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2011年5月 7日 (土)

2011年の4月のスペイン。グラダナ編:あー、アルハンブラ宮殿!

スペインにおいてオイラの感想だが、鉄道にしろ、地下鉄にしろ、バスにしろ、タクシーにしろ、日本と比べて大変運賃が安い。これは観光地としては、大変重要なことだと思う。それを実現させているのは、半国有の公社が運営しているからか(国として一部負担?)。必要と思われるサービスは十分に提供されているように思えた。また、観光地として必要な、道路清掃にしても、夜間に回転ブラシをつけた掃除車が運行していて、朝にはすっかり綺麗になっている。これも公社がやっているようだ。

治安も人がよく通る道路に関して、厳重に拳銃を身につけた屈強な警官が守っている。人に迷惑を掛ける悪(ワル)は、断固として排除する。日本のように、「まず優しく注意するところから始める」、なんてことはしない。ダンボールで野宿なんてヤカラは理由も何もなく、一方的に排除だろう。但し、繁華街では無芸の伝統的「おもらいさん」も日に数人見た。その中には働けそうな若者もいたが、小銭盆は僅かだった。大道芸人は多かった。

ただ、そのようなので、スペインでは、公務員・半公務員の数は相当多いだろう。彼らにはスト権があるので、これから、財政赤字の改善で、公務員・半公務員の給与の減給やリストラがより厳しくなると、ギリシャのようになっていくかもしれない危うさを感じる。オイラの滞在中も、バルセロナの通りで数百人の白衣を着た人々(医療関係か?)が、ラッパを吹きながらデモ行進をしていた。昨年にも相当大きなストライキとデモがあったそうだ。

タバコを公共の場、屋内飲食店まで含めて禁止としたら、国民もそれに従う。(松沢元県知事がそのようにしようとしたら、反対で骨抜きになったようだが。)しかし、路上では吸ってよいことになっており、以前より歩きタバコが非常に多くなったみたいとか。外気に晒されているところではタバコを吸って良しと簡単明瞭。

また、交通に関しては、日本よりもっと歩行者優先が徹底していた。よほど罰則が厳しいのだろうか。交通道徳は守られていた。

さて本題。

そんなこんなで、次の滞在地グラダナに移動した。

セビリアからグラダナ間は、高速バスを利用した。直線距離は213kmでセビリアから南東方面となる。ちょうど直線距離で云えば、東京から浜松ぐらいになる。無料の高速道路を突っ走る。サービスエリアはないので”小便タイム”は無し。約3時間は掛かった。オリーブ畑やオレンジ畑の大平原を左右に見ながら、やがて山を登り、そしてすこし下ったところがグラダナだった。高速バス料金は24.80€=3,100円だった。乗車券はバスターミナルの窓口で購入した。道中これへの支線道路造成中の現場を2ヶ所ぐらい見た。

Dscf8141_r 途中で見れた近郊の街

Dscf8143_r 平行に走る支線道路。地盤が固いのか、地下掘りのままのガケ地。擁壁工事はしていない。

このグラダナは、アンダルシア州グラダナ県の県都。人口は約24万人。

紀元前からローマ時代ローマの支配下になり、やがて700年ごろ、イスラムのウマイヤ朝の支配下に入り、以後15世紀まで750年間続いた。ナスル朝に支配が変わりグラダナ王国となり、イベリア半島の最後のイスラム王朝として存続し、経済・文化が栄えた。この時代にイスラム建築の傑作と評される、”アルハンブラ宮殿”が建築された。やがてレコンキスタ(キリスト教徒国の再征服活動)の攻撃に晒され、1462年に完了した。その後スペインは統一され、イスラム教徒は追放され、モスクは教会に変わったが、アラブ様式は破壊されることなく、キリスト教文化に接木された。

グーグルアースより。(クリックで大)

1 このように、いわば甲府のような大盆地の地形のなかにある。回りは平地の広大な農地がある。

2 街は抜本的な近代都市計画はされてなく、一部を除いて過去からのままで、迷路状の道路網となっている。画像右側が”アルハンブラ宮殿”のある丘。

3 この様に、大通り以外は、セビリアのような狭い道路が迷路状になっている。

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ホテル近くの大通りの雰囲気。

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カルデリア・ヌエバ通りに行った。ここはモロッコ・中近東のお店がひしめいていて、この通りは坂道になっている。まるで熱海の街の坂道のようなのだが道はもっと狭い。怪しい雰囲気で面白かった。何も買わなかったが。

