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2012年7月 1日 (日)

2年ぶりの中国に行きました。西安での城壁・兵馬俑・華清池の編

中国への出張から、無事帰国をして来ました。今回は上海⇒西安⇒スーヤン⇒上海⇒蘇州⇒上海でした。西安は初めてで、やはり見ごたえのある観光地が一杯ありました。例によって蘇州のイサ坊と一緒で、彼が一切の手配をしてくれ、まったくオイラにとってはラクチンな旅行が出来ました。出費も彼がかなり持ってくれたようで(感謝)。

中国はどこへ行っても、高層住宅の建設ラッシュなのか、乱立していました。見たところ、予想通り外観は完成の様子でしたが、ほとんど人の気配がしない完成マンションが、延々と続いていたような印象です。中には見るからに、建設途中で放置されているものも累々とありました。これ、先々どう処理するのか、お節介ではありますが心配してしまいます。

公共工事もバンバン進行中で、確かにどの街も最新の都市計画工事で、巾の広い道路、地下鉄工事、公園、観光地の再開発が行なわれ、これだけの財源はどこから調達しているのか、不可思議に思う程です。一昨年(2010年)の時も全国各地で不動産建設ラッシュでしたが、それに輪をかけたように、なを一層凄まじかったようです。まぁ、「造るものさえ造れば、後はなんとかなるさ」というような調子なのか。現在中国各地で行なわれている開発は、嘗ての日本列島改造なんて小さい規模ではなく、嘗ての日本の不動産バブルも、笑っちゃうほど小さい規模のように見える程です。

そんな中、今回再度中国を見て来ました。その感想をオイラなりの表現で記事にしてみますと・・・・・・・

西安について

西安は3日滞在して、有名な観光地を回りました。西安は日本だと「セイアン」ですが、中国語だと「シーアン」と言います。秦の時代には長安の名でした。それから以後様々に名が変わり、西安となりました。秦の始皇帝はあまりにも有名です。

西安空港から最近完成したであろう高速道路で、西安の中心地に入りました。途中広大に広がる農地が続き、何を作っているのか聞いたら、小麦とトウモロコシが主で、その他現地消費の野菜などだそうだ。滞在したホテルは有名な長方形に囲んだ城壁の傍でした。

同行は、蘇州のイサ坊と彼の会社の現地スタッフ(通訳兼)の寧(ネイ)さん、現地ツーリスト(西安金橋国際旅行社)担当の康(カン)さん並びに運転手。

丁度日本と同じように梅雨時なのか、曇り空で時々小雨。昨年の最高気温が44℃だったとか。あまり気温が高くなく、天候には恵まれたということになります。そうそう、中国では気温が38℃を超え予想が出ると、その日は、学校は休校、職場も休業になる制度になっていますが、そこは中国のこと、スレスレの予想の時は、37℃の予想にしてしまうことが多いと寧さんがぼやいていました。

(クリックで拡大)

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中央に長方形に写っているのが、嘗ての長安の城壁です。画像で横巾は約4.2km、縦巾が2.6kmで全周としては約14kmとなります。まったくデカイものをあの当時造ったものです。

西安城壁

城壁 西安は中国を代表する、城郭都市である。東西に4.2キロ、南北に2.6キロ、周囲13.7キロの城壁で囲まれている。現在の城壁は唐代のものを基盤に、明代に築かれたもの。

高さは12メートル、上部の幅は12m~14m、下部は15m~18mある。周囲の堀は幅20m、深さは7m。 永寧門(南門)。南大街を北に向かうと鐘楼がある。

その上部は広い道路上になっていて、レンタル自転車で回ることが出来た。

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Dscf9668_r レンタル自転車。2人乗り自転車もあった。

Dscf9673_r_2 イサ坊と寧さん

高さが地上12mあるので、大変見晴らし良く、上からの眺めで景観を楽しんだ。

Dscf9671_r 古い軒並

Dscf9679_r最近完成した公共事業の再開発で立派な景観となりました。

Dscf9686_r_2 西安の鉄道駅舎。人が一杯溢れていた。

Dscf9689_rなぜだか面白いものを見つけた。屋根瓦が大半割れている。これ”オカラ”造りの欠陥瓦だったのか?普通こんなに割れることはないはずだが。

兵馬俑

ホテルから車で約1時間。最大有名な兵馬俑に行きました。

兵馬俑

これ1974年に発見されたとのこと。農民のヨウさんが農地用の井戸を掘っていたところ中からとんでもないものが出てきたと。兵士の像の破片だった。そこで役所にそれを報告してから大騒ぎとなり、発掘調査が行なわれ、考古学上20世紀最大の発見と言われている。1979年には、発掘したこの場所に博物館を造り、1987年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

