続中国:続・続西安での観光。中国人は食事会好き。レストランシアターと陝西歴史博物館と碑林博物館と漢陽陵博物苑
前記事に続く。
今、あの小沢グループの民主党離党で、面白いことになっていて、これを記事にしたいのだが、只今中国出張の連載中なので、後ろ髪を引かれる思いで、連載を続けます。
中国人はよく料理店に集って、飲食会を開く回数は世界一ではないかとも思えます。例えば仕事関係に於いてのグローバルスタンダードでは、重要な会議や取り決めなどなどを済ませてから、飲食会を開きますが、中国では、その前から開きます。それを終えてから仕事の打ち合わせに入り、それが終わってまた開きます。アルコール度の高い白酒(パイチュウ)を一気に呑みの、”一気呑み合戦”がほとんど付いています。グラスは小さいですが、頻繁に”カンペイ”を行いますので、相当な量を呑むことになります。中には、そのために酒に超強い精鋭部隊員を用意している幹部もいます。だから 便所に行きますと、中にはそこで酒を吐いて、再度合戦にと、目を真っ赤にしている精鋭部隊員を見つけます。
これ中国人の考え方で、人との交際は、共に飲食会の回数を積み重ねれば、それに比例して、より良くなり、より深まると考えているからです。また酒に強いことは、酒で乱れないことは、尊敬されるようです。大昔の日本でもその傾向はありましたが。酒に弱い人はあらかじめ宣言して、一切酒を呑まなければそれなりに構いませんが、中途半端は良くないです。つまり”カンペイ”を拒否することになることもあり、日本風に言いますと「俺の酒は呑めねえのか!」と誤解されることもあるからです。・・・・・・・
さて西安ですが、ここの名物料理は、餃子と麺料理です。餃子といっても日本の焼き餃子は、極一部で、様々な種類の具が入った水餃子、蒸し餃子・・・・となります。これはレストラン・シアーで出ました。
西安の夜の観光の目玉として、唐代の舞踊が人気がある。外国人だけでなく中国人観光客も多く、連日賑わっている。約1時間のショーで料金は198元。要予約。 ショーは1日2回行われる。餃子や飲み物は希望により別途。ミネラルウオーターのボトルは無料。 唐代の衣装を纏った踊り子や甲冑を着た兵士などによる舞踊が10幕ほど演じられる。 「千手観音」は1列に並んだ踊り子の手が、絶妙な間隔で動き美しい。
ラスベガスのショーのごとく、まず開演までに食事を平らげる。ここは、様々な種類の餃子料理のみ。同テーブルには、米国コネチカット州から来た中年女性が2人いて、話をしたら、開口一番独身ですと。ドイツからとフランスからの米国への移民のようだった。
で、その2人に「ちと、モノを尋ねるが、フランス人はスープを呑むとき、スプーンを横に持って呑み、ドイツ人は、それを縦に持って呑む習慣だと聞いているが、それはいかに?」それで、半信半疑のその2人にスープを呑む動作をしてもらった。そしたらその通りで、本人達は初めて気がついたようだった。「本当だわ!今まで気がつかなかったわ!」と。これオイラ、カナダで確かめ済みなので自信を持っている。そして「では、日本人はいかに?」ときたので、オイラ、スプーンを斜めに持って、音を立ててすすってやった。楽しい2人連れだった。
ところで、中国で有名な京劇なのだが、劇の中で様々セリフが雅楽をバックに出てくるのだが、これ中国人としても何を言っているのか、まったくさっぱり解らないそうだ。寧さん、ガイドの康さん両者とも言っていた。だから事前にストーリを読んでからでないと、まったく理解が出来ないと。日本の歌舞伎はだいたいセリフは理解できるが、あちらではもはや現在の中国語ではなく、古代語だそうだ。
1991年6月に開館した中国国立歴史博物館。宮殿様式を取り入れた大規模な博物館で、敷地面積は7万平方メートル。収蔵点数37万点。そのうちの3千点が常時展示されています。
先史時代から周、秦、漢、唐の時代の陝西地方の文物が展示されています。第一展示室は先史時代から秦代まで。第二展示室は漢代から魏晋南北朝時代まで。第三展示質は隋代から清代までの文物が陳列されています。全国の公立博物館と同じく、陝西省歴史博物館も現在無料開放されてます。
日本でも有名な陳列物もあり、じっくりみるのなら、まる1日かかる。日本語表示もあった。古代中国から近年の中国への足取りが解りやすく陳列されている。
これどこかで以前どこかで見たことがあるような。
大変可愛い像だったので載せました。
唐の玄宗皇帝直筆の石台孝経など、碑石は五帝の時代から清代に及ぶ3000点が保存されている。 碑石は碑林一室から七室まで。
他に隋唐の時代の歴史陳列室と、石仏、レリーフ、墓石などを集めた石刻芸術陳列室がある。 唐代の石仏群が展示されている。 碑石から拓本がとれる。