その次の日に”アルハンブラ宮殿”に挑むので、その前に全景が見える反対側の丘に行くことにした。両方とも狭い急坂を行くわけだが、路線小型バスが運行している。

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Dscf8159_r この小型バス、石畳の狭い道路を神業とも思える運転で登って行くし、帰りは降りてくる。いつ事故を起こすかと思えるほどだった。見てくれ!こんな狭い石畳の坂道をスピードを出して突っ走る。まるでトトロのネコバスに乗っているような・・・。

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そしてやっとたどり着いた、城壁都市”アルバイシン”、丘にある街だ。ここのニコラス展望台。ここからアルハンブラ宮殿を真正面に眺めることが出来る。

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Dscn0426_r その他、ここからの眺めでグラダナの街の全景をみることができる。またここは広場(ラルガ広場)になっていて、多くの観光客が集まっていた。それを目的に大道芸のエンターテイメント。ラテンを唄っていた。チップをやって写真を撮った。

無事、ホテル近くでバスを降り、街の中を探索した。

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コンパクトだが、大変美しい街並みだった。やはり広い歩道が確保され、オレンジの木が鉢植えが置いてあった。道路は常に清潔を保っている。しかし中層の建物が続き、また迷路状態の街並みだった。何か探検をしているような感じ。

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このグラダナでもセマナ・サンタに巻き込まれた。左画像は、オイラのホテル前にも、観覧席が設けられていて、車両交通禁止。この道路を横断するのも躊躇する。まぁ、賑やかなことだ。

アルハンブラ宮殿

次の日のアルハンブラ宮殿の見学について、実はネットで予約VISA決済をしようと事前に日本で挑んだのだが、上手くいかず、ブッツケ本番となっていた。入場制限があるので、最悪、メインの”ナスル宮殿”には入場出来ない恐れがある。そこで、ネットで見つけたのだが、グラダナに28年住んでいる日本人が、日本人用相談所を開いていることを知り、その秘訣を教えてもらいに訪問した。

教えを聞くと、朝6時頃から、券売所に並び、ひたすら8時の受付開始まで並ぶことだと。数日前には7時から並んだ人がとうとうその日分を購入できなかったと。そしてもう一つの秘訣は、窓口券売の列とそのすこし離れた右側には、自動券売機の列があり、ほとんどそれを知らない人が多いらしく、そちらの方はすいているから、二手に分かれて待つ方がいいと。

翌朝、朝5時半過ぎにホテルを出て、タクシーで丘に登り、券売所前に出来ていた列に加わった。まだ暗い6時頃で、窓口券売用の列には既に50人ぐらいが並んでいた。オイラがその列に入り、カミさんが自動券売機のほうに並んだ。こちらは、その時点では人はほとんどいなかった。

Dscf8165_r まだ暗い朝の6時で先に並んだ人は、50数人。待ちながら御喋りをしていた。すこし寒かった。前の若者達はドイツ語の様な、後ろはフランス語の様な。

Dscf8168_r ようやく7時頃から明るくなった。オイラの列で待っている人々は、すでに軽く200人は超えていた。

簡単に説明をすると、この入場券は目玉の”ナスル朝宮殿”を見学するためであって、構内の他の施設を見るのであれば、このように並ぶ必要はない。また、旅行会社ツアーやインターネット予約購入であれば並ぶ必要がない。チケットには、入場時間が30分(?)ごとに記され、その時刻までは、城内の他の施設を見ていることになる。

Dscf8279_r 8時から発券受付が始まった。案の定、自動券売機の方が早くて、カミさんが嬉しそうにオイラのところに入場券を持ってきた。貴重なチケットだ。オイラの回りの人達は、「なぜ?」って顔をして、オイラ達の方を見ていた。情報の勝利なのだ!10:30から入場となっていた。城内への入場開始は8時過ぎから始まった。入場料は13.00€=1、600円だった。なを、この自動券売機で購入するのも、表示がスペイン語なのでスンナリって訳には行かず、隣の人に方法を教えてもらったそうだ。

アルハンブラ宮殿は、(以下wikiより)

概要

ウマの背のような形をした丘は頂上部が長さ740m、幅205mにわたって平坦になっており、夏場非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置している。宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。その大部分はイベリア半島最後のムスリム政権・ナスル朝の時代に建設された。

建物は白を基調としているが、「アルハンブラ」とはアラビア語で「赤い城塞」を意味する「アル=カルア・アル=ハムラー」(القلعة الحمراء ; al-qal‘ah al-ḥamrā')と呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したものである。

この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた煉瓦の色であるとか、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど諸説あるが、イブン・アルハティブは、アルハンブラ宮殿増築の時、夜を通してかがり火を燃やして工事したためグラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことからこのように呼ばれたという説を唱え、これが一般的な説として通用している。

歴史

アルハンブラは構造的には一つの城塞都市であるが、当初から全体の形が計画されていたのではない。異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により、建築様式や形状などが異なっている。

