わらず広い農地と農家の集落、そして森林。

Dscf0634_r1日1本の専用リムジンバス。

このディンケスビュールという街は、現在人口1万2千人前後で、75k㎡だそうだ。この街の売りは「川と草原のロマンチック」ということとか。ロマンチックという言葉は「ローマらしい・ローマ的な」という意味になる。

1130年ごろから都市施設が造られていった。ローテンブルグと同じ様に、要塞壁(市壁)で囲まれている。また、ここにはよくある市場広場はなく、その代わり、ワイン市場通りとかパン市場の通りとか、生産物分けの通りで構成さてれいたようだ。壷市場、家畜市場、食用油市場、皮製品市場といった具合に。・・・・・・・・

そして、1499年にゲオルク教会の建設が完了して、これ以後街の景観は基本的に変わっていないとか。市壁の建設は1372年から行なわれた。今でも製造業は盛んだが、ほとんどが観光業の為の製造業と言え、やはり現在は観光業”命(イノチ)”の街であろう。

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街中は、ドイツらしいスタイルの建物で埋め尽くされている。面白いことに、通りに面した各建物は通りに平行な向きに建てられているのではなく、少し同じ角度でずらして建てられている。そこに片方に空間が生まれるようにしてあった。また通りを歩きながら前方を見ると、各建物の正面(ファサード)が見やすい。これ昔からの知恵なのだろう。

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まぁ、カラフルな彩りの塗装がされているので、大変メルヘンチックというかなんというか。しかし考えたら、この様々な彩りは、塗料の技術が発達した最近なのではないのか。そしたら、これら中でもまだ古いままの建物を発見した。今は、色彩が後退しない耐久性のある塗料に変わってきた。オイラも自分の建物に耐久性最高の塗料を塗ったら、その時歩道にこぼれはじけた塗料が10年経っても消えない。驚いた。

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写真なので、その色の違いが正確に反映されないが、上の建物は売りに出ていた古い建物で、塗装前のモルタル塗りそのままの外壁だ。多分”街お興し”で、最近になって「建物全ては、自由な色(と言っても色規制はあるかもしれない)で塗装をすること。ついてはその工事費の一部は市が負担する」なんてことで、ほとんどの建物が一斉にこのカラフルな彩りの外壁に変貌したのではないだろうか。またそのカラフルな色の選択は、ただ自由ではなさそうで、隣の建物とは違う色合いにしている。多分計画の段階で、どの色にするか戦略を持って決められているような感じがした。

25年ほど前、オイラ熱海の観光開発構想を、青年会議所を通して一冊の本にして提言をしたことがある。様々なイラスト画(パース画)も併用して百花繚乱に構想をした。その中で、熱海というところは、観光産業(リゾート産業)がメインである。さらに、山で囲まれた限定された地形をしている。もし、ギリシャのミコノス島のように、全て外壁は白色で統一する、または、ここの様に戦略をもってカラフルな彩りの外壁にする条例なりを作って、ある程度補助金の助けをもって実施すれば、それほどの莫大な費用を掛けなくても、非日常空間を作り上げることは難しくないと提言をしたのだが。

ローテンブルグの街も、これらに繋がる古都も数々あるが、共通しているのは、同じ色、同じ形状の屋根仕上げ、そして、同じ勾配(45度)の屋根、上手く配色したカラフルな色の外壁など。これらが街の空間を非日常空間として、観光、保養にと大変魅力的な誘惑を訪問するお客に与えていることは確かであろう。

Dscf0618_r 展示があった昔の街風景。カラー写真ではないが、一見して殺風景なセメント色の外壁だったと感じる。

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↑は、博物館に模型があった。これら建物の構造の模型だ。柱は20センチ角以上の木材を使用しているようだ。梁・桁に使うようなサイズの柱だ。横方向の力に対して”筋交い”はないようで、柱と桁との接合用に”方杖”を柱に対してほとんど使用している。またこれは屋根材として、現在の焼成瓦葺き以前は、藁葺き屋根が基本だったようだ。模型とはいえ、躯体のディフォルメが無ければそうとう頑固な構造といえる。日本を襲う大きい地震に対しては、どの程度強いのかは分からない。