中心街の城壁の傍にこの施設はあり、静かな公園のようななかに幾つもの展示用建物がある。まぁ、これでもかと言うほど、有名な詩人の詩やその他が大きな平たくされた石に彫られている。
左側、大きな石碑が幾つも、何通りも陳列され、透明ガラスで保護されている。
ここは漢詩に興味のある人には、こたえられないかも。しかし現在の中国人のほとんどは読めないそうだ。それは漢字が簡体字に変わってしまい、繁体字は台湾や香港では使われているが、これとて意味はほとんど通じないそうだ。古代の語彙や文法も違っているとか。
西安を去るため、西安空港に行く途中にあるのが、
陽陵は西安から22キロメートル、渭河を渡った咸陽市にある。漢景帝と皇后を合葬した陵園で、帝陵は西、皇后陵は東にある。陵墓は4角錐台形の“覆斗形”。 2006年にオープンした地下遺跡展示館。
地下の遺跡を強化ガラスで覆い、眼下に見ることが出来き、大変めずらしい。 前漢の時代の風俗、衣装、土器などを展示している。
坑からは陶俑、木車と鉄器、農機具、貨幣などが発掘されている。陶俑の体形は細長くて、均整がとれており、形や表情は一様でなく、年齢や性格の違いがはっきりわかる。
ここは、最近整備された観光地で、広大な農地を整理して、この周辺にある様々な皇帝の陵(りょう:みささぎ)(=天皇・皇后の墓)なのだが。 日本でも奈良には仁徳天皇陵など多くの古墳陵がある。これらは中国からヒントを貰ったものかもしれない。日本ではだいだい的に陵は発掘されていないが、もし発掘されたら、内部は似ているのかもしれない。
もともと、日本の陵と同様このように土が盛られていて、ここの一つをだいだい的に発掘したようだ。
主人公はこの皇帝。次代の息子などの陵も付近にあるようだ。地下が展示室となっている。
展示の仕方も、一部歩道が強化ガラスとなっていて、下にある陳列物をみることができる。
面白いのは兵馬傭の陵に埋蔵されていたのが、陶俑は戦闘的なものばかりだったのに、こちらは平和的な使用人的な人々の陶俑が膨大な数埋蔵されていた。
このようなブースが幾つもあり、その数は数千体に及ぶかもしれない。もともと立って埋められたのだろうが、土の動きで倒れた状態で見つかったらしい。
農機具から日常品、食料用の家畜など様々な陶傭(ハニワ)が並んでいる。
もともと、埋められた時は兵馬傭と同じで、色づけされ実際衣装も着ていたらしい。しかし、衣装は腐ってしまい裸体のみとなって発掘されている。面白いのは、衣装を着けているのだから、男か女かは、裸体の段階で区別する必要なないと思うが、きちんと男にはおチンチンをつけてあり、良く見えなかったが女は・・・・・。とにかく男群と女群に分かれていた。
日本人は、モノを造る場合に、見えないところも気を配って造ると良く言われるが、この漢の時代、職人はその見えないところ、おチンチンなども正確丹念に造っていたようだ。
この周辺にはこのような陵が沢山眠っているようだが、現在政府としては、これ以上の発掘はしないとのことらしい。金銀財宝があったのか無かったのかについては言及がなかった。
ところで、これは余談だが、西安では、シルクロードでお馴染みの絹ジュウタン工場兼展示兼売り場に案内された。高価なジュウタンは絹製と昔から決まっている。昔迎賓館を設計したとき施主がデパートからこれを持ち込ませ敷いた。価格ラベルを見ると、3帖ぐらいのサイズで200万円前後とあった、もちろんデパート側は値引きはしたのだろうが。
ここでは同じようなものが、日本への宅配代込みで50万円前後で売られていた。そして当初の日本語説明者によると、漢の時代は、建物内は日本と同じノン下足で、そこにこれらジュウタンが使われたそうだ。もちろん今は洋風と同じイス・テーブルで下足で屋内生活が主流なのだが。
あと、絹製ジュウタンの手織りは、裏面も同じ絵柄だが、機械織は裏面はノリ付けになっていてすぐわかるそうだ。
そんなこんなで、西安からフライトで約2時間、最近完成した淮安(ワイアン)空港(リアンシュイ空港)に行き、そこから、目的地スーヤンに行った。車が空港に迎えに来ていた。懐かしい運転手だ。
この淮安(ワイアン)市は人口500万人を超えるが、広大な農地に、世界の工場・企業を誘致するため、なんと現在、市が援助して、航空運賃が半値という施策を行なっている。西安からここまで、たしか270元(約4,000円)ぐらいだった。中国国内のチケットは寧さんが購入してくれていたが、日本と比べ大変安い。
上海⇒ファースクラス⇒西安、西安⇒淮安、淮安⇒上海虹橋で合計1人1,900元(約2.7万円)だった。
このスーヤンは、イサ坊の本拠地。取引している工芸品の会社。社長・若社長、従業員幹部、食事会で飲めや唄えの大歓迎会でもてなしてくれました。
次記事に続く。
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