続パリ。ショッピング、ジヴェルニーのモネの家、ヴェルノンの街、モンマルトルの丘
その国に数年滞在できれば、かなり実情を知る事ができるが、短期間だと”その時”の実情しか感じることしか出来ないわけで。昨年4月、スペインに行った時もちょうど”セマナ・サンタ”という1週間続く”全国的祭り?”の初日から終わりまでピッタリ合ってしまい(偶然)、実態としてのスペインを把握できなかった。バルセロナ⇒マドリード⇒セビリヤ⇒グラダナ⇒マラガ⇒他数ヶ所、どこに行ってもこの”祭り”全開だった。多くのカトリック系信者の観光客が世界中から集っていた。
今回のパリは、10月中旬、だんだん寒くなるシーズン・オフに近くなってきている時期だったので、これがシーズン中だと、どのようなのか、想像をするしかない。1日の日の長さもそうとう違う。だからこれらのパリについての記事も、2012年10月限定ということになる。
ショッピングについて
パリの中で、賑わいのあるところは、山ほどある。それらの建物の地上階は、様々な洒落たデザインの商店が続く。グレードから行って東京銀座通りにあるような店が、延々と、アッチコッチにあるといったところ。ただどのくらい売れているのか分からない。ある店をアットランダムな時間に見て、一人もお客がいなければ、相当売上げは低いはずだし、赤字経営かもしれないと見ることができる。このような店は無数にあった。中国人団体客も皆無、日本人も。そんな中、・・・・・・
オペラ座から近くの一角に”ユニクロ”が出店していて、このような店には多くの買い物客が入っていた。スペインの”ZARA”にしろ、新興の中級ブランドのお店には、万国共通に人の出入りは多い。
また、パリにしてもドイツにしても欧州は、土曜日は早仕舞い、日曜日は休日の商店がほとんどだ。もちろん飲食店は商売をしているが。これ様々な理由があるとしても、やはり宗教もおおいに関係している。日曜日には教会に行って活動をする人々が人口の過半数いるからだろう。日本でも地方では、日曜日に休業するところがあるが、これは休みの子供と一緒に過ごすため。日曜日には休業しなくてはならないという規制があるのかどうなのか分からないが。ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。
パリにも”アウトレット”出来たらしい。それもパリのディズニーランドの手前の駅にあるとか。それでいってみた。メトロとは違うPER路線のある入り口に降り、A4番線の終点がディズニーの電車に乗る。その手前の駅”ヴァルドゥー・ロップ”で降りてそこから、アウトレットのエントランスまで徒歩10分程度。
アウトレットエリアの手前に一般の新しい商店通りもあるが、当日が日曜日だったため休業だった。小雨が時々降るにも係わらず、ここは、中国人・日本人も多く集っていた。もちろん他の近隣の国々から、地元の人々がほとんどだが。
規模としては、御殿場などから比べると小規模なようだ。
(画像上クリックで拡大)
日本と同じく、高級・中級のブランド店がほとんどある。オイラ、高級ブランド品に一切興味はない。しかし女どもは、特にアジア人はその容貌・体形をカバーするかのごとく、高級ブランド品待望のようだ。なら、空港の免税店で買えば良いということになるが、店舗の数と品揃えが少ないそうだ。また、実体価格が、空港では同じものでも値段が高いそうだ。
これ、国外(今回の場合ユーロ圏)に出るとき、空港で付加価値税(消費税のようなもの)を申請すれば払い戻してくれるが、手続きが大変面倒な上、購入したその店舗での合計が約2万円以上にならないと、対象にはならないとか。さらに、申請時抜き打ちで、その現物を提示しなくてはならないことがあるとか、非常に面倒になっている。
日本に帰るフライトはドイツのミュンヘン空港からだったが、その点はしぶとい中国人。もちろん添乗員のアドバイスがあるだろうが、しっかりその申請に並んでいた。
で、オイラも折角だからと、スペインでスリに掏られ、モロッコ製のサイフをその地で買ったのだが、そろそろほころびを見つけたので、予備として買ってみた。COACHのサイフで、総額79.20€、内訳が本体66.22€+付加税19.6%で12.98€=79.20€だった。これ二つ折りで中にカード収納がタップリってやつ。帰国後調べたら(同じものはないが)2万円前後しているから、格安だと分かって、なぜか安心した。
モネの家まで足をのばした。
パリ近郊を見てみたいと、電車に乗って印象派の画家モネの家とその庭園を見にいった。メトロでサン・ラザール駅に行き、そこで自動発券機で戸惑いながらと言っても、操作が縺れ、仕方がないので駅受付にいた女性に、Vernon(ヴェルノン)と書いた紙を見せ、困っていると言ったら、すばやく操作をしてくれ、チケットを手に入れることが出来た。