その前半はムーア人王朝の栄枯盛衰と共にあり、9世紀末イベリア半島南部を版図としていた後ウマイヤ朝末期の、アルカサーバと呼ばれる砦が原形であると言われている。イスラム教徒のムーア人がグラナダの沃野「ベガ」に入植し始めたのは8世紀である。

最初に栄えたのが後ウマイヤ朝であるが、このときの都はまだコルドバであり、グラナダの丘の上には軍事要塞アルカサーバだけが建てられていた。現在アルハンブラの最も西の部分である。

アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、イベリア半島最後のイスラム王国であり、グラナダを首都としたナスル朝(1238年 - 1492年)の時代に入ってからである。13世紀にはアルカサーバの拡張工事が行われている。その後も歳月と共に建物や塔が建築されていったが、大きな変貌を遂げるのは、ユースフ1世とその息子のムハンマド5世の時代である。

1492年、カトリックのレコンキスタ(再征服戦略)によってグラナダが陥落するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わった。スペインは、この地を1718年まで城代に管理を任せていたが、カルロス1世(カール5世)の時代に入ると、この宮殿を自らの帝国の支配の中心地にする考えを持っていたと言われており、いくつかの改築が行われている。

カルロス5世の噴水や、カルロス5世の宮殿の建設が始まり(宮殿は完成することはなかった)、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されている。アルハンブラ宮殿は現在スペイン屈指の世界遺産であり世界中からの観光客が訪れる名所となっているが、これが元はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるということは象徴的な意味を持っている。

即ち、現在のスペイン国家は公式にはレコンキスタの過程で、それまでのイスラム的な文化を払拭(カトリック教会側から見れば浄化)して建てられたカトリック教国であるが、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化がイスラムにその多くを負っているということである。

スペインを訪れるイスラム教徒たちは、このアルハンブラを他の誰にも増して特別な気持ちで見るという。彼等にとってアルハンブラはイスラム=スペイン(アル=アンダルス)の象徴であり、イスラムの支配と信仰が砕かれてもなおスペインに残った輝かしい遺産なのである。

他より追加

18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、アルハンブラは荒れ果ててしまったが、19世紀の米国人作家ワシントン・アービングの「アルハンブラ物語」によって再び世界の注目を集めた。

(クリックで大)

_r 渡された全体図を画像に撮り、日本語で各名称を記入してみた。要するに、厳密にはアルハンブラ宮殿とは総称で、象徴的な有名な建物は”ナスル朝宮殿”ということになる。

城内に入場して、時間(10時半)まで周囲の施設の見学をした。”アルカサバ”や”ベラの塔”、”カルロス5世宮殿”等々。また庭園や通路からの、下界の景観の眺めが素晴らしかった。グラダナの街の全体を見ることが出来る。庭園もさすが最高の水準と云えよう。

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天井もアーチの壁も、非常に繊細な、複雑な彫り物状になっていたが、これは、別に鋳型形式(寄木細工式)で造り、それを貼り合わせているとか。イスラムの建築文化も素晴らしいものだ。

450pxpatiodelosleones ここの中庭にある有名なライオンの噴水は、修理の為に移動をしていて、見ることが出来なかった(wikiより)ライオンの口からの噴水が故障して、それらを含めて修繕中。その修繕の詳細が館内に展示されていた。

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Dscf8228_r 昼食は城内にある小さなホテルの吹き抜けレストランで楽しんだ。

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ナスル宮殿を出て、城内の一般の庭園を散歩した。多くの観光客がいたが、それを外しながら写真を撮った。

オイラのヘタクソな画像より、このサイトの画像の方がいい。よく纏められている。

スペイン紀行。アルハンブラ宮殿:南光 優

また建築的には、このサイトがいい。

Palacio de la Alhambraアルハンブラ宮殿:ARCHITECTURAL MAP

午後3時頃、このアルハンブラを出て降りて、下界のグラダナの街に戻った。

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そしたら、またセマナ・サンタの巡行がオイラ達を待っていた(笑)。右上の画像の子供達は、ロウソクの”タレ”を手で受け止め、それをあっちこっちでもらい受け、玉状にしていくと、幸運が来るとのおまじない。どこの国にもこうした風習はあるものだ。

他には、”サクロモンテ洞窟居住区とその博物館””カテドラル(大聖堂)””王室礼拝堂”などなどがあったが、時間の関係上行けなかった。まぁ、グラダナはこのアルハンブラで十分だった。

おまけ

次は、ここから、直線距離で90km南西のマラガまで高速バスで行き、ここから、鉄道で海岸リゾート地”トレモリーノス”に行った。次の記事に続く。

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