因みに、この第一発見者のヨウさんは、博物館の名誉副館長となり、今は付近にある中国料理店の名物人として、1日店内にいて、画本の前に座り、本を買った人にサインをしている。今回その料理店に行った。ところが、この発見者のヨウさん、数人いるらしく、他の店にも同じようにしているとか。皆、ウチこそ本物だと言い張っているとか。

歴史的遺産発見者の悲哀  以下一部抜粋

この楊さんは、現在兵馬俑坑博物館の「名誉館長」との身分を与えられ、博物館内にある土産物売店の片隅で解説本にサインしながら生計を立てているそうです。 発見した当時はさぞかしりっぱな報償が与えられたのかと思ってガイドの人に聞いたら、真顔で「それは名誉という褒美です。」と答が返ってきました。

インターネットなどで調べたら、どうやら本当に数十元(日本円で数百円)のお金が渡されただけだったようです。 もっともその理由は、彼らが俑の貴重価値・歴史的価値を研究したわけではなく、中国国民共有の貴重な遺産発見のきっかけを作っただけだから・・・というもので、ある意味論理的な対応だったのかもしれません。

兵馬俑についてはあまりにも有名なので、撮って来た写真画像は数少なくする。とにかくここは、広大な敷地にあるので、入り口から第1俑坑までは、電動カーに乗る。この第1俑坑があまりにも有名で、館内も大変広い。ここでは全兵士は東側を向いている。東にあった洛陽が敵だったようだ。

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大変大きい体育館のような造りの中、東側にある正面が見えるスタンドから見て、南側通路⇒西側通路⇒北側通路を通りながら見ていくことになる。現在も未だ発掘中なのだが、西側奥の方は発掘作業中。

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Dscf9611_r Dscf9612_r

面白いのは、発掘時は以下のように彩色鮮やかだったが、空気に触れるとどんどん退色してしまうので、今は発掘をこれ以上拡大しないようにしているとのこと。

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次の順路とすると第3俑坑に行く。第1俑坑が歩兵軍団を中心としていたが、この第3俑坑は、司令部団となる。

Dscf9619_r Dscf9623_r

東西南北周囲に向かって立っている。4頭の馬の後ろが一番偉い人らしい。

そして、第2俑坑への順路となるが、この第2俑坑は、主に戦車軍団となる。

さて、各兵士なのだが大きく分けると

Dscf9636_r これ有名な兵士像なのだが、

出土したときは、

Dscf9654_r_2 このようなものだった。

次に位が高くなると、

Dscf9637_r このように、腹周りだけ、鎧をつけた格好となる。

では、位の低い新参者の兵士はというと

Dscf9643_r_2 このように、鎧は無しで素手で勝負ということだそうだ。鎧も結構高価なものだからね。なにか現在と通じるようだね。

顔も、様々な民族の顔になっていて、一つ一つまったく違う。この顔が結構話題になっているそうだ。

Dscf9622_r 誰かの顔に似ているそうだ。その人は魯迅にそっくりだとか。

Lijin19301_2 本物の魯迅

兵馬俑の次には、華清池 (かせいち)に行きました。

華清池

かつて歴代王朝の離宮があり、温泉地であった。有名な玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスも伝えられる。華清宮には玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という浴室も造られた。 現在も豊富に温泉が湧き出しており、温度は43度、石灰、炭酸マンガン、硫酸ナトリウムなどのが含まれて、関節炎や皮膚病に効能がある。

楊貴妃専用の浴槽、玄宗皇帝専用の浴槽、2人の混浴専用の浴槽、家人専用の浴槽などがあったが、特筆するほどではなかった。

Dscf9659_r 楊貴妃用浴槽

Dscf9660_r 玄宗皇帝用浴槽

それより面白いのはこの辺一帯が温泉地だということ。42℃の温泉があちらこちらから噴出するのだが、中国人は温泉に入って楽しむ習慣がないので、大変小規模な施設しかないそうだ。

Dscf9661_r 温泉が湧き出ていて、手を洗うことが出来る。

以下は、かの楊貴妃の想像彫刻なのだが、様々を調べた結果、身長162センチ、体重74キロだったとか。因みにオイラは67キロ前後。オイラより体重がある。中世の欧州も絵画などで見ると、美人の標準はふっくらしたのが大半だったが、当時の中国でもそうだったらしい。顔は違うだろうが、”天童よしみ”のような女性だったかも。ちょと興ざめしてしまった。

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この記事の容量が大きくなったので、次の記事に続きます。

次は同じ西安での他の観光スポットです。

 

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