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2012年10月25日 (木)

10月のパリ。小雨混じりの雲り空の日々だった。1年の半分以上は寒い日が続く。

欧州から無事帰還しました(笑)。10月9日にパリ直行便に乗り約12時間機中で映画3本観ました。日本では、まだ半袖で居られる気温でしたが、パリは東京の12月の気温を感じました。38年前行った時は6月で、日中が長く午後8時過ぎまで明るかった記憶でしたが、緯度が高いパリは、夏時間が10月末の日曜日までとしても、朝は7時半ごろやっと明るくなり、午後5時ごろは暗くなる。なんたって、北緯48度52分の位置にあり、丁度北海道の北にある、樺太の南北中間の位置ぐらいにある。標高は35m。因みに夏時間が終わると1時間時計を戻すことになる。

しかし、まだ暗い6時ごろから多くの人々は動き出していた。パリジェンヌもだ。なぜか服装は黒っぽい色が男女ともに多い。結構質素な服装が多い。

特に冬は10月後半から始まり、東京の4月の気温になるのには、5月まで待たなくてはならない。東京人の季節感覚から言えば、パリは半年以上が冬の季節とも言える。もちろん、もともと雨量が少ないので、大雪になることは滅多にないが。しかしパリの冬はどんよりした曇り空が多く、気まぐれな小雨が降り続く。丁度冬のバンクーバー(カナダ)にはよく行ったが、気候的によく似ているように思える。だからカネと暇のある年長者は、冬は南欧州で過ごすことが多いのだろう。

以後記事は、あまりにも有名な観光施設は、ネットで調べれば簡単なので、それらの細かい説明は省くこととして、オイラの気のついたことを記事に羅列します。

昔フランスに行った時は、・・・・・・・・・

パリには数日しか滞在しないで、凱旋門近くのホテルからレンタカーで出発して、ロワール河に沿って、オルレアン⇒トゥール⇒ナント、そしてサン・マロー⇒モン・サン・ミッシェル⇒ノルマンディーとドライブをした。怖いもの知らずで若かったから出来たと思う。スタートの凱旋門はロータリーになっていて、少し臆病になって、この内側にだんだん入ってしまい、脱出できなくなり、5周ぐらいしてからやっと本道に出ることができたという思い出の地だ。今回はもっと長くパリの滞在を取った。

おっと、成田空港の両替屋で、ユーロに両替してもらったが、当日レートが約1€=100円で、手数料含めて、1€=106円換算だった。ホテル宿泊代や大物はカード購入の方がレートがいいので、その他こまごま用の分だけ現金両替をしていった。最後には、ほとんど使い果たした。

ホテルはどうせ寝るだけなので☆☆クラスで、なにかと便利なマドレーヌ寺院とオペラ座の中間にあるホテルを、http://www.booking.com/で日本から予約した。他の予約サイトは、カードから予約決定で引き落とされるが、ここは証拠としてカード登録はするが、実際の決済はチェックアウト時となる。これ為替レートが予約時なのか、チェックアウト時なのかの違いが出てくる。まぁ、それにしても大した金額の違いではないが。ただキャンセル無料期日までにキャンセルの場合には、ここの方があとあと面倒臭くなくベターとなる。

まぁ、とにかくインターネットの普及で、事前にホテルや、その他予約が必要なものが、日本でネット予約が出来るという、まったく便利な世界になったものだ。十数年前には想像もできなかった世界が準備されている。

ホテルは☆☆クラスだが、場所があまりにも便利なせいか、宿泊料(朝食なし)は結構高かった。その上に、各階通路が改装中で工事現場のようだった。後半さすがにオイラ腹が立って来て、フロントの女性に、この件を告げ、正当な宿泊料ではないと苦情を言ったら、約1,000円近くの朝食代を以後無料にしますとなった。なんでも言ってみるものだ。

Dscf0208_rパリのオペラ座正面

オペラ座で、名所を周回する展望バスを待っていたら、突然ジプシー風の女集団(5・6名)が、何か首から提げた板の上に署名用紙を載せ、署名をしろと迫ってきた。ジャポンか?と聞きながら。これが噂のスリ集団なのだ。サインしているあいだに他の仲間が寄ってきて、巧妙にバックやポケットから財布を抜き取るそうだ。特に日本人観光客や中国・韓国人が狙われる。他の白人のところには行かないようだ。

