続中国;西安での観光。中国の制度と大雁塔と青龍寺
前記事の続き
今回、日本語の喋れる中国人が2人いたので、様々中国の現状について聞くことが出来た。徴税について聞いた。日本では国に納める国税と地方税(県民税・市民税等)があるが、中国ではどうなんだい?と。そしたら一般人の場合には、国税なんてものはなく、まず県”に納め、それが”市又は州”に行き、それが最終的に国に行くという上納システムになっているそうだ(注:中国では”県”より”市”の方が大きいし上位となる)。また収入金が3,000元(4.2万円前後)/月以下の場合には納税の義務はないそうだ。
収入金は、その雇い会社から専用個人口座に振り込まれる。するとその銀行から税額分が”県”に行き、そこから県の取り分が引かれ、残りが市又は州に行き、そこで取り分が引かれ、残りが最終的に国にいくシステムとなっているそうだ。ある意味、源泉徴収みたいなことになっている。日本は源泉徴収で会社が預かって税務署へ。中国では個人口座を管理している銀行がそのまま行政に流して行くと。まぁ、日本より取りっぱぐれはないかもしれない。
だから、どちらかというと、徴税に関しては地方分権の連邦制ようなもの。地方行政体が反乱を起したり、国への納税(上納金)をごまかしたり、粉飾したりしても、国はどうしようないというような想像が出来る。そもそも・・・・・・・・・・
中国は、通貨発行高を公表したことがない。中国が紙幣をどれほど刷りまくっているのか、中国以外の国々は分からない。仮に公表したとしても、本当かどうかも分からない。各地方の税収がいくらで、最終的に国にどのくらい税金(上納金)が集って、日本のようにそれでは足りないから、中国国債をいかほど発行して調達しているのか、公表はされていないのである。
噂によれば、各地方行政は不動産バブルや公共事業バブルへの投資(間接も含め)が膨れ上がり、それらが不良債権化して、にっちもさっちも行かなくなる手前、財政破綻の道を進んでいるとも聞く。
高速道路から眺めるとますます、空室の高層住居が目だって来た。以下西安でも
(以下クリックで拡大)
こんなのが、この西安でも、もの凄い数があり、中には建設ストップなんてのもある。
ほとんど分譲で売れていない。因みに中心街の高層分譲住宅では、8,000元/㎡だと。150㎡の住宅で、120万元=1,680万円前後。専用駐車スペース分譲が15万元=約210万円。内装工事が20万元前後=約280万円。一般的には、昨年と比べ25%前後価格は下がっているらしい。中には社宅として建てられたものもあり、その場合には半値ぐらいで購入できることもあるとか。
さてさて、西安での観光の続きだが、・・・・・
大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った、経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て652年に建立されました。
西安市の東南郊外にある大慈恩寺の境内に建っていて、当初は5層で8世紀10層に改築されました。
後に地震で上層部が崩壊し、現在は明代の改修で7層で64.5m。
大慈恩寺は648年、唐の第3代皇帝高宗が、母である文徳皇后を供養する為に建立した寺院です。現在、寺の面積は32,314平方メートルで山門、鐘楼、鼓楼、大殿、二殿、大雁塔からなっています。
玄奘三蔵(三蔵法師)を祭ってある。この仏塔はピサの斜塔ではないが、地盤沈下で多少西側に傾いている。塔の中は螺旋階段のようになっていて、最上階まで行けるようになっており、そこからの眺めは最高だった。多分付近には高層建築は禁止エリアとなっているのだろう。
(クリックで拡大)
孫悟空と猪八戒は姿も形もありませんでした。
次は 青龍寺 なのだが。
ここは、日本と大変馴染みが多く、多くの日本人が訪れる。そもそも、この西安にしてもあの文化大革命(1966年から1976年)でほとんどの仏寺や道教・儒教の施設は壊されたり、火をつけられたりして破壊され尽くした。ここ青龍寺も同様で、日中国交(1972年)以後、再建に日本の宗教団体や寺が多くの寄進をして再建された。
空海、円行、円仁、恵運、円珍、宗睿が密教を学んだところ。隋の582年に霊感寺として建立され、唐の771年青龍寺と改称された。その後11世紀には廃寺となった。
1956年、重要文化遺跡と指定され発掘調査がはじまった。1980年代には日本の四国4県と真言宗関係団体の寄付により、空海記念碑、恵果空海記念堂などが建立された。
中でも、この日本での真言宗の開祖である空海(弘法大師)が 、中心に据えられている。第16次遣唐使留学僧として日本から海を渡り、西安まで相当な距離を歩いて来たわけで、想像を絶してしまいそう。約2年間の修行だったそうだ。
密教の第七祖・青龍寺の恵果和尚に師事。
この時、イサ坊は感激をしてしまった。東京2号の項目に、彼の義父が総代長となっている延命寺の寺名が彫られていた。また彼の知り合いの人の碑文も発見してしまった。なにかここに来たのは運命を感じると。今年その義父が逝去したらしい。寺の記念品売り場で寄進を込めて、仏具を買い捲っていた。ここは記帳をすることが出来、オイラも毛筆で記帳をしてきた。
ここは、ほとんど日本人観光客で占められ、あまり中国人観光客は訪れないそうだ。しかし、庭園には日本からの桜の木が数多く寄進され、春の桜のシーズンには中国人が多く花見見物に来る。日本式にお弁当を持って。酒は一切厳禁だが。花見シーズン約10日間は1日に10万人も訪れる日もあるそうだ。
続きは次記事で・・・・・・
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