Dscf0633_rどの古都もこのように馬車でのツアーも用意されている。

Kjhser この街のメインになる、ゲオルク教会。ここの足元が広い歩道となっていて、果物屋・花屋・肉屋など出店などがあった。

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もう、聖堂や教会など、ゲップが出るほど見てきて、中に入るのも興味がなくなってきたが、とりあえず入ってみた。さすがになんとも言えず荘厳な空間だ。教会には誰でも入れる。ところで、今回初めて気がついたのだが、拝礼のベンチについてだ。ベンチとベンチの間がタップリ広い。そして足元に足を置くバーがある。そこがなぜか皮のクッションになっていて、前から不思議な気がした。まぁ、オイラ知らずにそこに足を毎回掛けていたのだが。1人の女性が、そのベンチから離れ、そのバーにひざま付き、祈っているではないか。これは、足を掛けるものではなく、ひざま付くときに使うものだった。だから、ひざが痛くならないように、クッションだったのだ。・・・・・アー罰当たりめが!

街中を歩いていたら、JAZZクラブがあった。こんなところにと驚いたが、毎回顔ぶれを変えてやっているようだ。9時半から演奏とのこと。ドリンク・バーが主体で、特に演奏料金は取らないとか。扉の前に立っていた、バンドのマネージャーらしきが説明してくれた。夕食後行くことにした。

Dscf0615_r 入り口は倉庫の扉のようだったが、地階にあり、中は小ホール併設のバーだった。写っている人物、オカマのような親切な対応で、ついもう一杯と注文をした。

Dscf0611_r まぁ、モダンJAZZだったので、知らない曲ばかりだったが。店は満員となっていた。世界中から観光客が集るので(それも中年以上)、JAZZが共通の音楽でお客が集るのだろう。

そうそう、夏日本より平均気温の低い、また乾燥しているドイツでは、なんといっても激寒冬の暖房が優先となる。どこにでもあった暖房器具は、

Dscf0622_rこの形式で、大・中・小があり、これは多分大の部類だろう。輻射熱式の暖房器具だ。日本で普通のヒートポンプ式セパレートエアコン(暖冷兼用)なんてのは、ほとんど皆無だった。右のレバーが強・弱の調整でこれを回す。

市壁を回っていくと、ここは途中で寸切れ、外部に出ることになり、お掘りや池となっていている。

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↑これ市壁の途中途中にある塔。敵を掘りで防いで、さらに市壁で防御と配置がされた。

Khytesr32 ここは、公園ともなっていて、白鳥や水鳥がいた。のどかな景色だった。

このような古都が続くこの地域だが、”ネルトリンゲン”という街へは行程の関係で行きそびれた。途中10分ぐらいバスが停まってくれたが。その街の形状が大変変わっている。

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これ、丸く陥没したところに、古都が出来ている。ここの歴史的な流れは、他と同じ様に、攻められたり、攻め返したり、復興したり、破壊があったりなのだが、ここは発掘によって旧石器時代から人類が住んでいたことが分かった。紀元前数千年前からということになる。

この丸い陥没は何なのだろうと、過去からイロイロ説が出てきていたのだが、近代になって、ここは約1500万年前にかなり大きな隕石が落下した跡ということが、確定的になった。現人口は2万人を欠ける程度。やはり多くの観光客が世界から訪れる、観光古都となっている。

で、今回のルート沿いには、このような古都は20ヶ所以上あり、今回その内の数ヶ所を訪れただけということになる。ほとんどが同じような景観の古都。その各地は、より多くの観光客を誘致しようと、競争をして知恵を絞って街のグレードを上げようとしていると感じた。

次はいよいよ、ミュンヘンに行く。ミュンヘンにホテルを取り、ここから日帰りで、あのディズニーランドのシンデレラ城のモデルになった、ノイ・シュバン・シュタイン城に行きました。

次記事に続く。

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