直線距離で約65kmのところ約45分でVernon(ヴェルノン)駅に着き、そこから専用バスで、20分ぐらいか、モネの家のあるジヴェルニー(Giverny)の村に行った。モネは1883年この村に来て以来86歳で死ぬまでここで創作活動したとある。
モネの家自体はごく普通なのだが、中の展示物は、彼が影響されたと云われる日本の浮世絵で占められていた。北斎、歌川などなど、オイラとしては初めて見るような版画がたくさん展示されていた。カメラは駄目なので、それらの画像はないが。ゴッホ、ゴーギャンも日本の浮世絵にそうとう影響されたが、モネもそうとう影響されたことが分かる。
家の前には、イングリッシュ・ガーデンとなっていて、そこから車道の下にトンネルがあり、反対にある、池のある庭に出る。オイラもどこかで有名な”睡蓮”を観たことがあるが、まさにここをスケッチしたそうだ。日本にもありそうな風景だが、そうやって観ると、あの絵画の世界に入り込んでしまうかのような印象だった。
この村一帯は、イロイロな新鋭芸術家のアトリエがあり、それぞれの中も見ることが出来、話すことも出来た。芸術村となっている。その中の一つで、たまたま本人がいたアトリエ・ギャラリーに入った。
彼の名は、C.DEMAREZという画家で、話してみると京都に長く滞在したことがあると。彼の大きな特徴は、まず室内を描き、同じ風景が次ぎには、ドアもなにも曲線にゆがんでくるという絵が多い。なぜか?と聞いたら哲学の話だといろいろ考え方を話してくれた。なかなかの好青年だった。
ジヴェルニーから帰るバスに乗り遅れ、近くのレストランで軽食をしらがら約1時間待った。
で、バスが来たので、ヴェルノンにホテルを取ってあったので、その後チェックイン。この街を探索したのだが、そうとう古い建物が多い。傍を流れているセーヌ河沿いにあるのだが、パリとの通勤圏内で便利だと思うが、他の新興の街に取り残されているような感じがした。ホテルも、200年以上経っているようで、改装増築してきた沿革が階段の壁に掲示されていた。
これ正面の建物拡大すると、屋根の棟が波打っているし建物は傾いているようだ。前述のC.DEMAREZ氏は、題材にこれをヒントを得たのか?すぐ近くだし。その手前には大聖堂がある。
別荘地として最適なのか、街の不動産屋の案内。2,500万円以上が多かった。
全体として、郊外の歴史的街として、のんびりしていて、大変良い印象を受けた。火曜日だったか、ここからパリ行きのクルージン船も出航しているとか。
翌日は、パリに戻ったが、電車内から郊外の農地や小さな町・村をみることが出来た。写真に撮ることができなくて、提示が出来ないが、ところどころかなりの面積で、平屋建ての集落のようなエリアが見れた。まるでほとんど自分で建てたような粗末な建物が、木々に隠れるように集っている。これ、貧困な移民や不法移民が集って住んでいるところではないのだろうか。とにかく突然異様な地域だった。
パリの街でも、地元に住んでいるかのような人々は、純粋のフランス人という人々より、東ヨーロッパ、南欧、北アフリカから来たような雰囲気の人々が多く目に付いた。理想的パリジェンヌも、見つけるのに苦労した。20人いて1人という感じ。また時々100人に1人ぐらい、足が長く、色白・金髪で、スリムで、背が高くて・・・・というような女性を目にしたが、あれは北欧系なのかもしれない。フランス人は一般に背はそんなに高くない。ラテン系だからね。また寒さのせいか、ミニスカートなんて皆無。皆スラックス姿・ジーパン姿で・・・・・・・。
他にもパリでイロイロ興味深い所を訪れましたが、切りがないので省略しますが、38年ぶりのモンマルトルの丘についてちょこっと。
モンマルトの丘
丘に上がるのに、ケーブルカーがあるのだが、丁度その時、券売所のオバサンのPCが壊れたとかで、無料となっていた。皆気勢をあげて喜んだ。といっても100円前後なのだが。ここへは夕食を兼て行った。眺めは最高でパリ市内が眼下に見える。以前来た時は、テルトル広場に大道芸人や似顔絵描きがいたが、その部分は全部カフェテラスのテーブルとイスで占められていた。その四角で囲んだ周りのレストラン専用となっていた。
夕食はその中の一つ、大変古くからやっているレストランで、ピアノの弾き語りを聴かしてくれるところを選んだ。ピアノの休憩時間には本人が唄のリストを片手に、各お客にリクエストを聞いていく。オイラ、”ラ・ヴィアン・ローズ(バラ色の人生)”をリクエスト。演奏が始まるとそれも唄ってくれた。
そんなこんなで、次の日は、ホテルに予約済みの専用空港行きリムジン小バスが迎えに来てくれ、ドゴール空港から、今度はドイツのフランクフルトの空港に飛び立ちました。
ドイツ編に続く
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