バス停で待っている場所の後ろにある建物で受付をしている地元人が出て来て、大声を出して追っ払う。少し時間が経つとまた来る。こいつら笑顔で平然としている。この場所は、空港行きのリムジン・バスも来るので、観光客が待っている人数が多いところだ。ここには数回来たが、彼女ら巡回しながら毎回迫ってくる。オイラ大声で追い払った。昔から、彼女らジプシーにはパリ人も頭を痛めているとか。

”ジプシー(Gypsy)”とは「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した「ジプシー」(Gypsy)の名称となったとある。しかし現在は日本でも差別用語として公共放送では、”ロマ(Roma)”と言い換えられているそうだ。子供は学校に行かなく、大人になってもどうしようもないヤツラと無視され続けているとか。

ところで、パリ市内でも大きな積石造建築が溢れかえっているが、その石はどこから調達したのかということだが、パリ周辺は広大な盆地形状になっていて、その下の地盤は石灰岩になっているそうだ。つまり石材現地調達。石灰岩は加工がし易いのであのような壮大で華麗な装飾の大量な石材を使った建物を、大量に造ることが出来た。そして郊外で良い石が出れば、セーヌ河で運んだり、また下水トンネルの築造の際出た石も石材にしたそうだ。

これを2000年ぐらい掛けて延々と造り続けてきた。地震がないので、天災で崩壊することもなく。崩壊があったとすれば、延々と続いてきた戦乱の歴史の中でということになる。まぁ、ギリシャにしても、スペインにしても欧州全体の地層から建築材の石灰岩・大理石が地下掘りで産出するので、どこに行っても大規模な積石造の建物が豊富なわけなのだ。その代わり、石灰質の影響で地下水は硬水となる。日本にも四国や山口県にあるが、規模も狭く、山中なので、建築材としての発展は少なかった。

Dscf0214_rLESCARSROUGESバス 1日券が27€ 2日券が29€で乗り降り自由。寒かった。狭い街路もこの大型バスが巧みな運転で走り抜ける。

展望バスで、一通り回ったが、前述したように雲り空で時々小雨、寒くて鼻水が垂れてくる始末。ところで登らなかったがエッフェル塔についてなのだが、38年前に登った時には、濃い緑色に近い色だったが、今は濃いベージュ色というか枯葉色というか違っていた。調べてみると、何でも1968年から7年ごとに塗り替えているそうで、現在19回目の塗り替えだそうだ。ここだけで年間600万人が訪れるとか、展望バスの日本語観光説明(イヤホーン)で知った。

Dscf0294_r エッフェル塔

この東京山手線圏内規模の広さの、パリ中心全体としての観光客は年間2,600万人とかの説明があった。世界でもトップクラスだろう。

時期的には、シーズンオフに差し掛かっていて、各有名施設もそんなに並ぶことはなく、長時間待たされることも無く入館が出来た。寒くなってきているので、長時間待たされると悲惨なことになる。

昨年行ったスペインと同じく、ホテル内、レストラン等内は、禁煙となっている。しかし外気の場所は喫煙OK。歩きタバコも多いにOKだ。パリジェンヌもスパスパ吸いながら歩いている。だから、歩道はタバコの吸殻が多い。多分北米より喫煙者は多いのではないかと感じる。

Dscf0278_r(今はほとんど路上ゴミ捨てはこのようになっている。真ん中にタバコの火を擦りつけて消す盤があり、他のゴミと一緒に捨てるようになっている。袋は多少の火には強い材質だろう。ゴミ容器ではなく、ゴミ袋なので回収がいたって簡単。パリは台風も来なく、風は比較的穏やかなので、この方法は打ってつけだろう。)

そこで、室内から外部に張り出しているカフェ・テラスで、飲食と喫煙を楽しむお客が一層多くなっている。もともと欧州は、このような外部に張り出したカフェテラスで飲食を楽しむ習慣が多かったが、店内禁煙規制となり、ますますここで飲食と喫煙も楽しむお客で繁盛しているようだ。

Dscf0280_r Dscf0416_r

ただこれも、大風の吹く日が少ないので、可能なのだ。また豪雨も少ない。しかし冬になると、寒すぎて、ちとキツイかもしれない。日本でも真似をしたカフェ・テラスがあるが、やはり頻繁に変わる気象条件で、常設で繁盛しているところは少ない。

あと道路なのだが、欧州の街路は、石畳が好きで、ほとんどの車道は石畳。これ花崗岩なのか、10センチ角で厚が15センチぐらいの石を敷き詰めている。タイヤの減りはそうとう激しいだろう。そして車の走る時の音が、ガシャガシャと相当な音をたてながら走っている。古いものは思考停止で守っているかのようだった。

次記事に続く

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